闘病記

闘病記大賞

「懲りずに夢を見ながら」

2014年4月

バンド仲間の ボーカルとギター担当のデイブ(右)とロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに※編集部注:原稿枚数400字×80枚の作品を編集部で8頁に要約したものです。がんは心のアンテナを広げる好機 1987年ライブの時。Grand Funk Railroad みたいなヒッピー風にしようと、真っ赤なベルボトムで ※モノクロご容赦 1987年12月、23歳の僕は渡独し、...

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「夫婦でがん」

2014年3月

西山きよみさん肝がんと闘う夫に寄り添ってきた妻にも乳がんが「希望」のズボンドラマみたいに目の前の心電図の画面の波線がツーンと一本の線になって、「午前1時16分、ご主人の死亡を確認しました」「これで終わりなの……?」主人が亡くなってから3年。主人の病気に関するいろいろな物をそのまま引き出しの奥に仕舞って封印していました。3年が経ち、今やっとその引き出しを開けることが出来るようになりました。その時、ち...

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「がんはお友だち」

2014年2月

有久園子さん知的障害という個性の中で乳がんと向き合うひとりぼっちの乳がん告知私は2001年の秋に乳がんのこくちをうけました。私が甘えることのできる身内はもうこの世に一人も生きのこってはいない中でドクターからの、乳がんのこくちをうけました。その時に、私は浄土真宗の通信教育を受けていました。私はレポートを書くのが好きです。それで、通信教育を受けていました。私にとって、そのことが大きな希望でした。それで...

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「今日を生きる」(2)

2014年1月

現在70歳の渡辺禎子さん30代で胃がんと腸閉塞、50代で肺がんと甲状腺異常、60代で乳がんを経験し、現在も乳がんの再々発を生きる札幌に戻った或る日、食事のとき沢山食べて満足していたら、少し間を置いて、腹部に激痛が走り、苦しくて身を捩りながら冷汗が出てきた。意識が朦朧となり、このまま死んでしまうのかしら……と思い、一時は救急車まで考えたが、大分時間を経て落着いてきた。後日、K札幌病院のH先生にそのと...

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第1回 闘病記「深見賞」授賞式が行われる

2014年1月

去る11月1日、東京・神田淡路町の「ホテルマイステイズ御茶ノ水」で、『がんサポート』創刊10周年記念企画 がん闘病記「深見賞」の授賞式が行われました。会場には審査委員長を務めた鎌田實さん、「今日を生きる」で深見賞を受賞した札幌市の渡辺禎子さん、「夫婦でがん」で佳作を受賞した奈良県の西山きよみさんが駆けつけ、授賞式は和やかな雰囲気で進行しました。177編の応募作品のすべてに謝意を午後5時30分、授賞...

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「今日を生きる」(1)

2013年12月

現在70歳の渡辺禎子さん30代で胃がんと腸閉塞、50代で肺がんと甲状腺異常、60代で乳がんを経験し、現在も乳がんの再々発を生きる平成23年11月、5回目の手術も終わり明日は退院の日。私は夕食後、消灯までは時間があるので、食堂の大きな休憩室にいました。いつも通り人影がありません。今日まで生きられた、そして北海道の厳しい冬、自然の怖さに思いをはせながら、これからの人生を考えていました。そこへ同室の若い...

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第1回 闘病記「深見賞」決まる!

2013年11月

「がんサポート」の創刊10周年記念企画「がん闘病記 深見賞」を募ったところ、173編の応募をいただきました。原稿用紙100枚を超す長編も多くあり、編集部は嬉しい悲鳴でした。社内に6名からなる選考委員会で、1カ月にわたり全作品を読み、慎重に1次選考をした結果、15編が残りました。その後、選考委員長の鎌田實さんと選考委員会の代表2名が最終選考を行いました。応募作品はいずれも、がんと真摯に向き合った患者...

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