闘病記

「必ずまた、戻ってくるから」 最終回

2018年9月

橘 ハコ さんたちばな はこ フリーランスのパブリシスト(広報)。1974年生まれ。大手広告代理店や老舗出版社で雑誌広告営業の経験を積んだ後、2005年、出資を受けニッチマーケティング領域の会社を立ち上げる。その分野ではパイオニアとして海外からも評判を得るも、その後より自由な立場で仕事をすることを選びフリーランスへと転身、今に至る。広報・PR、マーケティングコミュニケーションの領域でさまざまな業界...

詳細はこちら

「栗田さんは私にとって『希望の星』です」 「余命1年」と宣告されてから18年9カ月。腹膜中皮腫患者の歩んだ軌跡

2018年9月

栗田英司さん 「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」関東支部中皮腫相談担当 くりた えいじ 1966年10月静岡県静岡市生まれ。清水市立商業高校卒。大手電機メーカーを経て精密機器会社に就職。33歳のとき腹膜中皮腫と診断され余命1年の宣告を受ける。2000年4月東京都立亀戸技術専門学校入学。2001年5月、情報管理会社入社。2008年6月退社。2009年Nタクシー入社。2017年9月右田孝雄さん...

詳細はこちら

いつも一緒が当たり前だった人が、がんに奪われていったとき 小泉美紀さん(小児看護専門看護師)

2018年8月

こいずみ みき一般大学卒業後、OL経験を経て看護学校入学。卒業後、聖路加国際病院に就職。退職後都内の小児専門病院に転職。その後大学院博士前期課程修了。小児看護専門看護師として小児専門病院で勤務。ER勤務を経てPICU勤務。現在に至る。夫とはOL時代に知り合い結婚。結婚28年目に肺がんで夫が他界 夫と2人で生きてきた。これからも変わらぬ日々が続くと思っていた。ある日突然、夫に肺がん「ステージⅣ」が宣...

詳細はこちら

「必ずまた、戻ってくるから」 第5回

2018年8月

橘 ハコ さんたちばな はこ フリーランスのパブリシスト(広報)。1974年生まれ。大手広告代理店や老舗出版社で雑誌広告営業の経験を積んだ後、2005年、出資を受けニッチマーケティング領域の会社を立ち上げる。その分野ではパイオニアとして海外からも評判を得るも、その後より自由な立場で仕事をすることを選びフリーランスへと転身、今に至る。広報・PR、マーケティングコミュニケーションの領域でさまざまな業界...

詳細はこちら

死からの生還に感謝感謝の毎日です。 オプジーボと樹状細胞ワクチン併用で前立腺PSA値が劇的に下がる・富田秀夫さん(元・宮城リコー/山形リコー社長)

2018年7月

とみた ひでお1941年愛知県稲沢市生まれ。私立東海高校卒。同志社大学法学部卒業後、64年リコー入社。86年山形リコー社長、95年宮城リコー社長を経て01年~07年まで経営コンサルタントとして宮城、山形、新潟、青森、福島の20数社の経営者、管理職に指導を行う。野田一夫ファンクラブ会長。同志社大学校友会宮城県前支部長 がんの治療は現在「手術」「化学療法」「放射線治療」が主流で第4の治療である「免疫...

詳細はこちら

「必ずまた、戻ってくるから」 第4回

2018年7月

橘 ハコ さんたちばな はこ フリーランスのパブリシスト(広報)。1974年生まれ。大手広告代理店や老舗出版社で雑誌広告営業の経験を積んだ後、2005年、出資を受けニッチマーケティング領域の会社を立ち上げる。その分野ではパイオニアとして海外からも評判を得るも、その後より自由な立場で仕事をすることを選びフリーランスへと転身、今に至る。広報・PR、マーケティングコミュニケーションの領域でさまざまな業界...

詳細はこちら

がんと闘っていくには何かアクションを起こすこと 35歳で胆管がんステージⅣ、5年生存率3%の現実を突きつけられた男の逆転の発想・西口洋平さん

2018年6月

にしぐち ようへい一般社団法人キャンサーペアレンツ代表。1979年大阪生まれ。神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒。人材紹介会社であるエン・ジャパン株式会社に新卒1期生として入社。関連会社出向、子会社への転籍を経て現在に至る。2015年2月ステージⅣの胆管がんと告知される。子どもを持つがん患者同士がつながることの出来るコミュニティサービス一般社団法人キャンサーペアレンツを立ち上げ、抗がん薬治療を続け...

詳細はこちら

「必ずまた、戻ってくるから」 第3回

2018年6月

橘 ハコ さんたちばな はこ フリーランスのパブリシスト(広報)。1974年生まれ。大手広告代理店や老舗出版社で雑誌広告営業の経験を積んだ後、2005年、出資を受けニッチマーケティング領域の会社を立ち上げる。その分野ではパイオニアとして海外からも評判を得るも、その後より自由な立場で仕事をすることを選びフリーランスへと転身、今に至る。広報・PR、マーケティングコミュニケーションの領域でさまざまな業界...

詳細はこちら

治療する側とされる側の懸け橋の役割を果たしたい 下行結腸がんⅢA期、上部直腸、肝転移を乗り越え走るオストメイト口腔外科医・山本悦秀さん

2018年5月

やまもと えつひで1945年愛知県稲沢市生まれ。金沢大学医学部名誉教授。2005年8月大腸がんを宣告され計3度の手術、化学療法を経験。39歳でジョギングを始め、41歳で初の市民マラソンに参加。現在、「城南歯科医院」理事長の傍らオストメイトのがんサバイバーとして啓蒙活動に励んでいる。著書に『定年教授の癌克服ラン日記』『走って治すぞ、ガン闘病。』など多数 金沢大学口腔外科教授の山本悦秀さんは2005...

詳細はこちら

「必ずまた、戻ってくるから」 第2回

2018年5月

橘 ハコ さんたちばな はこ フリーランスのパブリシスト(広報)。1974年生まれ。大手広告代理店や老舗出版社で雑誌広告営業の経験を積んだ後、2005年、出資を受けニッチマーケティング領域の会社を立ち上げる。その分野ではパイオニアとして海外からも評判を得るも、その後より自由な立場で仕事をすることを選びフリーランスへと転身、今に至る。広報・PR、マーケティングコミュニケーションの領域でさまざまな業界...

詳細はこちら

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート4月 掲載記事更新!