2007年6月
分子標的薬は、「夢の薬」ではない。劇的な効果もあれば、重篤な副作用も ささき やすつな 1954年、長野県に生まれる。国立がん研究センター中央病院、米国メリーランド州立大学がんセンター客員研究員、国立がん研究センター東病院化学療法科医長を経て、2002年より現職。専門は、腫瘍内科。内科腫瘍学、腫瘍薬理学、肺がん、乳がん、頭頸部がん、悪性リンパ腫などの固形がん薬物療法、抗悪性腫瘍薬の開発的治療研...
2007年3月
20年間におよぶ苦労の結晶。患者にやさしい飲む抗がん剤は、こうして生まれたしらさか てつひこ 1940年、満州国・ハイラルに生まれる。1971年、北里大学大学院修士課程修了。75年、徳島大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士取得。同大医学部助手、大阪大学蛋白質研究所助手、大塚製薬㈱琵琶湖研究所主任研究員、同所長を経て、90年、大鵬薬品工業㈱創薬センター・病態医化学研究所所長、2005年、北里大...
2007年1月
ホスピスケアは、がん末期の患者さんだけでなく、すべてのケアにつながるやまざき ふみお 外科医。1947年福島県生まれ。75年千葉大学医学部卒業、千葉大学付属病院第1外科勤務。83年から1年間、北洋サケ・マス母船の船医、南極海底調査船の船医を経験。84年千葉県八日市場市民病院消化器科医長。院内外の人々とターミナルケア研究会を開催し、末期がん患者の延命・がん告知・ホスピスの問題を提起。91年聖ヨハネ会...
2006年12月
陽子線といっても万能ではない。向いているがんにはすこぶるいいが、向いていないがんもある おぎの たかし 1956年新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業後、1985年より国立がん研究センターに勤務し、現在に至る。日本医学放射線学会専門医、日本放射線腫瘍学会認定医。主として陽子線治療に携わっている かまた みのる 東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。...
2006年10月
第1選択は、手術だけではない。放射線治療の有効性をもっと見直して なかがわ けいいち 東京大学医学部付属病院放射線科助教授、緩和ケア診療部長 昭和35年東京都生まれ。昭和60年東京大学医学部医学科卒業、同教室入局。昭和61年同教室助手。平成元年1月にスイスのPaul Sherrer Instiuteへ客員研究員として留学。同年12月社会保険中央総合病院放射線科へ。平成5年再び東京大学医学部...
2006年9月
患者さんから痛みの声を聴く。そこから、すべてが始まるほか すみお 1952年鹿児島市生まれ。1978年九州大学医学部卒業。同大医学部麻酔科講師、聖マリア病院麻酔科科長・手術部長を経て、1996年同大附属病院手術部助教授に就任。1997年より北里大学医学部麻酔科学教授。麻酔科医として手術に立ち会うほか、疼痛治療、緩和ケアなど、広い範囲で患者さんの痛みのケアに携わっているかまた みのる 東京医科歯科大...
2006年8月
9年前、卵管がんになったノンフィクション作家の柳原和子さん。一時は治ったかに思えたがんが2003年秋に再発。以来、何度も危機に遭遇しながら、その都度それを乗り越えてきた。そのエネルギーは、その秘密は、いったいどこにあるのだろうか。鎌田實さんに迫っていただいた。 やなぎはら かずこ1950年生まれ。東京女子大学社会学科卒。世界各国を精力的に取材してきたノンフィクション作家。97年に卵管がん...
2006年6月
もっとも大切なのは、個々の患者さんに明確な治療ビジョンを示すことりゅう むねまさ 1943年千葉県生まれ。千葉大学医学部卒業。千葉大学第二外科文部教官助手、千葉県がんセンター消化器外科主任医長、国立がんセンター東病院手術部長を歴任。1999年に千葉県立佐原病院医療局長、2000年に同病院長に就任し、医療者と患者のコミュニケーションを重視し、病院体制の改革に勤める。2005年4月より千葉県がんセンタ...
2006年5月
自らの存在を確認することが「幸福な時間」の共有につながるこいけ まきこ 1953年神奈川県生まれ。筑波大学大学院修了。国立小児病院神経科、東邦大学付属病院小児科を経て、1992年より国立がん研究センター東病院に臨床心理士として勤務。患者と家族のカウンセリングに当たる。2001年より目白大学人間社会学部心理カウンセリング学科助教授として勤務。2004年より同科教授に就任。現在もカウンセリング等、患者...
2006年4月
死を前に、謙虚な気持ちになる。それが、私のがん体験の原点うえの はじめ 1971年東京生まれ。94年早稲田大学政経学部卒業後、朝日新聞社に入社。長野支局を振り出しに、事件記者。横浜支局に在籍中に、精巣がん(睾丸腫瘍)発覚。手術を受けたものの、すでに肺転移。同僚だった恋人にプロポーズされ、病床から婚姻届。2度の再発、3度の肺手術。その率直で真摯に綴られた闘病記は、朝日新聞神奈川版に連載時より大反響を...