闘病記

がんになった著名人

今しかできないオシャレを楽しむことで治療に前向きになれた、モデル・MAIKOさん 脱毛をスキンヘッドにして楽しむ逆転の発想で治療を乗り切った

2010年4月

MAIKO まいこ 1969年、東京都に生まれる。高校卒業後からモデルを始め、国際的なショーもこなすトップモデルとして活躍。現在も『STORY』などのファッション誌やTVCMなど、第一線で活躍中。著書に『モデル、40歳。乳がん1年生。』(KKベストセラーズ)がある公式ブログ「MAIKOのHAPPY TALK」 95パーセント大丈夫が一転、「全摘」に ファッション雑誌『STORY』でレギュ...

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自分を救ってくれた歌を通じて、私も誰かのために祈りたい 死力を尽くして自分らしく生きることを選んだ、ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美)さん

2010年4月

きき1968年生まれ。北海道出身。幼い頃からピアノや歌を習い、27歳のときに渡米。そこで、ゴスペルと運命的な出合いを果たす。日本に帰国後、シンガーとしての活動を広げ、03年にはCDデビュー。05年、乳がんが発覚。08年に再発。少しでも多くの人に、自分の歌と生き方を知ってほしいと、現在も全国で音楽活動を続けている。 「どれだけ長く生きるか」よりも「どれだけ深く生きるか」―。ゴスペルシンガーとして活...

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子宮頸部腺がんを体験したことで、人のありがたみがよくわかった 予後の悪いがんを乗り越え、舞台に立った 女優・三原じゅん子さん

2010年3月

みはら じゅんこ1964年9月13日生まれ、東京都出身。1979年、『3年B組金八先生』に出演し、人気に。1980年、歌手デビュー。デビューシングル「セクシー・ナイト」は売り上げ30万枚を超えるヒットとなる。1982年、NHK紅白歌合戦に出場。1984年、本名の「三原順子」から現在の「三原じゅん子」へ芸名を改める。 「軽いがん」子宮頸がんではなく、「予後の悪い」子宮頸部腺がんと診断され、子宮の全...

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ラッキーという細い糸がつながったからこそ、俺は生きている 術後1年余で「絶望的だった」リングに復帰した プロレスラー・藤原喜明さん

2010年2月

ふじわら よしあき1949年4月27日、岩手県に生まれる。1972年、対藤波辰巳戦でデビュー。サブミッションレスリング(組技格闘技)に傾倒、その実力者ぶりから「関節技の鬼」として知られる。藤原門下生はプロレス界に多数存在。現在は、俳優のほかナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラスト等の特技も多彩。 胃がんはかなり進行するまで自覚症状がないことが特徴で、がん検診を1度も受けたことが...

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セックスへの思いがあったから放射線の組織内照射に辿り着いた 日本将棋連盟会長・米長邦雄 × 鎌田 實

2010年2月

将棋界の勝負師が前立腺がん治療で打ったこの一手 第51期名人で、タイトル獲得数19期を誇る永世棋聖、米長邦雄さんは、現在、日本将棋連盟会長として、将棋の普及・発展、後進の指導に当たっているが、平成20年に前立腺がんにかかり、同年暮れ、放射線治療の高線量率組織内照射を受けた。勝負師として一世を風靡した米長さんの、がん発見から放射線治療に至る過程で長考したあれこれに、「がんばらない」の鎌田實さんが迫っ...

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どん底の私を救ってくれた最愛の夫からの25個のケーキ 自分の命よりも、赤ちゃんを失った喪失感のほうがはるかに大きかった 女優/タレント・向井亜紀さん

2010年1月

むかい あき1964年11月3日、埼玉県に生まれる。日本女子大学在学中に、ラジオのパーソナリティとしてデビュー。以後、ドラマ、司会などで幅広く活躍。94年1月、プロレスラーの高田延彦さん(*)と結婚。著書に『16週』(扶桑社)などがある。*高田延彦さんの「高」は、正しくは「はしごだか」です。 向井亜紀さんが、子宮頸がんと診断されたのは2000年9月のことだ。そのとき、彼女のおなかの中には小さな命...

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ありのままでいこう、そして息子に自分のすべてを伝えたい 7時間に及ぶ十二指腸がん大手術を乗り越え、スローライフを実践中のタレント・清水国明さん

2009年12月

しみず くにあき1950年10月15日、福井県に生まれる。1973年、伝説のフォークソング・デュオ「あのねのね」で芸能界デビュー。テレビ、ラジオの司会やコメンテータ、新聞雑誌への執筆など幅広く活躍中。芸能界きってのアウトドア派、スローライフ実践者としても知られ、自然体験や環境講演会なども多い。2005年、株式会社自然楽校を設立、代表取締役に就任。山梨県河口湖にアウトドアパーク「森と湖の楽園」を開園...

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乳がんの全身転移と闘いながらフル回転で創作活動を続ける、漫画原作者・有里紅良さん がんは気合で治せる病気ではないが、気合で生き続けられる病気です

2009年11月

有里 紅良 ありさと あから 1961年、北海道生まれ。虫プロダクションに所属。フィルム編集に20年間従事し、デジタル化に伴い、引退。プロデビューした夢来鳥ねむの原作協力をするうち、本格的に作品の設定づくりに関わるようになり、自らも小説の執筆を行う。現在、有限会社La・Moonの代表取締役を務め、企画・脚本・演出と、多岐にわたるアイディア力・構成力でイベントを作り続ける しこりを1年以上放置 ...

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人生イコール、プロレス。だから腎臓1つでもリングに立つ! 腎臓がんから奇跡の復帰を果たした“絶対王者”プロレスラー・小橋建太さん

2009年10月

こばし けんたプロレスリング・ノア所属。プロ入り後、人一倍のトレーニングでプロレス界を代表するレスラーになる。01年に肘、膝など5度の手術で長期欠場。復帰後、GHCヘビー級王座を獲得すると13度連続防衛に成功し、絶対王者と呼ばれる。06年6月、腎臓がんが見つかり、7月に摘出手術。07年12月2日、日本武道館大会で546日ぶりに奇跡の復活をとげる。 腎がんで片方の腎臓を摘出したスポーツ選手が、現役...

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「命を使ってやるべきこと」に気づいたのはラッキーです 他人の痛みを自分の痛みとして感じられるようになった 元NHKキャスター/フリーアナウンサー・松本陽子さん

2009年10月

まつもと ようこ18歳で父をがんで亡くし、自らも33歳のとき、子宮頸がんを発症。闘病中に「患者さんのために、役に立つことがしたい」と決意し、当時勤務していたNHK松山放送局を退職。その後、患者・家族会「愛媛がんサポートおれんじの会」を設立。患者力の向上を目指す。がん対策推進協議会患者委員も務め、安心できるがん医療の構築に向けて奔走中。 08年に活動を開始したがん患者・家族会の「愛媛がんサポートお...

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