2014年6月
ふえだ さおり神奈川県出身。高校生から音楽活動を続け、2009年「愛とか夢とか恋とかSEXとか」をきっかけに、〝さめざめ〟の活動を開始。女の子の言えない本音を書き下ろした楽曲がインターネット上で反響を集め、2013年12月にビクターエンタテインメントよりメジャーデビュー若い女性の思いを唄う地道な音楽活動が実を結び、メジャーデビューが決まった矢先、「子宮頸がん」を告げられた。手術を経て音楽活動を再開...
2014年6月
今村浩介 さん (デザイン会社勤務)いまむら こうすけ 1963年愛知県生まれ。進学のため上京し、各種専門学校(マスコミ・広報)卒業。オペレータとしてデザイン会社アド・クリに入社し、デザイナーとして勤務。2011年小細胞肺がんが発覚し化学療法、手術などを行う。退院後、営業職に転じ現在に至る3年前に小細胞肺がんを発症、化学療法を行った後、左肺全摘手術を行うという治療を選択し無事、職場復帰を果たした今...
2014年5月
小室一男 さん (貼り絵作家)こむろ かずお 1963年成城大学経済学部卒業後、株式会社トーメンに入社し、2001年定年退職。その後、貼り絵作家として活躍。03年著書『神様どうか休息の時間を下さい』(文芸社)を出版神様どうか休息の時間を下さい [ 小室一男 ]49歳のときに腎細胞がんで手術。24年前にはそのがんは告知されなかった。しかし、5年後甲状腺に転移。そのとき初めてがんの転移であることを告げ...
2014年5月
さんしょうてい ゆめまる1945年横浜生まれ。本名・坂田宏。横浜市立金沢高校卒業後、三笑亭夢楽に入門、夢八に。1978年真打昇進、夢丸。20代からテレビの情報番組のレポーターとして、「ルックルックこんにちは」「3時のあなた」「ウィークエンダ―」など多数の番組で活躍。50代から噺家としての活動に専念し、江戸を舞台にした新しい落語の展開を図っている。趣味は釣り落語家の三笑亭夢丸さんが鼻の奥の違和感に気...
2014年5月
胃がん・食道がんと2度のがんを克服し、再起を期す「闘う政治家」の気概北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官などを歴任し、北方領土をめぐる日ロ交渉でも重責を担ってきた鈴木宗男さんは、2010年に最高裁で上告が棄却されて以来、国会議員を失職、公民権も停止され、文字どおり浪人生活中だ。胃がん・食道がんを克服し、現在、再審請求を行うとともに、国会への復帰に燃えている鈴木さんに、鎌田さんが心境を聞く。 鈴木宗男さ...
2014年4月
こばやし あな本名・小林聖子。1981年長野県生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。2004年新潟テレビ21入社。アナウンサーとして約3年活躍後、お笑い芸人としてサンミュージック所属。FMラジオNACK5「おに魂」毎週木曜20時からレギュラーパーソナリティ。趣味は1人旅、カラオケ「私、乳ガンになりました」――ストレートなタイトルでブログを綴ったのは、元女子アナウンサーで、今はお笑い芸人の小林...
2014年4月
35年間に7回がん宣告を受けた「全身がん政治家」が今、語る憂国の情文部大臣、通産大臣、官房長官、経済財政担当大臣など、政治の世界で数々の要職を歴任してきた与謝野馨さんは、初当選の翌年から35年間の長きにわたって、がんと闘ってきた。一昨年の師走選挙前に政界引退をしたが、下咽頭がん手術で一時失った声も、気管食道シャント法と呼ばれる手術で取り戻し、筋金入りの財政再建論者として、アベノミクスの行方を注視し...
2014年4月
バンド仲間の ボーカルとギター担当のデイブ(右)とロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに※編集部注:原稿枚数400字×80枚の作品を編集部で8頁に要約したものです。がんは心のアンテナを広げる好機 1987年ライブの時。Grand Funk Railroad みたいなヒッピー風にしようと、真っ赤なベルボトムで ※モノクロご容赦 1987年12月、23歳の僕は渡独し、...
2014年4月
泉 モモ さん (イラストレーター)いずみ もも 1964年東京生まれ。イラストレーターとして活躍し、2004年イタリアに移住。イタリア人とドイツ人のハーフである夫と結婚した。2011年10月、子宮体がんの告知を受け、イタリアで手術・放射線治療・抗がん薬治療を行う。2013年8月、著書『イタリアでがんになった』(PHPコミックス)コミックエッセイ出版イタリアでがんになった【電子書籍】[ 泉モモ ]...
2014年3月
斉岡明子 さん (栄養士・栄養相談室ララファミリー代表)さいおか あきこ 1936年東京生まれ。父の仕事の関係で小学3年生まで天津(中国)に。帰国後は金沢市で暮らす。「食は生命なり」を学びたく上京。女子栄養学園本科(女子栄養大学の前身)卒業。栄養士資格を取得。結婚後は大阪在住。実妹を肺がんで亡くし、予防栄養の必要性を痛感。分子栄養学などを積極的に学ぶ。これを活かすため、大阪府の助成を得て「栄養相談...