がんに伴う心の問題
落ち込み、うつ状態と上手につき合うには
明智龍男さん
あけち たつお
1964年生まれ。
専門は精神腫瘍学(サイコオンコロジー)。
2004年3月まで国立がん研究センター研究所支所精神腫瘍学研究部室長。
4月より名古屋市立大学大学院医学研究科精神・認知・行動医学分野助教授。
著書に『がんとこころのケア』(日本放送出版協会)など多数。
揺れる心が落ち着くまでに3、4カ月から1年はかかる
がんと知ったときから患者さんはさまざまなストレスにさらされます。このようなストレスに対する心の反応のプロセスには、三つの時期があることが知られています。最初は「なにかの間違いだ」と否定したり、一時的に絶望感に陥ったりする「ショック・混乱」の時期、次いで今後の生活に対する「不安」や気持ちの「落ち込み」の時期、その後、それらのストレスになんとか対処して「新たな生活へ出発」する時期。通常は2、3週間で三番目の時期を迎えるとされていますが、がんの場合は命にかかわることでもあり、図式通りにはいかないことが多いようです。
一般に、がんの患者さんの心が落ち着きを取り戻すには、多くの場合3、4カ月から1年の時間が必要、と考えられています。乳がんの患者さんを対象に、海外で行われたいくつかの調査結果をまとめてみると、術後1、2年までは専門的な心のケアが必要な人も少なくありません。経過が良好なら心の問題も軽減していき、3~5年ほどで落ち着いてきますが、経過中に再発などを経験すると、再度心理的な苦痛が増大するといえます。がんを体験した人の心は当たり前に揺れ、それが癒されるまでには長い年月が必要なのです。
前向きにがんと取り組むには、周囲の援助が欠かせない
強いストレスに際して、人はなんらかの方法で心の衝撃を和らげようとします。つらいことがあると考えるのをやめたり、だれかと一緒に過ごしたりするのはその一例です。このような心の働きを心理学や精神医学の分野では「コーピング」(対処)と呼んでいます。
一方、ストレスを克服するときのもうひとつの重要な要素が、「ソーシャルサポート」と呼ばれる周囲からの援助です。
国立がん研究センターで調査したところ、「病気についてくよくよ考えない」「がんになってから人生の貴さに気づき、人生をこれから築いていこうと思う」など「前向きなコーピング」の姿勢をとる患者さんに共通していたのは、(1)身体的機能が良好、(2)同居家族がいる、(3)担当医師の心理的援助がある、(4)周囲の援助に対する満足感が高い、という四つの要因でした。
がんと向き合い、前向きな心がまえで過ごすためには、医師や家族、友人など、周囲からの温かい援助が欠かせないといえるでしょう。
乳がんや婦人科がんなら、乳房や子宮などの喪失、手術の傷跡、リンパ浮腫、ホルモン療法や卵巣摘出による閉経、更年期症状、不妊、再発への不安、経済的問題、家庭や仕事における役割の変化など、様々なストレスを抱えることになりますが、医療者からは「仕方ないですね」と片付けられてしまうことが多いのが現状ではないでしょうか。
心の専門家だけでなく、がん治療にあたる医師や看護師さんにも、心の問題に対してぜひ目を向けて、患者さんの思いを理解していただきたいものです。
専門家による心のケアが必要な患者さんは1~4割
なかには、心の専門家による治療が必要なこともあります。うつ病(重い落ち込み、抑うつ)や適応障害(軽度から中等度の不安や落ち込み)などの状態になった場合です。
国立がん研究センターで、肺がん、頭頸部がん、乳がん(再発)の患者さんを対象に調べたところ、治療が望まれるケースは、肺がんでは手術可能な人の9パーセント、手術不能な人の19パーセント、頭頸部がんでは17パーセント、再発の乳がんでは42パーセントでした。
その方々の心の問題はおもに抑うつと不安であり、治癒が望める場合でも10人に1人、治療が難しい場合は5人に1人、再発の場合は心理的な衝撃がもっとも強く、2人に1人は心の治療が必要なのです。
落ち込み度をチェック! 憂うつな日が2週間以上続いたら要注意
うつ病(重い落ち込み、抑うつ)は、ストレスや喪失体験によって起こる精神的な反応です。患者さん自身が苦痛を訴えることが少ないため、医療者にも見逃されやすいのが特徴です。
適応障害(不安や落ち込み)は気持ちがふさいだり、不安感にさいなまれたりして、ぐっすり眠れなくなったり、家事、仕事が手につかなくなる状態です。不安感を主体とする場合と、うつ病の軽症タイプともいえる抑うつ気分を主体とした場合がありますが、多くの場合は、不安と抑うつが一緒にみられます。
とくに「重い落ち込み」であるうつ病の状態では、専門家によるケアが望まれますので、うつ病かどうか見分けるために、下の表でチェックしてみてください。
表の中で「赤信号」との判定が出た方は、心に激痛を感じている状態といえるでしょう。
YESの数が少なくても、夜眠れない、仕事や家事が手につかないなど、日常生活に影響するような不安や落ち込みなどが続く「黄色信号」の方は、心が悲鳴をあげている状態です。
どちらの場合も、心の専門家に相談することをおすすめします。
相談先は、大学病院、総合病院、クリニックの精神科や心療内科の医師や臨床心理士などがよいかと思いますが、どこに行ってよいか迷われる場合は、まず担当医や担当看護師に相談されてはいかがでしょうか。
専門家を受診される場合、主治医の紹介状は必須ではありませんが、病気の状態や現在行っている治療法などを専門家に知ってもらい、よりよい心のケアを受けるためにも、できるだけ持参されることをおすすめします。
大学病院などでは研究や教育のために、複数の医師が同席することがあり、微妙な心の悩みなど話せない、という患者さんの声も聞かれます。あらかじめ診療前に、希望を伝えておくとよいでしょう。
また、医師との相性が悪かったり、自分の気持ちが理解してもらえないと感じられるような場合には、他の医療機関や医師をあたってみてはいかがでしょうか。
A まず次の2項目にYESかNOで答えてください。
(1) 1日の大半を憂うつに感じたり、落ち込んだりすることが、毎日のように2週間以上続く。
(2) 最近、ほとんどのことに興味をなくし、いつもは楽しんでいたことが楽しくなくなった。
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(1)、(2)の両方またはどちらかにYESと答えた方はBに進みます。
B 次に7項目をチェックします。
(3)~(9)の各項目について、毎日のように続く場合はYESと答えてください。
(3) ここ1カ月で体重が5%以上減った、または食欲がない。
(4) 眠れない状態が毎晩のように続いている。
(5) ほかの人が気づくほどそわそわと落ち着かない、ふだんと比べて話し方や動作が遅い。
(6) 気力がなく、疲れている。
(7) 自分自身のことを価値がないと感じたり、過去にしたこと、しておかなかったことについて後悔する。
(8) 考えたり集中することが難しい。ふだんできていた日常のことがらを決めるのが難しい。
(9) ものごとがうまくいかないので、死ぬことを何度も考える。死んだほうがましだと思う。
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判定
Aの(1)と(2)の両方またはどちらかがYESの場合、Bの(3)~(9)を合わせて全部で5つ以上がYESの方は赤信号。
やや重い抑うつ状態(うつ病)の可能性がありますから、心の専門家に相談することをおすすめします。
(注)このチェック表は国際的なうつ病の診断基準を基本にしたものですが、がんの患者さんの抑うつ状態の程度を知る目安にもなります。