彼女の志と夢を受け継いだ「リブ・フォー・ライフ美奈子基金」のユニークな患者支援活動 白血病で逝った本田美奈子.さんの志が生んだ「いのちのバンダナ」

取材・文:吉田健城
発行:2010年4月
更新:2020年9月

  
NPO法人「リブ・フォー・ライフ美奈子基金」副理事長の
高杉敬二さん

白血病が治ったあかつきには、同じ病気に苦しむ人たちに夢と希望を与えられるような活動がしたい――。
これが今年デビュー25周年を迎えるはずだった人気歌手・本田美奈子.さんの想いであり、夢であった。
その志と夢は今、NPO法人「リブ・フォー・ライフ美奈子基金」に引き継がれ、がん患者さんへのバンダナプレゼントにつながっている。

苛酷な治療の中で生まれたLFL活動のアイデア

「LIVE FOR LIFE(リブ・フォー・ライフ、以下LFLと略)」は、本田美奈子.さんが白血病との闘病中に設立を思い立った、白血病などの難病に苦しむ患者とその家族を支援する組織である。彼女がこのような組織を作ろうと思ったのは、同じ病棟に苛酷な治療に耐える多くの仲間がいることを知り、元気になったら彼らに生きる勇気と希望を届ける活動を行いたいと思ったからだ。

しかし、このアイデアを実現させたくてもできなかった。彼女の白血病は急性骨髄性白血病の中でも極めて治療が難しいとされる6番目と9番目の染色体に異常が生じるt(6、9)転座型だった。どれだけ治療が難しかったかは通常1度の抗がん剤治療で7割前後が寛解(骨髄中の白血病細胞が5パーセント以下になること)になる初期治療が、3回目の抗がん剤治療でようやく寛解になったという事実を語るだけで十分だろう。

寛解になったところですぐに骨髄移植が行われることが望ましいが、本田さんの場合、親兄弟にHLA型(白血球の型)が合う人がいなかったため骨髄バンクに望みを託した。探したところ、6座完全一致の人が見つかったがすでに2人の患者さんが待機していたため受けることができず、臍帯血移植を受けることになった。これが功を奏して本田さんは退院の運びとなる。

しかしそれも束の間、1カ月後の検診で再発が確認されたため、ただちに再入院。新しい抗がん剤が効いていったんはがん細胞が消えたかに見えたが、ほどなく再発して11月に還らぬ人となった。

本田美奈子.さんの志を受け継ぎ、NPO法人

写真:本田美奈子.さん
2010年デビュー25周年を迎えた本田美奈子.さん

通常、人の志は、その死とともに過去のものになる。しかし、本田さんの場合は違った。その志を引き継いで実現させよう、という人たちがいたからだ。その中心となったのが、彼女の育ての親である高杉敬二さん(株式会社ビーエムアイエグゼクティブプロデューサー、LFL副理事長)である。

「本田は自分が亡くなるとは全然思っていなくて、カムバックしたら、LFLをライフワークとして活動していくつもりでした。本田のこの想いを引き継ごう、ということでNPO法人をたちあげたんです」(高杉さん)

LFL設立後、高杉さんは06年の『~本田美奈子.追悼~白血病撲滅チャリティコンサート』を皮切りに、骨髄移植推進財団(日本骨髄バンク)等と協力し、ドナー(臓器提供者)数を増やすことを目的としたチャリティイベントや啓発活動を具体化させていく。

高杉さんがこだわった手法は、本田さんが生きているという想定でさまざまな企画を推進することだった。

「我々は本田が生きているものとして活動しているので、ファンクラブもそのまま残しているんです。本田が亡くなってからもファンクラブの会員になられる方は増え続けていて、この4カ月の間にファンクラブから2人のドナーが出ています。本田の想いが、伝わっているんじゃないでしょうか」(高杉さん)

本田さんが亡くなった06年には19万8千人だったドナー登録者数は09年に約38万人に増加しているが、これにLFLは多大な貢献をしている。次は、ドナー数50万人が目標という。

患者へのプレゼント活動がバンダナになった背景

LFL作成バンダナ

LFLが最近力を入れているのが、抗がん剤治療でつらい思いをしているがん患者にバンダナをプレゼントする活動だ。高杉さんががん患者、とくに女性の患者さんに1番喜ばれるグッズとしてバンダナを選んだのは、本田さんが無菌室に入っていたとき1番喜んだ差し入れだったからだ。

「彼女がバンダナを喜んだのは抗がん剤で頭の毛が抜けるのに、無菌室ではカツラをつけることが禁止されていたからです。だから、バンダナでショックを和らげていたという事情があります。でも、それだけじゃなかったんですね。髪の毛が抜けてしまっているので毛穴から出た抗がん剤が枕にしみ込んで、その匂いがたまらなくいやなんだそうです。それで夜も寝られなくなることがあるので、バンダナが必要だったんです。本田は神経質だったので1日5、6枚使っていました。部屋の中で色やデザインの違うものをいくつも並べてパジャマの色に合わせて使うなど、いい気晴らしにもなっていたようです」(高杉さん)

LFLが製作したバンダナは白地に赤で、本田さんが生前好きだった四つ葉のクローバーと「アメイジング・グレイス」の楽譜があしらわれており、『勇気を与える』デザインとなっている。素材も、綿100パーセントの、皮膚に優しいガーゼに近い素材が使われている。

都立駒込病院でバンダナ贈呈式

写真:都立駒込病院で行われたバンダナ贈呈式
2010年2月、都立駒込病院で行われたバンダナ贈呈式

このバンダナを患者さんにプレゼントする活動は昨年から始まり、プレゼント数は年間約1万枚を予定しているという。今年は2月15日に東京の都立駒込病院でバンダナの贈呈式が行われた。同病院が選ばれた理由は、これまでに手がけた骨髄移植数が800例を超すなど血液がんの治療に力を入れていることだ。駒込病院は現在200億円を投じた大規模な改修工事を行っており、数カ月後には新しい無菌室も誕生する。無菌室は、長期間無菌室で生活する患者さんが少しでも生活しやすいようにと開放的で個室に近い部屋を設計したという。

贈呈式は本田美奈子.さんの母、工藤美枝子さんから佐々木常雄院長、坂巻壽副院長にバンダナ200枚が手渡され、病院を通じてがん患者に贈られる。

佐々木院長、坂巻副院長ともに化学療法の名医だけにバンダナという抗がん剤治療中の患者さんが必要としているグッズに着目した点を高く評価した。

「白血病の闘病は、トコトン闘わないといけないので前向きにがんばろうという気持ちが大切です。患者の皆さんは、テレビその他で本田さんが白血病と闘われたことはよく知っているのでこのプレゼントはすごく喜ぶと思います」(佐々木院長)

「日本造血細胞移植学会の会長をしていたとき、本田さんが元気になられたら、ぜひご協力いただこうと思って具体的な計画を立てたことがあるのですが、残念ながらその計画は実現しなかったんです。ですから4年たった今、本田さんの想いが込められたバンダナを贈呈していただけることに、感慨深いものがあります」(坂巻副院長)

LFLは今後、海をイメージしたブルーの色や小児患者を対象にキャラクターをあしらったバンダナも製作する計画だ。

また、今年5月からの提供スタートを計画しているのは、白血病などの難病に苦しむ子供を対象に本田さんの言葉を使った絵本のプレゼントだ。

闘病中の子供に絵本とリーディングの軍団を

本田美奈子.さん作の絵本

小児がん病棟への提供を予定している本田美奈子.さん作の絵本

「絵本は、全10巻で考えています。本田は白血病と闘っている間、早く元気になりたいという気持ちを込めて、詩のようなタッチの短文をたくさん書いていました。それを絵本化しようと考えています」(高杉さん)

『小さな幸せ』というタイトルの絵本を見せていただいたが、その中には、生きることの素晴らしさ、つらいとき、泣きたいときの真情が綴られており、高杉さんがいう心のサプリメントにはピッタリの内容だ。

この絵本を闘病中の子供たちに届けようというわけだが、闘病中は自力で本を読む気力すらない子供も多い。そんな子供たちに対して、多くの有名タレントを誕生させてきた高杉さんらしいサポートも計画中のようだ。

「絵本を届けるだけでなく、歌手や役者さんにご協力をいただいて絵本を読んであげる軍団を作ろうと思っています。直接行けない場所は、動く絵本をおさめたDVDを絵本に添付しようと思っています」(高杉さん)

アメリカでは、がん医療の啓発活動やチャリティの面でセレブリティ(有名人)が大きな役割を果たすことが当たり前になった感がある。一方、日本を見ると、セレブリティががんを公表するケースは多くなったものの、積極的な役割を果たすケースは稀だ。

「有名人が苦しんでいる人を支援していくのは、偽善でもなんでもない当たり前のことだと思うんです。心の片隅のどこかに、偽善という思いがあるからなかなか1歩を踏み出せないんです。1歩踏み出すと、気持ちがいい。やってよかった、と思うんです。そういう方が1人でも多くなるような、セレブリティの活動もサポートしていければと思っています」(高杉さん)

LFLの活動は闘病中の患者さんへのサポートやドナー数の増加に貢献しているだけでなく、本当の意味でのチャリティ精神が根付いていない日本の芸能界の土壌を変える上でも大きな役割を果たしていくような気がしてならない。

工藤美枝子さん(本田美奈子.さんの母)の回想

親にとっての無菌室――泣きたくても、笑顔でいなくちゃいけないの
工藤美枝子さん

工藤美枝子さん
(本田美奈子.さんの母、LFL特別顧問)

05年1月、美奈子は突然白血病を宣告されて即無菌室で抗がん剤治療を受けることになりました。それからは2カ月間ガラス越しに電話で話す毎日でした。 初めは心の準備もできていませんから無菌室にいる美奈子を見たときはショックで、ガラス越しに手を合わせて泣きました。しかし、それでは母親失格です。涙を見せると本人も病気が悪いのではないかと思ってしまうので、それからは、どんなに心配なときでも涙を見せず、笑顔を絶やさないようにしました。

それだけでなく先生から、笑わせると免疫力を高めると言われていたので、病院に向かう電車の中ではどうやって美奈子を笑わせようかとあれこれ考え、前の晩からテレビを見てネタを仕入れるようなことまでしていました。

美奈子が入院してから私は毎日帰宅後日記を書いていたのですが、書いているとどうしても涙が出てきます。それでも、楽しく書けばあとで美奈子と一緒に笑える材料になると思って「似てるな~、これ」などと、笑いをとれるような書き方をしていました。

奈子が無菌室にいたとき、1番つらかったのは1度目どころか2度目の抗がん剤投与でも寛解にならず、「次、抗がん剤が効かなかったらちょっと難しいですよ」という感じで言われたときです。ですから3回目をやるときは胸が締め付けられるようでしたが、この3回目でようやく寛解になったのでホッと胸をなでおろしました。

それだけに、2カ月で無菌室を出られるようになったときの喜びはひとしおでした。美奈子は嬉しくて自分の足で歩いて別の部屋に移りました。大半の患者さんは体力が弱りきっているので車椅子が必要になるそうですが、美奈子は復帰に備えて無菌室の中でも最低限の運動だけはしていたからできたんだと思います。

自分自身もつらい経験をしているだけに、美奈子はほかの患者さんが無菌室にいるのを見るのがつらかったようです。美奈子の無菌室は無菌室の並ぶフロアの1番奥にあって、途中に7つ無菌室があるんですが、その中には小学生や中学生の子供もいるんです。その子たちも自分と同じ治療を受けているわけですから気の毒で仕方がなかったようです。

自分が元気になったら、「あの子たちを絶対に元気づけるんだ」って言ってましたね。その想いが、「リブ・フォー・ライフ」の設立につながっているんです。

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