あるがん患者さんから生まれた言葉が種となり、歌という名の花が咲いた
「一粒の種」になった命が今、生きることのすばらしさを教えてくれる

取材・文:常蔭純一
発行:2009年10月
更新:2014年1月

  

あるがん患者さんが発した言葉の種を、看護師である高橋尚子さんが大切に受け取った。
やがてその言葉にメロディがつけられ、たんぽぽの綿毛をもった「一粒の種」は今、歌手の砂川恵理歌さんの歌声によって届けられている。
楽曲「一粒の種」には、それぞれの人生や生きることのすばらしさが溢れている。

患者を思うと言葉が溢れてきた

それは死を目前にした、ある1人の男性がん患者の悲痛な心の叫びから始まった。

「それまで数え切れないほどの患者さんと接してきましたが、あれほど大きな涙を見たことはありませんでした。その大粒の涙が、まるでスローモーションビデオを見るようにゆっくりとポタリ、ポタリと病室の床に落ちていく。その光景に直面して、患者さんのその言葉が我がことのように心に響いたのです」

と、その患者の訴えを受け止めた看護師、高橋尚子さんはそのときの状況を振り返る。

神奈川県の大学病院で働いていた高橋さんが耳鼻科から内科に転属になり、その患者、中島正人さん(当時46歳)を受け持つことになったのは03年9月のことだった。中島さんは前立腺がんの再発で以前同じ病院に入院、そのときはがんの治療も受けていたが今回は余命3カ月の宣告を受けていた。

そのこともあるのだろう。初対面の挨拶に高橋さんが病室を訪ねたとき、中島さんは丸刈りの頭をなでながら「出家しました」と話していたという。

中島さんは、老いた両親を気遣って1人で病気と闘いながらも体の痛みや心の不安を口にすることはまったくなかった。逆に看護スタッフを気遣って、患者の食事の配膳、下膳を手伝い、同室の患者にお茶を配る気遣いもしていた。高橋さんには、そうした中島さんの振る舞いが強く印象に残っていたという。

「死を目前にしているのに、中島さんはまるで何ごとも起こっていないかのように生きている。なぜあんなに冷静で、人に優しくいられるのか、不思議でなりませんでした」

しかし、実は中島さんは激しく生を希求し続けていた。しばらく後、検温に中島さんの病室を訪れたとき、高橋さんはそれまでの中島さんの振る舞いからは想像もつかない壮絶な光景を目のあたりにする。

「点滴台にしがみつくようにして体を震わせながら、『死にたくねえ』と訴えていました。一粒の種になりたい、一粒の種になって生き続けたい、と叫び続けていたんです。そこには老いた両親に先立つ無念、命の連鎖が途絶えることの恐れ、それに何より純粋に生を願う気持ちがこめられているように感じられました」

「一粒の種」―そのひとことを聞いて、高橋さんは中島さんの心の叫びを受け止めようと、ただ中島さんに寄り添い続けた。そして中島さんに代わって、多くの人に一粒の種を撒こうと決意したという。その日の夜、中島さんは危篤状態に陥り、3日後に息を引き取った。数日後、高橋さんは自らが受け止めた中島さんの気持ちを書き綴る。

――一粒の種になりたい。ちっちゃくていいから 一粒の種になりたい。俺の命の一粒の種になりたいよ……。

「少し前に、私自身にも生死を考える体験があったからでしょう。中島さんを思うと、とめどなく言葉が溢れてきた。その言葉を書きとめると、詩ができていたのです」

こうして「一粒の種」という言葉は一篇の詩になった。それは命の尊さ、生きる素晴らしさを伝える「心のリレー」のバトンが中島さんから高橋さんへと引き継がれたことを意味している。

患者になって患者の心を知った

高橋さんが言う「生死を考える体験」とは、その年の2月から1カ月間、自らが患者になった状況を指している。その前年の12月、郷里の沖縄、宮古島から上京して20数年間で初めて高橋さんは体の異変に見舞われる。

「その日は日勤、深夜勤という仕事のシフトでした。日勤を終えて自宅で休憩していると、突然、下腹部に激痛が起こりました。勤務している大学病院に駆け込み、診察を受けると右側の卵巣にできていた腫瘍が破裂していたことがわかったのです」

治療にともなって行われた細胞診の結果は、芳しいものではなかった。「やっかいなことになった」という医師の言葉に、高橋さんは最悪の事態を覚悟。そうして都内のがん専門病院にセカンドオピニオンを依頼し、本格的な検査を受診する。

「細胞が異形化しているといわれましたが、腫瘍が良性か悪性かは、もう1度、開腹して組織を調べなければわからないとのことでした。2人の子どものうち下の子はまだ中学生で母親を必要としています。私自身もどっちつかずの状態では、これからの生き方を決められない。それで危険を承知で再度、開腹して白黒をはっきりさせたいと思ったのです」

と、高橋さんは述解する。

そうして高橋さんは、その病院の婦人科がん病棟に入院、90名近いがん患者と日々をともにし始める。それは高橋さんにとって、試練の場であると同時に、1人の看護師としての成長の場でもあったという。

「患者さんの本当の気持ちをわかっていなかったことを痛感せざるを得ませんでした。たとえば抗がん剤治療を受けた人にはシャーベットやところてんなど、さっぱりした食事を勧めてきました。でも、実際にはアンパンやジャムパンなど、味の濃いものが食べたくなるんです。医師から病状説明を受けたときに、頭が真っ白になることも実感できました」

そうした日々の中で、高橋さんは同じ病棟に入院するがん患者の強さをも実感する。

「病棟のシンクには、何10個ものザルが置いてある。抗がん剤治療を受けると、洗髪時に大量に髪が抜け落ちます。その髪で排水溝をつまらせないために、全員がザルを使っているんです。患者さんのなかには洗髪後、ザルに残った髪を見て『シャンプーが楽になった』と笑っている人もいる。その明るさ、すべてを許容する強さには敬服せざるを得ませんでした」

そして何より高橋さんが感銘を受けたのが、彼女たちの生を願う思いの強さだ。同じ病室には3回、がん宣告を受けた患者や、抗がん剤治療と手術を繰り返し、4度開腹している患者がいたが、2人とも何があっても生き続ける、と話していた。そんななかで高橋さんも「どんなに切り刻まれてもいいから生き続けたい」と生を希求し、もう1度白衣をまとい、患者と接したい、と仕事への思いを募らせた。

手術から2週間後、検査結果が明らかになった。病室を訪ねた医師の言葉は「良性でした」というものだった。そうして周囲のがん患者の拍手に送られながら、高橋さんの1カ月間の患者生活は終わりを告げた。しかし、その体験は今も高橋さんのなかで生き続けている。

「あの経験があったから、中島さんの気持ちを受け止められた。『一粒の種』を書くこともできたように思います」

と、高橋さんは語る。

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