2010年12月
安田 春雄 やすだ はるお 1943年1月19日生まれ。東京都世田谷区出身。師匠は中村寅吉プロ。18歳でプロ入り。初優勝は68年の中日クラウンズ。その後、ダンロップ、日本マッチプレー選手権などを制し国内通算15勝。海外でもフィリピンオープンなどで3勝。93年にシニア資格を得てからはTPCシニア、旭国際ヴィンテージなどで優勝。70~80年代に『安田春雄の実戦ゴルフ』などレッスン番組でも活躍 咳が...
2010年11月
下咽頭がんの治療によって、唾液停止、味覚障害が出てしまった川本さん。治療が進むにつれて、食欲低下、喉の痛みなど、さまざまな副作用が川本さんを襲ってきます。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現代書館)、『中高年からはじめる男の料理術』(平凡社新...
2010年11月
細谷真美さん (心と体の癒しのサロン「Mamiy」経営) ほそや まみ 高校時代にスカウトされ、モデルとしてショーやCMなどで活躍。大手電機メーカーのOLを経て、24歳で結婚、専業主婦に。44歳のときに右胸に、49歳のときに左胸に乳がんが発覚。その後、子宮筋腫と卵巣嚢腫を患い、左右の乳房と子宮、卵巣を切除。がんを機に、自分の人生を振り返り、離婚し、現在はセラピストとして、心と体の癒しのサロン「M...
2010年11月
かせ くにひこ1941年3月6日生まれ。東京都出身。慶応義塾大学在学中からバンドを始め、63年「寺内タケシとブルージーンズ」に加入、66年「ザ・ワイルドワンズ」を結成し、絶大な人気を得る。解散後は作曲家、音楽プロデューサーとしても活躍。81年ザ・ワイルドワンズを再結成し、現在も多彩な音楽活動を展開中。 食道がんは、自覚症状が出にくいため、早期発見が難しいうえに進行も速い。しかも、根治を目指すには...
2010年11月
がんの症状が出たときにはすでに進行中なのです 政治・経済から医療・宇宙まで、多彩な分野で評論活動を続け、「知の巨人」と言われる立花隆さんは、現在、東京大学病院で膀胱がんの治療を受けている。その東大病院放射線科准教授として放射線治療をリードし、緩和ケア診療部長を兼務しているのが、中川恵一さんである。おふたりにがんについて徹底対論していただいた。 たちばな たかし1940年、長崎市生まれ。1...
2010年10月
下咽頭がんの治療に当たって、抗がん剤と放射線治療を組み合わせた方法で、声を失わずにすんだ川本さん。しかし、治療が始まるや否や、口の中のある重大な副作用に悩まされることになります。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現代書館)、『中高年からはじめ...
2010年10月
にしかわ みねこ旧芸名・西川峰子。1958年5月23日生まれ。福岡県田川郡出身。1973年に全日本歌謡コンテストで優勝、1974年に演歌歌手としてデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦に出場するなど一躍、人気歌手となり、数々のヒットを飛ばす。その後、女優として映画やテレビドラマなどにも出演。現在、タレントとしても活躍中。 命にかかわらないがんでも、職業的な生命が脅かされることが...
2010年9月
大腸がんの治療が終わり、いよいよ下咽頭がんの治療を受けることになった川本さん。そこで川本さんはある治療法を選択します。抗がん剤と放射線治療とを同時並行して行う〝化学放射線療法〟という方法です。手術と違って、声を失わずにすむ治療法だったのです。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリ...
2010年9月
中野咲子さん (仮名 41歳 在宅療養中) なかの さきこ 1969年生まれ。35歳のときに左乳房にがんが発覚。全摘手術を受け、その後放射線治療およびホルモン療法を実施。06年に再発、現在も抗がん剤治療を続けている 娘の存在が前向きに生きる原動力に 娘さん1歳のときの写真。中野さんにとって娘さんは、かけがえのない存在であり、かつ「一緒にがんと闘ってきてくれた戦友」でもある 埼玉県にある...
2010年9月
たてかべ かずや本名・立壁和也。1934年7月25日生まれ。北海道喜茂別町出身。日本大学芸術学部卒業後、芸能界入り。1960年代から声優として数多くのテレビ番組、映画、テレビゲームなどに出演。国民的人気アニメ『ドラえもん』のジャイアン役を26年間務め、不動の人気を得る。現在、ケンユウオフィス取締役 たてかべ和也さんは自分のことを「不謹慎ながん患者」と言う。自分の病期を覚えていなかったうえ、抗がん剤...