闘病記

手術でできた首の傷は、私の山あり谷あり人生の勲章です たちの良い甲状腺がんでも、歌手生命を脅かされるまでの経験をした歌手・仁支川峰子さん

2010年10月

にしかわ みねこ旧芸名・西川峰子。1958年5月23日生まれ。福岡県田川郡出身。1973年に全日本歌謡コンテストで優勝、1974年に演歌歌手としてデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦に出場するなど一躍、人気歌手となり、数々のヒットを飛ばす。その後、女優として映画やテレビドラマなどにも出演。現在、タレントとしても活躍中。 命にかかわらないがんでも、職業的な生命が脅かされることが...

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ただし放射線治療の影響で耳下腺機能が低下、口の中がカラカラに抗がん剤+放射線治療で手術を回避、声も温存

2010年9月

大腸がんの治療が終わり、いよいよ下咽頭がんの治療を受けることになった川本さん。そこで川本さんはある治療法を選択します。抗がん剤と放射線治療とを同時並行して行う〝化学放射線療法〟という方法です。手術と違って、声を失わずにすむ治療法だったのです。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリ...

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「人ありてこそ、我あり」の姿勢が、がんを追い払う強運をもたらした スキルス胃がんの手術後も声優業を精力的に続ける声優界のベテラン・たてかべ和也さん

2010年9月

たてかべ かずや本名・立壁和也。1934年7月25日生まれ。北海道喜茂別町出身。日本大学芸術学部卒業後、芸能界入り。1960年代から声優として数多くのテレビ番組、映画、テレビゲームなどに出演。国民的人気アニメ『ドラえもん』のジャイアン役を26年間務め、不動の人気を得る。現在、ケンユウオフィス取締役 たてかべ和也さんは自分のことを「不謹慎ながん患者」と言う。自分の病期を覚えていなかったうえ、抗がん剤...

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がんと歩んだ6年間は、深い絆で結ばれた2つの魂による巡礼の旅のよう 母子二人三脚で離婚、乳がん、再発と闘う

2010年9月

中野咲子さん (仮名 41歳 在宅療養中) なかの さきこ 1969年生まれ。35歳のときに左乳房にがんが発覚。全摘手術を受け、その後放射線治療およびホルモン療法を実施。06年に再発、現在も抗がん剤治療を続けている 娘の存在が前向きに生きる原動力に 娘さん1歳のときの写真。中野さんにとって娘さんは、かけがえのない存在であり、かつ「一緒にがんと闘ってきてくれた戦友」でもある 埼玉県にある...

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「拷問」と感じる患者の立場、淡々と管を挿入する医師の立場思いもかけない腸閉塞で事態は急変

2010年8月

術後の回復も順調で、食事も3分粥、5分粥と順調にいっていた川本さん。ところが、急に事態は一変します。術後腸閉塞を起こしてしまったのです。この腸閉塞改善の施術をめぐって、患者の立場と医師の立場で大きな違いが……。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』...

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乳がんになって、改めてオッパイの持つ大きな価値に気づかされました 「あげ乳」経験のある林家一門のおかみさん・海老名香葉子さんの乳がん顛末記――

2010年8月

えびな かよこエッセイスト。1933年、東京・本所(現・墨田区)に生まれる。45年の東京大空襲で、家族6人を失う。52年に落語家の林家三平(初代)と結婚。2男2女の母。夫の死後、30人の弟子を支え、マスコミでも活躍。著書に、『ことしの牡丹はよい牡丹』(文春文庫)、『お咲ちゃん』(徳間書店)、『玉ねぎコロリン』(共同通信社)、『うしろの正面だあれ』(金の星社)などがある。 夫の林家三平師匠(初代)...

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47歳でサルサにのめり込んだ元敏腕芸能プロデューサーの体からがんが消えた…… 踊ることによって、内なる生命力を呼び覚ました!?

2010年8月

渡部洋二郎さん (「サルサ・ホットライン・ジャパン」代表) わたべ ようじろう 1948年生まれ。大学卒業後、大手芸能プロダクションに入社。山下久美子、大沢誉志幸など数多くのミュージシャンの宣伝やプロデュースを手がける。その一方で30代のときにサルサと出合い、サルサのおもしろさにのめり込み、自らも踊る傍ら、97年に現在の「サルサ・ホットライン・ジャパン」を設立、サルサのPR活動を始める。2005...

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体調は徐々に回復するも、術後の痛みに悩まされる大腸がんの手術は無事に成功

2010年7月

とうとう迎えた大腸がんの手術当日。川本さんは平静にその日を迎えます。手術は無事成功。転移も見られませんでした。体調は徐々に回復していきますが、想像以上の術後の痛みに川本さんは悩まされることになります。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現代書館...

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夫婦二人三脚で成人T細胞白血病克服を目指す 前宮城県知事・浅野史郎さん 闘病中に最も心の支えになったのは妻です

2010年7月

浅野 史郎 あさの しろう 慶応義塾大学総合政策学部教授。1948年2月8日生まれ。宮城県仙台市出身。東京大学法学部卒業後、厚生省(現厚生労働省)に入り、生活衛生局企画課長などを歴任。93年11月、宮城県知事に当選。2005年11月まで3期務める。06年4月から現職。テレビのコメンテーターとしても活躍している。趣味はジョギング 「くすぶり型」が「急性型」に転化 成人T細胞白血病(ATL)は、H...

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死に対する恐怖心を感じないのは物理学的死生観のお陰 患者にとって必要な情報を――副作用に苦しんだ自身の体験を克明に公開

2010年7月

豊田博慈さん(元物理教師) とよだ ひろし 1930年東京新宿区生まれ。東京教育大学理学部に進学し、理論物理学を学ぶ。卒業後は都内の中学・高校で教鞭をとるかたわら、戦後初めて旧ソ連の物理教育を日本に紹介、この分野のパイオニア的存在に。2001年前立腺がんを発症。重粒子線治療を受ける傍ら、自らの治療体験をホームページで公開している 自身のがん治療記録をホームページ上で公開 その克明な記述と豊富な...

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