闘病記

「拷問」と感じる患者の立場、淡々と管を挿入する医師の立場思いもかけない腸閉塞で事態は急変

2010年8月

術後の回復も順調で、食事も3分粥、5分粥と順調にいっていた川本さん。ところが、急に事態は一変します。術後腸閉塞を起こしてしまったのです。この腸閉塞改善の施術をめぐって、患者の立場と医師の立場で大きな違いが……。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』...

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47歳でサルサにのめり込んだ元敏腕芸能プロデューサーの体からがんが消えた…… 踊ることによって、内なる生命力を呼び覚ました!?

2010年8月

渡部洋二郎さん (「サルサ・ホットライン・ジャパン」代表) わたべ ようじろう 1948年生まれ。大学卒業後、大手芸能プロダクションに入社。山下久美子、大沢誉志幸など数多くのミュージシャンの宣伝やプロデュースを手がける。その一方で30代のときにサルサと出合い、サルサのおもしろさにのめり込み、自らも踊る傍ら、97年に現在の「サルサ・ホットライン・ジャパン」を設立、サルサのPR活動を始める。2005...

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乳がんになって、改めてオッパイの持つ大きな価値に気づかされました 「あげ乳」経験のある林家一門のおかみさん・海老名香葉子さんの乳がん顛末記――

2010年8月

えびな かよこエッセイスト。1933年、東京・本所(現・墨田区)に生まれる。45年の東京大空襲で、家族6人を失う。52年に落語家の林家三平(初代)と結婚。2男2女の母。夫の死後、30人の弟子を支え、マスコミでも活躍。著書に、『ことしの牡丹はよい牡丹』(文春文庫)、『お咲ちゃん』(徳間書店)、『玉ねぎコロリン』(共同通信社)、『うしろの正面だあれ』(金の星社)などがある。 夫の林家三平師匠(初代)...

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体調は徐々に回復するも、術後の痛みに悩まされる大腸がんの手術は無事に成功

2010年7月

とうとう迎えた大腸がんの手術当日。川本さんは平静にその日を迎えます。手術は無事成功。転移も見られませんでした。体調は徐々に回復していきますが、想像以上の術後の痛みに川本さんは悩まされることになります。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現代書館...

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死に対する恐怖心を感じないのは物理学的死生観のお陰 患者にとって必要な情報を――副作用に苦しんだ自身の体験を克明に公開

2010年7月

豊田博慈さん(元物理教師) とよだ ひろし 1930年東京新宿区生まれ。東京教育大学理学部に進学し、理論物理学を学ぶ。卒業後は都内の中学・高校で教鞭をとるかたわら、戦後初めて旧ソ連の物理教育を日本に紹介、この分野のパイオニア的存在に。2001年前立腺がんを発症。重粒子線治療を受ける傍ら、自らの治療体験をホームページで公開している 自身のがん治療記録をホームページ上で公開 その克明な記述と豊富な...

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若くして乳がんになっても、私は、生・き・る

2010年7月

初発30歳がんになって、以前よりずっと行動的な人間になった気がします堀内祥子さん(仮名 30歳) 平成21年、30歳になったのを機に受診した乳がん検診で、がんが見つかる。乳がんについての猛勉強と患者会の助言を参考に、自分の納得のいく病院で乳房温存手術。その後は放射線治療を受けた 抽選で当たって受けた乳がん検診 乳がんの告知を受けたのは平成21年11月のことです。きっかけは市の乳がん検診でした。市の...

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夫婦二人三脚で成人T細胞白血病克服を目指す 前宮城県知事・浅野史郎さん 闘病中に最も心の支えになったのは妻です

2010年7月

浅野 史郎 あさの しろう 慶応義塾大学総合政策学部教授。1948年2月8日生まれ。宮城県仙台市出身。東京大学法学部卒業後、厚生省(現厚生労働省)に入り、生活衛生局企画課長などを歴任。93年11月、宮城県知事に当選。2005年11月まで3期務める。06年4月から現職。テレビのコメンテーターとしても活躍している。趣味はジョギング 「くすぶり型」が「急性型」に転化 成人T細胞白血病(ATL)は、H...

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飄々とした生き方こそがんとの付き合い方の見本 俳優・藤村俊二 × 鎌田 實

2010年7月

「がんばらない」から「がんばる」生き方への「オヒョイ」流転換 早稲田大学演劇科を中退したあと、パントマイム、振り付け、俳優、声優、タレントなどの分野で、飄々とした存在感を発揮してきた藤村俊二さんは、50歳を過ぎてから「病気の宝庫」を自認するほど、大病を繰り返してきた。56歳のときには胃がんの手術で、胃の3分の2を切除している。しかし、「オヒョイ」の愛称どおり、飄々たる生きざまは変えなかった。&nb...

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がんでストーマになった方たちへ――真山亜子さんの『私のストーマ・泣き笑い物語』 ETナースさんが私の救いの神でした

2010年6月

真山 亜子 まやま あこ 声優。 ぷろだくしょんバオバブ所属。代表作は『E.T.』のE.T.、『ER緊急救命室』の看護師へレエ、『ワンピース』のココロ、『忍たま乱太郎』の乱太郎の母、『ちびまる子ちゃん』の杉山君など。若い女性オストメイトの会「ブーケ」カトレア会員 真山亜子さんブログ ストーマちゃんのつぶやき 原因はクローン病とベーチェット病 事務所スタジオでアフレコ収録中の真山さん 真山亜...

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妻の写真を手帳に入れて持ち歩いていると気持ちが楽になりました 国立がんセンター元総長/日本対がん協会会長・垣添忠生 × 鎌田 實

2010年6月

国立がんセンター元総長が最愛の妻をがんで亡くし、その絶望の淵からこうして立ち直った 日本のがん医療の総本山とも言える、国立がんセンター元総長の垣添忠生さんが書いた『妻を看取る日』が、がん患者さんやがん医療関係者を中心に、静かな共感を呼んでいる。青年医師になったばかりのころに、駆け落ち同然にして結婚した最愛の伴侶を亡くして、さすがの垣添さんも強烈な喪失感に襲われた。そのどん底から這い上がった垣添さん...

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