闘病記

飄々とした生き方こそがんとの付き合い方の見本 俳優・藤村俊二 × 鎌田 實

2010年7月

「がんばらない」から「がんばる」生き方への「オヒョイ」流転換 早稲田大学演劇科を中退したあと、パントマイム、振り付け、俳優、声優、タレントなどの分野で、飄々とした存在感を発揮してきた藤村俊二さんは、50歳を過ぎてから「病気の宝庫」を自認するほど、大病を繰り返してきた。56歳のときには胃がんの手術で、胃の3分の2を切除している。しかし、「オヒョイ」の愛称どおり、飄々たる生きざまは変えなかった。&nb...

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がんでストーマになった方たちへ――真山亜子さんの『私のストーマ・泣き笑い物語』 ETナースさんが私の救いの神でした

2010年6月

真山 亜子 まやま あこ 声優。 ぷろだくしょんバオバブ所属。代表作は『E.T.』のE.T.、『ER緊急救命室』の看護師へレエ、『ワンピース』のココロ、『忍たま乱太郎』の乱太郎の母、『ちびまる子ちゃん』の杉山君など。若い女性オストメイトの会「ブーケ」カトレア会員 真山亜子さんブログ ストーマちゃんのつぶやき 原因はクローン病とベーチェット病 事務所スタジオでアフレコ収録中の真山さん 真山亜...

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乳がんが再発、したいことリストを作り、「今」を思う存分生きる 病人としてではなく、自分らしく生きたい

2010年6月

仲西実穂さん 主婦 なかにし みほ 1965年生まれ。幼いころから物作りが好きで、「看板製作」の仕事に関わる。2005年、40歳のときに左乳房にがんが発覚。2年後に肺に転移。現在、抗がん剤治療中。再発がわかった後、「今したいことリスト」を作り、自転車長距離イベントなどに挑戦し続けている 乳がん手術から2年。肺に転移 乳がん手術からちょうど2年目、2007年8月に医師から肺転移を告げられた。42...

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妻の写真を手帳に入れて持ち歩いていると気持ちが楽になりました 国立がんセンター元総長/日本対がん協会会長・垣添忠生 × 鎌田 實

2010年6月

国立がんセンター元総長が最愛の妻をがんで亡くし、その絶望の淵からこうして立ち直った 日本のがん医療の総本山とも言える、国立がんセンター元総長の垣添忠生さんが書いた『妻を看取る日』が、がん患者さんやがん医療関係者を中心に、静かな共感を呼んでいる。青年医師になったばかりのころに、駆け落ち同然にして結婚した最愛の伴侶を亡くして、さすがの垣添さんも強烈な喪失感に襲われた。そのどん底から這い上がった垣添さん...

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大腸がんの検査、手術に関するインフォームド・コンセント事前説明を良く聞いて、自分に起きる変化に備えよう

2010年5月

咽頭がんだけではなく、大腸がんが重複していることがわかった川本さん。医師から、「このまま放っておいたら腸閉塞、腸破裂を起こしかねないので、下咽頭がんの治療より先に大腸がんの手術をする」と説明を受けます。ただ、すぐに手術ができる……という状態ではなかったのです。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。20...

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乳がんの早期発見は「リレー・フォー・ライフ」参加のおかげ 「乳がんを経験して得たものが大きかった」と語るアグネス・チャンさん

2010年5月

あぐねす ちゃん歌手・エッセイスト・教育学博士。香港生まれ。72年、「ひなげしの花」で日本デビュー。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学を卒業。89年、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。94年、教育学博士号取得。現在は、目白大学教授、日本ユニセフ大使など知性派タレント、文化人として活躍している。 アグネス・チャンさんにとって仕事と乳がんの治療を両立させることは、たやすいことで...

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看護師、患者を経て――患者と医療者をつなぐ架け橋に! 「できない自分」を認めることから生きる心の余裕が生まれた

2010年5月

射場典子さん NPO法人ディペックス・ジャパン理事 いば のりこ 1963年生まれ。84年に順天堂看護専門学校卒業後、看護師として順天堂大学病院に勤務。その後米国留学を経て、ターミナルケアについて学ぶため聖路加看護大学大学院に進学。卒業後は大学の教員として、後進を指導。42歳で卵巣がんが発覚。病気後は大学を辞め、「体験者の声を届け、患者さんを支えたい」と、NPO法人ディペックス・ジャパンで活動し...

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何でこんなに検査を受けるの?と思っても……不幸中の幸いをもたらしたPET検査

2010年4月

下咽頭がんの治療のため、大学病院の医療センターに入院することになった川本さん。入院が決まるや否や怒涛のような検査が始まります。ただ、その検査が川本さんに不幸中の幸いをもたらすこととなります。川本敏郎かわもと としろう1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現代書館)、『中高...

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今しかできないオシャレを楽しむことで治療に前向きになれた、モデル・MAIKOさん 脱毛をスキンヘッドにして楽しむ逆転の発想で治療を乗り切った

2010年4月

MAIKO まいこ 1969年、東京都に生まれる。高校卒業後からモデルを始め、国際的なショーもこなすトップモデルとして活躍。現在も『STORY』などのファッション誌やTVCMなど、第一線で活躍中。著書に『モデル、40歳。乳がん1年生。』(KKベストセラーズ)がある公式ブログ「MAIKOのHAPPY TALK」 95パーセント大丈夫が一転、「全摘」に ファッション雑誌『STORY』でレギュ...

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自分を救ってくれた歌を通じて、私も誰かのために祈りたい 死力を尽くして自分らしく生きることを選んだ、ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美)さん

2010年4月

きき1968年生まれ。北海道出身。幼い頃からピアノや歌を習い、27歳のときに渡米。そこで、ゴスペルと運命的な出合いを果たす。日本に帰国後、シンガーとしての活動を広げ、03年にはCDデビュー。05年、乳がんが発覚。08年に再発。少しでも多くの人に、自分の歌と生き方を知ってほしいと、現在も全国で音楽活動を続けている。 「どれだけ長く生きるか」よりも「どれだけ深く生きるか」―。ゴスペルシンガーとして活...

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