闘病記

がんとダンスの間を強く、しなやかに生きるプロダンサーのど根性 肉腫という希少がんと闘いながら、治療の拠点「サルコーマセンター」設立に立ち上がった元ミス日本・吉野ゆりえさん

2009年5月

よしの ゆりえ世界ダンス議会国際審査員、日本ブラインドダンス協会理事。「ウリナリ芸能人社交ダンス部」の指導も務めた。後腹膜平滑筋肉腫との闘いは日本テレビ系モクスペ感動ドキュメンタリー『5年後、私は生きていますか?』で取り上げられた。著書に『いのちのダンス~舞姫の選択~』がある。「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」代表 吉野ゆりえブログ 世界初、視覚障害者のダンスの祭典「全日本ブラインド...

詳細はこちら

「1人じゃないよ」30代でがんを患った女性が贈る“生きる”メッセージ 思いもよらなかった術後の後遺症。それでも彼女は生きる意味を探し求めた NPO法人HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさん

2009年5月

さくらい なおみ2004年夏、37歳で乳がんが発覚。その後、自らのがん体験や社会スキルを活かして小児がん・若年性がん患者の自然遊びの会(ボタニカルキッズクラブ)を始動。設立1年を契機にNPO法人化。自ら仕事を持つ傍ら、現在、NPO法人HOPEプロジェクト理事長として、サバイバーシップの啓発・普及を目指して、日々奔走中。 桜井なおみさんは環境・緑化分野の設計事務所でキャリアを積み重ねていた37歳の...

詳細はこちら

私の胃がんから20年、今の2人がここにいる 大助・花子の愛称で親しまれる夫婦漫才コンビ・宮川花子さん

2009年4月

みやがわ はなこ1955年大阪府生まれ。76年に結婚、79年に夫と共に漫才コンビ「宮川大助・花子」を結成。上方漫才大賞をはじめ、多くの賞を受賞する。5月2~4日、よしもとプリンスシアターにて、コンビ結成30周年記念イベントを行う。 夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」。今年、彼らはコンビ結成30周年を迎えた。花子さんが胃がんに襲われて20年、夫婦に何が起こったか――妻のがんを知った夫の一言 花子さん...

詳細はこちら

多重がんを経験したデジタル印刷のパイオニアが語る「動じない生き方」 想像を絶する術後の後遺症――。悪戦苦闘しながら、ひとつひとつ乗り越えてきた

2009年4月

はたの ひろや 1952年、東京都北区生まれ。高校卒業後、数年間「プラプラ」したのち、21歳の時、父の会社「ラン印刷」に入社。40代には、完全に会社を引き継ぐ。1992年、デジタル印刷DTPを専門とする㈱ルナテックを設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。1986年には、印刷製版工程の一部門を分業化した㈱クイックも創設している 印刷業IT化の大波を越えて スリムな体躯に背広がよく似合い、長めの...

詳細はこちら

がんより選挙。はじめはそう思っていました 胃がんを克服し、国政へのカムバックを果たした衆議院議員・鈴木宗男さん

2009年3月

すずき むねお新党大地・代表。衆議院議員。1948年、北海道十勝支庁足寄町生まれ。拓殖大学在学中、中川一郎代議士の秘書に採用され、政治の道に入る。83年、中川一郎氏の死後、衆院選に出馬して当選。97年、国務大臣北海道沖縄開発庁長官。02年6月、斡旋収賄罪等で逮捕。437日間の勾留後、03年8月保釈。同年10月、胃がんが見つかり手術を受ける。05年8月、松山千春氏と新党大地を結成。同年9月の衆院選で...

詳細はこちら

40歳で乳がんを患った1人の医療者が、患者と医療者、そして日本と米国をつなぐ架け橋として歩き始める 医療者として、そして女性として――。がんを乗り越えた今、彼女は強くなった

2009年3月

あおき みほ 1965年高知県生まれ。高知女子大学看護学科卒業。看護師、保健師、衛生管理者。大学病院の病棟に看護師として3年間勤務、その後松下電器産業ほか企業の保健師、衛生管理者として約16年間勤務。We can fight(ウィメンズ・キャンサー・ファイター・サポート)主宰 乳がんサバイバーとして編訳書を出版 08年9月、ある1冊の本が出版された。リリー・ショックニー著『生きるための乳がん(原...

詳細はこちら

あの日、腎がんを克服し、『徹子の部屋』に出ると決めた 左腎臓にできたがんは13センチ。「これからも僕はがんと上手に付き合います」と語る俳優/タレント・小西博之さん

2009年2月

こにし ひろゆき1959年和歌山県生まれ。中京大学商学部卒業。高校教員免許取得。在学中、中京テレビのローカル番組を機にデビュー、その後『欽ちゃんの週刊欽曜日』にレギュラー抜擢され、欽ちゃんファミリーの一員として「コニタン」の愛称で人気者に。また、80年代には「ザ・ベストテン」の2代目司会者を務めるなど、多方面で活躍。現在「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」でZAP隊長ヒュウガ役にて出演中。 小西...

詳細はこちら

あきらめたらあかん。あきらめなければ夢は叶う 抗がん剤治療をしながら、北京パラリンピックに挑んだ脳性まひアスリート・藤田真理子さん

2009年2月

ふじた まりこ1964年、大阪府生まれ。OL時代、障害者スポーツに目覚め、短距離選手として1987年の全国障害者スポーツ大会に初出場。1988年、パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)ソウル大会日本代表となる。その後、水泳に転向。1999年、フェスピック(極東・南太平洋障害者スポーツ大会)大会優勝など、国内外で数々の大会を制し、34歳のとき投擲競技を始める。2000年、シドニーパラリンピック...

詳細はこちら

がんと闘うのではなく、がんと共存して生きたほうがいい “ニュースの職人” 鳥越俊太郎さんが自らのがん体験を赤裸々に語る

2009年1月

とりごえ しゅんたろう1940年福岡県生まれ。京都大学文学部史学科国史学専攻卒。1965年、毎日新聞社に入社。1988年、「サンデー毎日」編集長。1989年に同社を退職。1989年10月、「ザ・スクープ」(テレビ朝日)でキャスターを務める。2005年10月、レギュラーアンカーを務める「スーパーモーニング」(テレビ朝日)に電話出演し、直腸がんであることを告白。1999年10月に発生した「桶川女子大生...

詳細はこちら

今日がいちばん楽しい日。けれど、いちばんつらい日でもあるんです 再発の不安を抱え、「がん友」に支えられながら、合唱団を結成したタレント・山田邦子さん

2009年1月

やまだ くにこ昭和56年5月、TBSドラマ『野々村病院物語』でデビューし、ほぼ同時にバラエティ界にて一世を風靡。以後、司会・ドラマ・講演・執筆等の分野にマルチぶりを発揮し、平成元年からNHK“好きなタレント”調査で8年連続第1位を記録。平成12年に芸能生活20周年。平成20(2008)年は舞台「アニー」で大活躍した。 2007年、「邦ちゃん」の愛称で親しまれている山田邦子さんは、乳房にがんが見つ...

詳細はこちら

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート5月 掲載記事更新!