闘病記

「あと1年」と言われても諦めなかったから今がある 2つの稀少難治がんを克服した「開運!なんでも鑑定団」の人気女性鑑定士・安河内眞美さん

2009年7月

やすこうち まみ1954年福岡県生まれ。上智大学ロシア語学科卒業。古美術店「美術商やすこうち」「ギャラリーやすこうち」を運営するとともに、96年からテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で屏風や掛け軸など日本画を鑑定。 症例が少なく「難治」とされるタイプのがんは厄介だ。安河内さんはこの稀少難治がんを2度も経験し、見事に克服して現役復帰を果たした。彼女はどのようにこれらのがんと向き合い、困難を乗り越え...

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がんは絶望すると悪くなり、気力が充実すれば克服できる、そう信じています 漫画家/詩人・やなせたかし × 鎌田 實

2009年7月

膀胱がん、10回の再発を乗り越え、アンパンマンは今日も行く 30年以上にわたって、幼児を中心に日本の子どもたちを魅了し続けているアンパンマン。その原作者である漫画家のやなせたかしさんは、数年前からがんと闘っている。腎盂にできたがんを取り除いた後、すぐに膀胱がんが発見され、10回の再発を度重なる内視鏡手術、そして放射線、BCGの併用療法で乗り切って、90歳になった今も、元気に創作活動を続けている。&...

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乳がんになって、生きることの大切さを知りました 40年を経て新しい形で復活を遂げた「三人娘」の今を語る歌手・園 まりさん

2009年6月

その まり1944年神奈川県生まれ。62年、中尾ミエ、伊東ゆかりと共に「三人娘」結成。「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何も云わないで」などが大ヒット、園まりの世界を確立。2005年に「三人娘」を再結成。コンサート、ディナーショー、テレビなどで活動する傍ら、最近では福祉にも力を注いでいる。 乳がんを患ったことで、新たな気持ちで生き直すことを教えられた、と微笑む園まりさん。彼女はどのような...

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子どもが欲しいという想い、そして持たないという選択 特別対談・洞口依子(女優) × 高橋 都(東京大学大学院講師)

2009年6月

大切なのは、夫婦がどこに価値を置くかということ 女性のがんと密接に関わってくる妊娠、出産、子どもという問題――。2004年に子宮頸がんを患い、今年5年目を迎えた女優・洞口依子さんと、がん患者の性問題の第1人者である東京大学大学院講師の高橋都さんとがこの問題を巡って話し合った。特別対談第2弾。「あなたはどうしたいですか? あなたのパートナーはどうしたいと思っていますか?」お2人はこう投げかける。 ど...

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20代でがんが発覚。出産直前までがん治療の後遺症に苦しんだ がん、不妊治療を経て産まれた命。夫と一緒だから乗り越えられた

2009年6月

菰原純子さん(パタンナー*) こもはら じゅんこ 1975年、埼玉県出身。東京モード学園を卒業後、都内のアパレルメーカーに就職。25歳のとき、子宮頸がんが発覚。円錐切除手術を受け、術後5年検診も無事終えて現在に至る。28歳で結婚、2009年2月、待望の第1子を出産 *パタンナー=デザイナーが書いたデザイン画をもとにして、立体的な服を作るための型紙を起こす人 がん、不妊治療 夫婦の絆が試された...

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「1人じゃないよ」30代でがんを患った女性が贈る“生きる”メッセージ 思いもよらなかった術後の後遺症。それでも彼女は生きる意味を探し求めた NPO法人HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさん

2009年5月

さくらい なおみ2004年夏、37歳で乳がんが発覚。その後、自らのがん体験や社会スキルを活かして小児がん・若年性がん患者の自然遊びの会(ボタニカルキッズクラブ)を始動。設立1年を契機にNPO法人化。自ら仕事を持つ傍ら、現在、NPO法人HOPEプロジェクト理事長として、サバイバーシップの啓発・普及を目指して、日々奔走中。 桜井なおみさんは環境・緑化分野の設計事務所でキャリアを積み重ねていた37歳の...

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悪性リンパ腫と共に1年、今語る結婚、絆、そして私の役割 元宝塚歌劇団トップスター・愛華みれさんを突如襲った試練とは

2009年5月

あいか みれ1964年鹿児島県生まれ。85年に宝塚歌劇団入団、花組に所属。99年花組トップスターに。華やかな顔立ちと美しい立ち姿の正統派男役として活躍。2001年11月に退団。以降、女優としてテレビ、舞台、ミュージカルなど幅広く活躍中。 抗がん剤治療で全身の血管が激痛に襲われたが、愛華さんはナースコールを押すことができなかった。どのくらいの痛みで「痛い」と言っていいのか、わからなかったのだ――。...

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がんとダンスの間を強く、しなやかに生きるプロダンサーのど根性 肉腫という希少がんと闘いながら、治療の拠点「サルコーマセンター」設立に立ち上がった元ミス日本・吉野ゆりえさん

2009年5月

よしの ゆりえ世界ダンス議会国際審査員、日本ブラインドダンス協会理事。「ウリナリ芸能人社交ダンス部」の指導も務めた。後腹膜平滑筋肉腫との闘いは日本テレビ系モクスペ感動ドキュメンタリー『5年後、私は生きていますか?』で取り上げられた。著書に『いのちのダンス~舞姫の選択~』がある。「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」代表 吉野ゆりえブログ 世界初、視覚障害者のダンスの祭典「全日本ブラインド...

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私の胃がんから20年、今の2人がここにいる 大助・花子の愛称で親しまれる夫婦漫才コンビ・宮川花子さん

2009年4月

みやがわ はなこ1955年大阪府生まれ。76年に結婚、79年に夫と共に漫才コンビ「宮川大助・花子」を結成。上方漫才大賞をはじめ、多くの賞を受賞する。5月2~4日、よしもとプリンスシアターにて、コンビ結成30周年記念イベントを行う。 夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」。今年、彼らはコンビ結成30周年を迎えた。花子さんが胃がんに襲われて20年、夫婦に何が起こったか――妻のがんを知った夫の一言 花子さん...

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多重がんを経験したデジタル印刷のパイオニアが語る「動じない生き方」 想像を絶する術後の後遺症――。悪戦苦闘しながら、ひとつひとつ乗り越えてきた

2009年4月

はたの ひろや 1952年、東京都北区生まれ。高校卒業後、数年間「プラプラ」したのち、21歳の時、父の会社「ラン印刷」に入社。40代には、完全に会社を引き継ぐ。1992年、デジタル印刷DTPを専門とする㈱ルナテックを設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。1986年には、印刷製版工程の一部門を分業化した㈱クイックも創設している 印刷業IT化の大波を越えて スリムな体躯に背広がよく似合い、長めの...

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