闘病記

がん宣告にも慌てず騒がず「しゃあねぇや」人生の強さ 「人呼んで、ハードボイルドだど!」で一世を風靡したボードビリアン/俳優/書評家・内藤 陳さん

2008年11月

ないとう ちん 本名・ないとう のぶる1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部中退。1962年、井波健・栗実とともにトリオ・ザ・パンチを結成、日劇ミュージックホールなどを舞台に大活躍。1981年より「月刊プレイボーイ」で書評「読まずに死ねるか!」を連載し、冒険小説、ハードボイルド小説の普及に貢献した。また同年に自ら日本冒険小説協会を設立、会長に就任して以来、毎年、日本冒険小説大賞を選んでいる。著...

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病院のなかを明るくしたい。病気を機に歌い始めた病院コンサートは300回超 「余命2カ月」の危機をくぐり抜けた遅咲きシンガーソングライター・あどRUN太さん

2008年10月

あどらんた1948年、山口県生まれ。“人に役立つ音楽”をモットーにしたシンガーソングライターとして全国で活躍。2000年に日本作曲家協会主催「第2回新しい日本の歌コンテスト 自由曲部門」で「笑おうよ!」がグランプリ受賞。翌年に悪性リンパ腫を発症して以来、学校や病院などでのコンサートをすでに数百回実施している あどRUN太こと、渡橋一則(おりはし かずのり)さんが悪性リンパ腫を告げられたのは、「笑...

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がんは「優しい病気」です 膵臓がんと共存しながら多彩な創作活動を続けるベストセラー作家・栗本薫(中島梓)さん

2008年10月

くりもと かおる東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。1977年、中島梓として『文学の輪郭』で群像新人賞受賞、文芸評論家としてデビュー。翌年、「栗本薫」クン登場の『ぼくらの時代』で第24回江戸川乱歩賞、1981年『絃の聖域』で第2回吉川英治文学新人賞受賞。以降、ミステリー、SF、時代、伝奇小説、ミュージカル脚本、演出など幅広く活躍。著書に100巻突破という前人未到の記録を達成した『グイン・サーガ』シリ...

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「病人であり健常人」そんな人生を大切にしたい 悪性リンパ腫の闘病から丸4年。作詞家・杉 紀彦さんが見出した大河の一筋

2008年9月

すぎ のりひこ1939年9月17日、東京都生まれ。放送作家・作詞家・演出家・詩人・ラジオパーソナリティー。少年時代を能登で過ごす。千葉大学文理学部卒。NHKをはじめ民放各局、商業劇場などで多くの番組、ステージの構成・演出に関わり、現在に至る。作詞は400曲以上、代表作に『あまい囁き』(パローレ パローレ=中村晃子・細川俊之)、石原裕次郎『おれの小樽』『昭和たずねびと』、森昌子、松原のぶえ『なみだの...

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どんなに追い込まれたときにも、ユーモア精神と心に余裕を 3つのがんを乗り越えつつある教育・経営コンサルタントが語る「がんとの付き合い方」

2008年9月

かど つらゆき 1964年、学習院大学理学部物理学科卒業、日立製作所入社(情報・通信グループ)。 2000年10月、日立製作所を定年退社(教育主管)。 専門はシステム・エンジニア教育コース設計と教育効果測定。 現在、情報処理国際機構(ITプロ、社会人教育担当)委員、情報文明文化研究所代表として「表現術」「交渉術」「コアコンピタンスとビジネスモデル」「マーケティング論」などを講演・講義している。 著...

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決してあきらめないで、 自分にあった治療法を捜してほしいと笑顔で訴えるその若々しい姿 30代半ばで肺腺がん、10年間で8度の治療を受けた主婦の壮絶な闘病人生

2008年8月

まつい かおる 1961年3月2日生まれ。 1998年4月国立がん研究センター病院で肺腺がん右上葉切除手術、 2002年3月同病院でシスプラチン・ビノレルビン、放射線治療。 2004年3月同病院で放射線治療。 2006年3月都立駒込病院で定位放射線治療、6月国立がん研究センター病院でイレッサ投与、8月同病院でシスプラチン・ゲムシタビン投与、12月名古屋共立病院で頸部定位放射線治療とTS-1投与を受...

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がんという試練に鍛えられたから、パリ・ダカにも挑戦できたのです! 子宮がん、さらには乳がんで両方の乳房まで失いながら、58歳で国際ラリー・ドライバーになった能城律子さん

2008年8月

のしろ りつこ1935年東京生まれ。12歳のときに長野県(白馬)に疎開。17歳で東京に戻る。21歳のときスキー1級取得。23歳で貿易会社を設立。女性と子どもをテーマに35歳のときに世界1周65カ国を1人旅。1976年、38歳のときに世界ではじめて国際ホテル内にサービス業としてベビールームを開設。51歳で国際A級ライセンス取得 能城律子さんは世界最高齢の国際ラリー・ドライバーとして知られる。女性で...

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さくらの花よ泣きなさい。ぼくも一緒に泣いてあげるから リンパ節転移のある下咽頭がんを乗り越えた作曲家・三木たかしさんの闘病700日

2008年7月

みき たかし昭和33年船村徹氏に師事。昭和34年ジャズベーシストである作曲家小野満氏に師事、歌、作・編曲を学ぶ。昭和35年「恋のとりこ」作詞、作・編曲、歌をソノシートで発表。昭和36年アレンジャーとして活動を開始。昭和42年「恋はハートで」(歌:泉アキ)で作曲家として活動を開始。代表作:「津軽海峡冬景色」「風の盆恋唄」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「思秋期」「夜桜お七」「アンパンマン...

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「歯肉がん、メラノーマは神さまから与えられた宿命です」 モンゴルでゴミ拾いツアーを実践する2度のがんを乗り越えた大道芸人の心意気

2008年7月

げんごろう 昭和25年山形県天童市生まれ。 同47年新宿歩行者天国で「街頭世直し紙芝居」で大道芸デビュー。 一時ケーシー高峰さんに弟子入り後独立し、大道芸能家として独自の話術による「ガマの油売り口上」「バナナの叩き売り口上」「黄金バットの紙芝居」などを演じて活躍中。 海外公演も18カ国に及び、とくにモンゴル公演は合計14回を数える。 近年、歯肉がん、メラノーマを手術。今年「モンゴルゴミ拾いツアー」...

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がん闘病中の自分を自分で撮った映像作家が学び直した「病は気から」 酒もタバコも「お気に召すまま」、映像作家の仰天がん哲学

2008年6月

かわなか のぶひろ 1941年、東京都生まれ。 1969年「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」設立に参加、上映活動を行う。 1971年「アンダーグラウンド・センター」設立。 1972年から寺山修司の「天井桟敷」の地下劇場でシネマテークを開設し、上映活動を続けた。 1977年東京・四谷に上映の拠点「イメージフォーラム」(現在は渋谷)を設け、同時に映像作家を育成する研究機関「イメージフォー...

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