闘病記

決してあきらめないで、 自分にあった治療法を捜してほしいと笑顔で訴えるその若々しい姿 30代半ばで肺腺がん、10年間で8度の治療を受けた主婦の壮絶な闘病人生

2008年8月

まつい かおる 1961年3月2日生まれ。 1998年4月国立がん研究センター病院で肺腺がん右上葉切除手術、 2002年3月同病院でシスプラチン・ビノレルビン、放射線治療。 2004年3月同病院で放射線治療。 2006年3月都立駒込病院で定位放射線治療、6月国立がん研究センター病院でイレッサ投与、8月同病院でシスプラチン・ゲムシタビン投与、12月名古屋共立病院で頸部定位放射線治療とTS-1投与を受...

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さくらの花よ泣きなさい。ぼくも一緒に泣いてあげるから リンパ節転移のある下咽頭がんを乗り越えた作曲家・三木たかしさんの闘病700日

2008年7月

みき たかし昭和33年船村徹氏に師事。昭和34年ジャズベーシストである作曲家小野満氏に師事、歌、作・編曲を学ぶ。昭和35年「恋のとりこ」作詞、作・編曲、歌をソノシートで発表。昭和36年アレンジャーとして活動を開始。昭和42年「恋はハートで」(歌:泉アキ)で作曲家として活動を開始。代表作:「津軽海峡冬景色」「風の盆恋唄」「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「思秋期」「夜桜お七」「アンパンマン...

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「歯肉がん、メラノーマは神さまから与えられた宿命です」 モンゴルでゴミ拾いツアーを実践する2度のがんを乗り越えた大道芸人の心意気

2008年7月

げんごろう 昭和25年山形県天童市生まれ。 同47年新宿歩行者天国で「街頭世直し紙芝居」で大道芸デビュー。 一時ケーシー高峰さんに弟子入り後独立し、大道芸能家として独自の話術による「ガマの油売り口上」「バナナの叩き売り口上」「黄金バットの紙芝居」などを演じて活躍中。 海外公演も18カ国に及び、とくにモンゴル公演は合計14回を数える。 近年、歯肉がん、メラノーマを手術。今年「モンゴルゴミ拾いツアー」...

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肺がんが教えてくれた生きるヒント 放射線治療専門医が34歳でがんに。アフラックのCMで有名になった加藤大基さん

2008年6月

かとう だいき1971年生まれ、99年東大医学部卒業。その後、東大病院、国立国際医療センター、癌研究会付属病院などで放射線治療医として勤務 放射線科の医師である加藤大基さんは34歳のとき肺にがんが見つかった。しかもそのがんを最初に発見したのは胸部レントゲン写真を見た彼自身だった。様々な検査を受けていくうちに悪性が疑われていた。が、幸いにして転移性である可能性は低くかった。そこで加藤さんは東大病院...

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がん闘病中の自分を自分で撮った映像作家が学び直した「病は気から」 酒もタバコも「お気に召すまま」、映像作家の仰天がん哲学

2008年6月

かわなか のぶひろ 1941年、東京都生まれ。 1969年「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」設立に参加、上映活動を行う。 1971年「アンダーグラウンド・センター」設立。 1972年から寺山修司の「天井桟敷」の地下劇場でシネマテークを開設し、上映活動を続けた。 1977年東京・四谷に上映の拠点「イメージフォーラム」(現在は渋谷)を設け、同時に映像作家を育成する研究機関「イメージフォー...

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自分がキレイになると、まわりの反応が違うんです 自らの抗がん剤体験をベースに、女ざかりの乳がん患者がキレイでいるためのバイブルを作った美容ジャーナリスト・山崎多賀子さん

2008年5月

やまざき たかこ1960年大阪生まれ。会社員、女性誌の編集者を経てフリーライター、美容ジャーナリストに。スキンケアやメイクアップにとどまらず、メンタル・健康医療分野まで美容に関わる幅広い分野で長年にわたり取材を続ける。女性誌を中心に美容記事や美容ルポルタージュ、エッセイなどを手がけている。 美容ジャーナリストの山崎多賀子さんが著した『キレイに治す乳がん宣言!』という本は画期的な一冊だ。一言でいえ...

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ヨガ指導家&セラピストが乳がんになって―― がん再発の恐怖・不安がヨガによって救われた

2008年5月

くりき としこ 昭和22年 長野県生まれ。 昭和女子短期大学卒業後、広告代理店勤務。 昭和47年結婚。3年後に第1子誕生。 子どもが1歳半のときに結核で1年間入院。 昭和56年森川那智子さんと出会い、ヨガ及びヨガセラピーの師事を受ける。 平成11年3月1日に左乳房全摘手術を受ける。 現在、「こころとからだクリニカセンター」のスタッフとしてヨガのセッションやインストラクター養成講座にかかわっている ...

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私の赤ちゃんが一緒になって子宮全摘手術を闘ってくれました エッセイスト・しえ × 鎌田 實

2008年5月

妊娠から子宮全摘へ――“奈落の底”から這い上がった再生物語 マネージャーとして仕事に専念するか、彼との結婚に踏み切るか迷っていた36歳のある日、体調が優れず病院に行った。「おめでたです」と言われ彼女の気持ちは決まった。しかし、1週間後、非情にも女性は子宮頸がんを宣告され、妊娠の継続は無理と告げられ″奈落の底″に突き落とされた。日活映画「エースのジョー」こと宍戸錠さんの長女・しえさんである。前例のな...

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度重なる試練を乗り越え、現在も女医として多忙な日々を送る小倉恒子さん 戦場に立って20年。ピンチを切り抜け生の輝きを放ち続ける

2008年4月

小倉 恒子 おぐら つねこ 1953年千葉県松戸市生まれ。 1977年、東京女子医科大学卒業、耳鼻咽喉科専門医。 34歳で乳がんを発症し、左乳房胸筋を含め切除。 47歳で再発(胸骨転移、縦隔リンパ節転移) 52歳で再々発(骨転移、腹腔内リンパ節多発転移、肺転移)、 54歳で肝転移、両胸水貯留。 現在、エンドレス(生きている限り続ける)の抗がん剤治療中。 毎日耳鼻科診療中 副作用で涙が止まらない...

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「はらたいらに全部」―あなたがいたから乳がんも治せた 漫画家はらたいらを支え続けた糟糠の妻・原ちず子さん

2008年4月

はら ちずこ昭和19年、旧満州生まれ。高知県立山田高校卒業。高知生徒会連合で活動し、懲戒免職になった校長の復帰運動ではらたいらさんと知り合う。就職のために上京し、不遇時代のはらさんに再会し、物心両面で支えた。昭和39年に結婚。はらさんのアシスタント、マネージャーを兼務。平成5年に乳がんになり、左乳房全摘手術を受けるが、2週間で退院した。平成18年、肝硬変・肝臓がんで緊急入院したはらさんに付き添い、...

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