闘病記

病気になっても、病人にならない 保健師であり、“老舗”患者会会長の長女・椚時子さんのがんとの対峙の仕方

2007年3月

“自己診断”で不安を打ち消すも、症状は治まらず 椚時子さん (くぬぎ ときこ) 1962年東京都生まれ。中央大学法学部卒業後、看護学校・保健師学校に入学。30歳より保健師として、保健指導にあたっている。 「どんぐりの会」会員 この日だけは入院したくなかったのに……。 1999年9月、東京・日野市で暮らしている保健師・椚時子さん(37歳=当時)の胸中に、そんな思念が走った。 時子さんの...

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元ウーマン・リブの闘士、吉武輝子さんのがんの封じ込め方を学ぶ 「病みながら生きる時代」を生き抜く発想力

2007年2月

吉武 輝子 よしたけ てるこ 1931年兵庫県芦屋市生まれ。 1954年慶応義塾大学文学部卒業。同年4月に東映宣伝部に入社。 1961年日本初の女性宣伝プロデューサーとなる。 東映を退社後、文筆生活に入る。 1968年婦人公論読者賞受賞。現在「吉屋信子記念館」運営副委員長を務める。 女性問題を中心に評論・文筆活動を続けており、「女人 吉屋信子」などの女性伝記や、生と死、老いについての評論など、著書...

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女性誌の名編集者・西條英子さんが説く多重がんに打ち克つ生き方 次々にがんに襲われても、絶望するのは15分だけ!

2007年1月

西條 英子 にしじょう ひでこ 1937年、東京都生まれ。 1959年文化出版局に入社。 1964年結婚、1男1女の母。1989年退社。 1990年ステッチ設立 会社を興した矢先の告知 『ミセス』の仕事で。ファッションデザイナーの水野正夫、和子夫妻のガーデンパーティで。右が西條さん 西條英子さんは文化出版局で女性誌『ミセス』の副編集長、『ハイミセス』の編集長などを歴任後、同僚だった女性編...

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がんを見逃さず、順調な予後。著名人のがん闘病の「モデルケース」 がん体験を社会に生かす、タレント・大橋巨泉さん

2006年12月

おおはし きょせん1934年、東京生まれ。本名・大橋克巳(かつみ)。早稲田大学中退後、ジャズ評論家、テレビ構成作家を経て、テレビタレントに転身。「11PM」、「巨泉のこんなモノいらない!?」、「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」、「クイズダービー」など数多くのヒット番組を手がける。1990年には「セミ・リタイア」を宣言。その後は執筆活動や、テレビ出演などをこなしながら、1年の半分以上を海外で過ごす。...

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毎日新聞の名物コラムニスト、玉置和宏さんの「がん発病効果」 食道がんと胃がんの同時重複がんを克服した言論界の重鎮

2006年11月

玉置 和宏 たまき かずひろ 1939年北海道生まれ。 北海道大卒業後、62年毎日新聞社入社。 経済記者として財務省、日銀、外務省、経団連などを担当。 80~81年ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)大学院に研究留学。 86年「週刊エコノミスト」編集長。論説委員として16年書き続ける。 93年より「酸いも甘いも」を担当。名物コラムとして現在も同紙電子版で継続執筆中。 著書に『きのう異端あ...

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武器を手術から化学療法へ変えて、なおもがんと闘い続ける 元大手製薬会社役員、川野和之さんの「壮絶な闘病日記」 その後

2006年11月

川野和之さん かわの かずゆき 1944年大分県生まれ 科研製薬、ファイザー製薬に勤務後、ブリストルマイヤーズ製薬名古屋支店長、スミスクライン・ビーチャム製薬(現グラクソ・スミスクライン)取締役営業本部長を歴任 2001年に退社。 [治療経過] 1999年10月 直腸がん手術、肝転移2カ所切除 2001年8月 胃がん亜全摘術、肝転移2カ所切除、胆嚢切除 2002年4月 肺転移胸腔鏡...

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術後後遺症の苦しみを、笑いで包みながら語る庶民派政治家 「大腸がんは入院中より退院後が大変」を身をもって知った日本共産党書記局長・市田忠義さん

2006年10月

いちだ ただよし1942年、大阪森の宮生まれ。滋賀県八日市高校卒業後、大阪の繊維商社に就職。その後、弁護士事務所、龍谷大学図書館で働きながら立命館大学2部を卒業。1971年、日本共産党専従職員。 伏見地区委員長、京都府委員長を経て、現在、党書記局長、参議院議員 大腸がんは外科手術で治療してもつらい後遺症が続く。とくに苦しいのはエンドレスで襲ってくる下痢だ。それが、よりによって生放送の政治討論番組...

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がん体験、うつ体験から学んだ「無理をせず、休む」というゆとり 社会言語学者・佐藤優里(仮名)さん

2006年9月

がんは「本当に大切なもの」を再発見する機会を与えてくれた無理解と偏見から、病名を公表できない日本で生まれ、アメリカの大学に進学。80年代前半をアメリカで過ごした。その後、帰国して大学院に進学し社会言語学を専攻。87年より首都圏の大学で教鞭をとるかたわら、著述活動や文部科学省の教育政策立案にも携わるなど、幅広い分野で活躍しているマスメディアでは連日のようにがんの話題が採り上げられ、2006年6月には...

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「幸せな生き方」を考える 今は、花と遊んでときどき仕事

2006年9月

乳がんになって 1990年花博。パキスタン大使夫婦と 1995年ユニバーシアード大会。スイス大使を迎える何気ない日常の生活では、つい不満を感じたり、愚痴をこぼすこともあります。でも本当は心の底で「普通の暮らしこそ奇跡」と思っているのです。車を運転していても、ときどきヒヤッとします。最近も身近な若い人が急に病気になり、あっという間に亡くなってしまいました。もろく、はかなく、消えてしまってから気...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(7)

2006年8月

7. 外来抗がん剤治療(その2) 8月(術後7カ月) 半年間無事に過ぎたという安堵感が、私を積極的にしている。月3回の病院通いも、仕事と思えば苦にならない。脱毛はヘアピースでカバー、頬の上気も少々の疲れにも慣れてきた。ただ夜型の生活に戻ってきているので要注意だ。 ミュージカル『ユー・ガット・ア・フレンド』を青山円形劇場へ観にいく。長女が長年演出している子供を中心としたミュージカルで、今回は...

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