2006年4月
私の祖母は東京生まれの東京育ちですが、祖父が秋田出身です。娘である私の母は、秋田に嫁ぎ、私はそこで生まれ育ちました。私は高校受験のときに祖母を頼って上京することを決心しました。もちろん最初は両親も反対しましたが、祖母が「私が面倒見てあげるからいらっしゃい」と言ってくれたおかげで東京での生活がスタートしました。祖母は私のおじにあたる息子と2人暮しでしたので、私のことを本当にかわいがってくれました。結...
2006年3月
信じられないような真っ赤な血尿 思い起こせば、「よくぞここまで生き延びたなあ」と思う。普通ならなかなかこうはいくまい。実際、彼自身、1度は諦めかけたこともあった。それでも諦めず、踏ん張った。その結果が、こうして4年半の生存、それも単に生きながらえるだけでなく、仕事をしながら、家族と楽しく過ごしながらの生存に結びついたのだ。 村岡雅史(仮名)さん。大柄だが温和な顔立ちの46歳の歯科医である。東京...
2006年3月
3. 手術(その1) 2004年1月。入院当日、花の手入れを娘に頼んで家をあとに 平成16年1月30日、いよいよ手術の日。説明書通りの手順で準備が進む。6時から採血、浣腸、尿管挿入、首の点滴開始。手術着とT字帯に着替える。 主治医のA医師がどろどろした液体を鼻から入れる。「麻酔薬だから吸い込むようにして飲んで」と言われ、気味が悪かったが必死で吸い込む。鼻から胃へチューブを入れるための前処置...
2006年3月
せんごく よしと1946年徳島県生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、71年弁護士活動を開始。90年衆議院選挙に初出馬・初当選。02年1月に胃がんの手術を受けた後、政界に復帰。以後、民主党憲法調査会会長、民主党「次の内閣」経済財政大臣・経済戦略会議座長、民主党「次の内閣」官房長官などの要職を経て、05年9月、民主党「次の内閣」厚生労働大臣に就任。がん患者としての立場から医療改革に取り組ん...
2006年2月
がんという病気は、医療だけで治すのはなかなか難しい面がある。そこで、今回は現役の禅宗の僧侶であり、芥川賞作家である玄侑宗久さんをお招きして、鎌田さんと語り合っていただいた。玄侑さんは、禅宗の修行を積まれ、その方面の知識が豊富なばかりでなく、大脳生理学や量子物理学などにも精通し、人間の生き方の根本について、深い洞察力と胆識を持っておられる。わかりやすく、示唆に富んだ彼の語りをどうぞ。 げ...
2006年2月
書くことで整理し、書くことで鼓舞してきた 広兼英生さん (ひろがね ひでお) 読売新聞西部本社法務室長 治る可能性が何割くらいかを尋ねると、医師は一瞬、言葉につまり、そして静かに言った。「治癒率(生き延びる可能性)は、5割以下とされます――」医師からこう宣告され、ショックを受けない人はいないはずだ。病名は「胃原発悪性リンパ腫」。広兼英生さんは病気の深刻さを知った夜、突然の恐怖に襲われた。「夜にな...
2006年2月
夢をあきらめない。それが、「生きる」ということ 磯部道生さん (いそべ みちお) 登山家 関西屈指の温泉地・有馬は、六甲山の北側に位置する盆地だ。街から近い手軽な温泉として、関西人に人気がある。その地元で、「有馬3奇人」の1人とされるのが、登山家・磯部道生さん(61歳)だ。彼は、2003年8月、胃がんで、胃と脾臓の全摘手術を受けた。ふつう、「がん」と診断されれば、動揺する。手術前後は、ふだん忙し...
2006年2月
2. 入院 2004年1月 誕生日祝いに長女と 平成11年夏から膵嚢胞を観察するため、半年に1度エコーを撮ることになった。幸い私の膵嚢胞は変化なく、無事5年が過ぎた。 15年7月の検査のとき、「5年間何ともないので次は1年後にしますか」とK医師から言われた。一瞬迷ったが「半年に一度安心を得たいので、1月にまた来ます」と答えていた。 K医師は平成16年1月19日に予約を入れた。それが運命...
2006年2月
2004年の猛暑の夏、私は長い間一緒に暮らしていた大好きな彼に別れを告げられた。いろんなことがあったが、恥ずかしながら? 別れたきっかけになったのはよくある男女間のトラブルで、「カレにホカにスキナヒトがデキタ」なのだ。決して珍しいことじゃない。ただ、ちょっと人より違っていて、ちょっと人よりつらかったのは、私は“癌”という病魔と闘っている途中のできごとだったということだ。“癌”という漢字は誰が考えた...
2006年1月
小川嘉子さん おがわ よしこ 社会保険労務士。神奈川県在住。2女の母。昭和62年社会保険労務士のご主人と小川労務管理事務所を開設。平成10年10月人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかる。平成16年1月膵がんの診断を受け手術。術後抗がん剤治療を受ける。 社会保険労務士としてご主人とパートナーを組んで、また2人の娘の母として忙しく働いていた小川嘉子さん。これは、膵がん告知にはじまり、手術、術後...