闘病記

術後後遺症の苦しみを、笑いで包みながら語る庶民派政治家 「大腸がんは入院中より退院後が大変」を身をもって知った日本共産党書記局長・市田忠義さん

2006年10月

いちだ ただよし1942年、大阪森の宮生まれ。滋賀県八日市高校卒業後、大阪の繊維商社に就職。その後、弁護士事務所、龍谷大学図書館で働きながら立命館大学2部を卒業。1971年、日本共産党専従職員。 伏見地区委員長、京都府委員長を経て、現在、党書記局長、参議院議員 大腸がんは外科手術で治療してもつらい後遺症が続く。とくに苦しいのはエンドレスで襲ってくる下痢だ。それが、よりによって生放送の政治討論番組...

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がん体験、うつ体験から学んだ「無理をせず、休む」というゆとり 社会言語学者・佐藤優里(仮名)さん

2006年9月

がんは「本当に大切なもの」を再発見する機会を与えてくれた無理解と偏見から、病名を公表できない日本で生まれ、アメリカの大学に進学。80年代前半をアメリカで過ごした。その後、帰国して大学院に進学し社会言語学を専攻。87年より首都圏の大学で教鞭をとるかたわら、著述活動や文部科学省の教育政策立案にも携わるなど、幅広い分野で活躍しているマスメディアでは連日のようにがんの話題が採り上げられ、2006年6月には...

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「幸せな生き方」を考える 今は、花と遊んでときどき仕事

2006年9月

乳がんになって 1990年花博。パキスタン大使夫婦と 1995年ユニバーシアード大会。スイス大使を迎える何気ない日常の生活では、つい不満を感じたり、愚痴をこぼすこともあります。でも本当は心の底で「普通の暮らしこそ奇跡」と思っているのです。車を運転していても、ときどきヒヤッとします。最近も身近な若い人が急に病気になり、あっという間に亡くなってしまいました。もろく、はかなく、消えてしまってから気...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(7)

2006年8月

7. 外来抗がん剤治療(その2) 8月(術後7カ月) 半年間無事に過ぎたという安堵感が、私を積極的にしている。月3回の病院通いも、仕事と思えば苦にならない。脱毛はヘアピースでカバー、頬の上気も少々の疲れにも慣れてきた。ただ夜型の生活に戻ってきているので要注意だ。 ミュージカル『ユー・ガット・ア・フレンド』を青山円形劇場へ観にいく。長女が長年演出している子供を中心としたミュージカルで、今回は...

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文句を言わない人間として死にたい。だから「納得」いくまで探る ノンフィクション作家・柳原和子 × 鎌田 實

2006年8月

9年前、卵管がんになったノンフィクション作家の柳原和子さん。一時は治ったかに思えたがんが2003年秋に再発。以来、何度も危機に遭遇しながら、その都度それを乗り越えてきた。そのエネルギーは、その秘密は、いったいどこにあるのだろうか。鎌田實さんに迫っていただいた。 やなぎはら かずこ1950年生まれ。東京女子大学社会学科卒。世界各国を精力的に取材してきたノンフィクション作家。97年に卵管がん...

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白血病を乗り越え、骨髄バンク支援に立ち上がる舞踊家 日本舞踊「錦流」宗家、錦加宝光・前原レイコさん

2006年7月

音楽が生きがい。唄と踊りがあったから、彼女の今日がある踊りは私の人生そのもの 前原レイコさん (まえはら れいこ) 日本舞踊「錦流」宗家、錦加宝光 急性骨髄性白血病の発病から6年。生死の境を乗り越え、治癒後に辿り着いた念願の舞台は、骨髄移植を待つ人々のための「チャリティー発表会」だった。定員約500人の北九州市の会場はほぼ満員。 舞台に立ったのは大病を患った前原レイコさんではない。もう...

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自然音の専門家が聴く、がんの声 自然音の専門家・高野昌昭さん

2006年7月

おーい、がんよ、もっと話し合おうよ 高野昌昭さん (たかの まさあき) 自然音の専門家 照明を暗くしてスポットライトを当てると、スタジオは一瞬にして満天の星空に変わった。 壁を覆う無数の金属のかけらがキラキラと輝き、寄せては返す波のように絶え間ない諧調を奏でる。 作品の名は「星のカーテン」。高さ1.7メートル、幅3.6メートルの“カーテン”に1万3000個の金属片をつなぎとめて作ら...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(6)

2006年7月

6. 外来抗がん剤治療(その1) 3月(術後2カ月) 5日、退院翌日。少し胸がつかえる感じがする。先週もジェムザール投与2日目に同じ感じだった。軽い副作用かなと思う。料理を作っていても手を伸ばすと傷口が痛いので、上の棚からお鍋が下ろせない。デスクワークも2時間が限度。ソファーに横になると、うとうとしているらしい。もどかしいけど、徐々に回復するだろうから焦らないことにする。 11日、外来で...

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生は、自らの手でつかみとる。その強靭な心が明日の扉を開く 『キュアサルコーマ』設立メンバー・米澤京子さん

2006年6月

希望を糧に、間断なく攻め立てる転移と壮絶に闘う女性 米澤京子さん (よねざわ きょうこ) 主婦・ 『キュアサルコーマ』設立メンバー 「平滑筋肉腫」という病名を聞いたことがあるだろうか。「平滑筋」とは、消化管壁や子宮の導管、血管壁など、自分の意志では動かすことのできない不随意筋のこと。この平滑筋にできる腫瘍を、平滑筋肉腫という。軟部肉腫のひとつだ。患者数は10万人に1人と少なく、若い人がかかりやす...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(5)

2006年6月

5. 抗がん剤治療 1カ月ぶりのわが家! 懐かしい。とっ散らかっているが、やっぱりわが家はいい。今日は何もせずゆっくりすることにし、次女と一緒にお風呂に入った。「久しぶりだね」と言いながら娘が腫れ物に触るようにして洗ってくれる。長女が帰って来たので、ケーキはなかったが紅茶で退院を祝って喜び合った。色々話したいこともあったが、それは明日にしてぐっすり眠った。 やっぱりわが家はいい! 自宅へ戻...

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