闘病記

闘病を機にジャズマンとしての第2の人生をスタート ジャズ・ベーシスト・平沼昇一さん

2006年5月

がんに背中を後押しされて、今、「本来の自分」を生きる 平沼昇一さん (ひらぬま しょういち) ジャズ・ベーシスト 神戸は日本のジャズの発祥地だ。大正12年、ここで日本初のジャズバンドが誕生した。今でも、神戸の繁華街・三宮には、ライブハウスやジャズバーが軒を連ねる。 『グリーンドルフィン』も、その1つ。オーナーは、ベーシストの平沼昇一さん(53歳)だ。彼は約6年前、47歳のときに胃がんで...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(4)

2006年5月

4. 手術(その2) 運動がてらよく利用したA棟の売店 2月8日(日)術後9日目 今日は日曜日だというのに、午前中胆肝膵外科のM教授の回診があった。ざっくばらんな感じであまり緊張しないですんだ。主治医がドレーンについて説明すると「抗生物質でよく洗うように」と指示していた。 ドレーンの回りを残して全部抜糸。2、3カ所きついところがあり、思わず「痛っ」と声がでた。主治医は笑って「ここは僕が...

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末期がんの祖母と一緒に過した1年間 祖母への恩返し……知さん、本当にありがとう

2006年4月

私の祖母は東京生まれの東京育ちですが、祖父が秋田出身です。娘である私の母は、秋田に嫁ぎ、私はそこで生まれ育ちました。私は高校受験のときに祖母を頼って上京することを決心しました。もちろん最初は両親も反対しましたが、祖母が「私が面倒見てあげるからいらっしゃい」と言ってくれたおかげで東京での生活がスタートしました。祖母は私のおじにあたる息子と2人暮しでしたので、私のことを本当にかわいがってくれました。結...

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ブログを通じて日本版リレーフォーライフの実現をめざす 「がん患者支援プロジェクト」代表・三浦秀昭さん

2006年4月

夜明けが来ることを信じて仲間と歩き続ける 三浦秀昭さん (みうら ひであき) 「がん患者支援プロジェクト」代表 リレーフォーライフ(Relay for Life)、というイベントがあるのをご存じだろうか。直訳して「命のリレー」。がんのサバイバーや支援者が、朝まで夜通し交代で公園や競技場のトラックを歩き続ける、24時間チャリティー・ウォークである。会場ではがんで亡くなった人々の追悼セレモニーのほか...

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「がん」を隠す政治家に「がん」を語る資格はない! 民主党「次の内閣」・仙谷由人さん

2006年3月

せんごく よしと1946年徳島県生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、71年弁護士活動を開始。90年衆議院選挙に初出馬・初当選。02年1月に胃がんの手術を受けた後、政界に復帰。以後、民主党憲法調査会会長、民主党「次の内閣」経済財政大臣・経済戦略会議座長、民主党「次の内閣」官房長官などの要職を経て、05年9月、民主党「次の内閣」厚生労働大臣に就任。がん患者としての立場から医療改革に取り組ん...

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直径30センチの巨大腫瘍から、私はこうして生き抜いた

2006年3月

信じられないような真っ赤な血尿 思い起こせば、「よくぞここまで生き延びたなあ」と思う。普通ならなかなかこうはいくまい。実際、彼自身、1度は諦めかけたこともあった。それでも諦めず、踏ん張った。その結果が、こうして4年半の生存、それも単に生きながらえるだけでなく、仕事をしながら、家族と楽しく過ごしながらの生存に結びついたのだ。 村岡雅史(仮名)さん。大柄だが温和な顔立ちの46歳の歯科医である。東京...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(3)

2006年3月

3. 手術(その1) 2004年1月。入院当日、花の手入れを娘に頼んで家をあとに 平成16年1月30日、いよいよ手術の日。説明書通りの手順で準備が進む。6時から採血、浣腸、尿管挿入、首の点滴開始。手術着とT字帯に着替える。 主治医のA医師がどろどろした液体を鼻から入れる。「麻酔薬だから吸い込むようにして飲んで」と言われ、気味が悪かったが必死で吸い込む。鼻から胃へチューブを入れるための前処置...

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悪ガキは、排除するのではなく、眼差しを向けてあげると変わる 作家/僧侶・玄侑宗久 × 鎌田 實

2006年2月

がんという病気は、医療だけで治すのはなかなか難しい面がある。そこで、今回は現役の禅宗の僧侶であり、芥川賞作家である玄侑宗久さんをお招きして、鎌田さんと語り合っていただいた。玄侑さんは、禅宗の修行を積まれ、その方面の知識が豊富なばかりでなく、大脳生理学や量子物理学などにも精通し、人間の生き方の根本について、深い洞察力と胆識を持っておられる。わかりやすく、示唆に富んだ彼の語りをどうぞ。  げ...

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がんが私から奪いさったもの、与えてくれたもの 病気に負けないために大切なことは、自分に負けないこと

2006年2月

2004年の猛暑の夏、私は長い間一緒に暮らしていた大好きな彼に別れを告げられた。いろんなことがあったが、恥ずかしながら? 別れたきっかけになったのはよくある男女間のトラブルで、「カレにホカにスキナヒトがデキタ」なのだ。決して珍しいことじゃない。ただ、ちょっと人より違っていて、ちょっと人よりつらかったのは、私は“癌”という病魔と闘っている途中のできごとだったということだ。“癌”という漢字は誰が考えた...

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悪性リンパ腫を乗り越えた「記者魂」 読売新聞西部本社法務室長・広兼英生さん

2006年2月

書くことで整理し、書くことで鼓舞してきた 広兼英生さん (ひろがね ひでお) 読売新聞西部本社法務室長 治る可能性が何割くらいかを尋ねると、医師は一瞬、言葉につまり、そして静かに言った。「治癒率(生き延びる可能性)は、5割以下とされます――」医師からこう宣告され、ショックを受けない人はいないはずだ。病名は「胃原発悪性リンパ腫」。広兼英生さんは病気の深刻さを知った夜、突然の恐怖に襲われた。「夜にな...

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