闘病記

子宮をなくしたが、「女であること」を自分の中でもっと開花させたい 特別対談・洞口依子(女優) × 高橋 都(東京大学大学院講師)

2008年2月

性のことをうまく話し合えない状況に風穴をあける 「タンポポ」などの映画で知られる女優、洞口依子さんは、子宮頸がん、8時間に及ぶ手術、術後の後遺症という幾多の試練をくぐり抜け、仕事に復帰した。が、彼女の身体には、実は大きな穴があいていた。性という名の喪失感だ。しかし、なかなか大っぴらにはしゃべれない。こんなときに知ったのが、がん患者の性問題の第一人者として知られる東京大学大学院講師の高橋都さんだ。2...

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「そんな軽い命なら私にください」と訴えながら命の尊さを説く 「余命1年半」を宣告されてから始めた「いのちの授業」

2008年1月

わたべ しげとし 昭和20年生まれ、1歳から横浜で育つ。 10歳で父を亡くし、小学校時代からアルバイトで家計を支える。 中学卒業後、さまざまな職業に就きながら、定時制の商業高校を卒業。 26歳で婦人服プレス業を開業。会社経営の傍ら、地域の少年野球代表、子供会会長、区の青少年委員を務めるなど、青少年教育に携わった。 平成13年にすい臓がんを発病したが、翌年大手術を乗り越えて、仕事に復帰、江戸川区の教...

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乳がん手術を体験して、痛感するのは「術後外来」システムの必要性 2度の危機、そして沖縄との出会いが脚本家に新しい道を切り拓かせた

2008年1月

高木凛さん 作家・脚本家 沖縄懐石「赤坂潭亭」主人 たかぎ りん 東京都出身。 出版社勤務を経て、80年代後半からテレビ・ラジオの脚本家として活躍。 「黄色い髪」(NHK)、「息子よ」(TBS)などを手がけ、「父系の指」(TBS)では94年度ギャラクシー大賞を受賞。 その後、乳がんの手術後に再訪した沖縄に魅せられ、東京・赤坂に沖縄懐石「赤坂潭亭」を開き、主人となる。 2度目の手術後に書き下ろした...

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「人の心が和む作品」に情熱を傾ける「石創画」の創始者 生かされた命。人に役立つ作品を創るのが生きがい

2007年12月

えだ たかひろ 画家。 1942年大阪市生まれ。 高卒後グラフィックデザインとデッサンを学ぶ。 デザイナーとして活躍後、1978年、石を素材に描く「石創画」の研究制作を開始。 1979年から現在まで、国内、欧州、カナダで開かれた個展は40回以上を数え、美術年鑑、日本紳士録に「石創画創始者」として記載される。 胃がんの体験を経て「日ごろ美術鑑賞の機会がない人たちが親しめるように」と、2007年、「石...

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書くことで病気との距離感がつかめるようになった気がします 女優・洞口依子さんが語る、子宮頸がんと共存するまでの長い長い道のり

2007年12月

どうぐち よりこ65年、東京生まれ。高校生で「週刊朝日」の表紙に。19歳で映画デビュー。伊丹十三、黒沢清監督の映画や、テレビでは久世光彦作品他に出演。著書に『子宮会議』(小学館刊) 子宮頸がんは女性にとって精神的にも肉体的にも辛いがんだ。早期に発見されない限り、子宮とその周辺部を広範囲に摘出するため、子供を生めない体になるだけでなく、ホルモンの分泌が止まって様々な後遺症に襲われる。洞口さんも「精...

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主婦エッセイスト、ほししま ゆあさん 30歳で両卵巣・子宮を失った未婚の女性が理想の伴侶とめぐり合うまでのいばら道 「幸せな結婚」への執念を生きるエネルギー

2007年11月

ほししま ゆあ 1963年京都市生まれ。 大学卒業後、不動産会社、商社などで営業、営業事務に携わる。 1993年卵巣がん発見。 98年、結婚紹介所を通じて知り合った男性と結婚。 05年3月、ホームページを開設。 『一発逆転ホームラン 放つのはあなた!』(文芸社刊) ホームページ『ゆあの部屋』 卵巣がんが見つかったのは今から14年前、ほししまゆあさんが30歳のときだった。 平成5年4月、...

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がんの知識を集めれば集めるほど、彼は「がん患者」に仕上がっていきました 作家/慶應義塾大学文学部教授・荻野アンナ × 鎌田 實

2007年11月

がんとは何かという問いの中で、揺れながらも向き合った2人の心の軌跡 このほど、芥川賞作家で慶應義塾大学文学部教授の荻野アンナさんは、食道がんで逝ったパートナーと自分ががんと向き合った1年2カ月の軌跡を1冊の小説にまとめ刊行した。タイトルは『蟹と彼と私』。今回はこの小説に描かれたがん闘病の日々と、小説が誕生するまでの道のりをアンナさんとともに辿る。 おぎの あんな作家。慶應義塾大学文学部教...

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がんと「闘う」のではなく、「共に生きる」が生存力の秘訣 くり返し襲って来る乳がん転移の恐怖を乗り越えて

2007年11月

あらかね さちこ 昭和63年、乳がんで左乳房摘出手術。 平成2年、肝転移。 平成12年、脳下垂体へ転移。 平成14年、肝転移再発。化学療法による副作用で心停止。ペースメーカー装着。 平成18年3月、肝臓に3度目、平成19年2月に4度目の再発。 呉共済病院在宅医療指導管理室師長を最後に、6月に退職 半分が病後だった36年の看護師生活 「荒金幸子は、美しい人である」と、ノンフィクション作家の中...

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単に治療だけの病院ではなく、患者が患者をサポートできる場に 「がん患者の、がん患者による、がん患者のための病院」の誕生に奔走した女性

2007年10月

なかがわ けい 昭和33年福岡県福岡市生まれ。 広島女学院大学で日本文学を専攻し、インテリアメーカーを経て10年間中学教師として勤務。結婚を機に退職し、専業主婦として実父の介護などを経験。 2000年8月に乳がんが発覚し、2年後に再発。 2003年1月に発足した乳がんの患者会『きらら』の世話人代表として幅広く活躍している。 2005年には子宮がん患者を対象とした患者会『うらら』も立ち上げた 患...

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治療の適応と限界を知って、自分らしい生き方を選ぶ なだらかな下り坂を豊かに過ごす「がんとの共存」人生

2007年9月

ぬかだ いさお 医療法人倫生会みどり病院理事長。 1940年神戸市生まれ。 1966年京都大学薬学部卒業、1975年鹿児島大学医学部卒業。 北九州健和会総合病院を経て、1980年から神戸みどり病院院長、2003年より現職。 1995年の阪神大震災直後には医療ボランティアに奔走、地域に根付いた医療活動に取り組む。 『孤独死』(岩波書店)、『いのち織りなす家族』(岩波書店)等、著書多数。 2003年、...

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