闘病記

がんと生きる

今、二つ目のいのちを伸びやかに生きている がんになって初めて気がついた、一番大切なのは家族だということに・樋口 強さん

2004年7月

樋口 強さん (会社員・全日本社会人落語協会副会長兼事務局長) ひぐち つよし 1952年生まれ。 兵庫県姫路市出身。新潟大学法学科卒。 1975年4月、東レ入社。現在、東レシステムセンター・企画管理部長。 1996年、肺の小細胞がんが見つかり、右肺の3分の1を手術で切除。術前と術後に抗がん剤治療を受ける。 2001年、手術から5年たった記念に「いのちに感謝の落語独演会」を開催。 以後、毎年、が...

詳細はこちら

困難をいくつも乗り越えているうちに、「自分の本当の姿」が見えてきた ミュージシャン・KOUTAROさん

2004年6月

闘病しながらステージに立つ KOUTAROさん ミュージシャン 2月上旬、NHKの夕方のローカルニュースで、ミュージシャン・KOUTAROさん(こうたろう・46歳)が紹介されていた。 2年前、末期の肺がんと診断され、脳への転移を抱えている。放射線で脳腫瘍を枯らすガンマナイフなどの治療を受けながらも、詩や曲を作り、ステージに立つ。 黒いニット帽に口髭。浅黒い肌に黒い服がよく映える。...

詳細はこちら

患者の心に寄り添うボランティアを医療現場に がん体験が患者を置き去りにしない医療の大切さを教えてくれた・今井俊子さん

2004年6月

今井俊子さん (日の出ヶ丘病院ボランティア・コーディネーター) いまい としこ 1938年、沼津市生まれ。 国立療養所久里浜病院付属看護学校卒業。 日本大学文理学部(哲学専攻)卒業。 看護師として川崎市立病院に勤務した後、聖隷学園浜松衛生短期大学講師、佼成看護専門学校講師、東京女子医科大学看護学部助教授などを歴任し、2001年4月から現職。 乳がん患者会「新樹の会」会長。 著書に『病と闘う心』(...

詳細はこちら

娘を亡くした後にも再び「喪失」があるとは、思いもしませんでした インフルエンザ脳症の会【小さないのち】代表・坂下 裕子さん

2004年5月

不妊治療中にがんが見つかった 坂下 裕子さん インフルエンザ脳症の会【小さないのち】代表 大阪の代表的な繁華街、十三。 東京でいう歌舞伎町のような街だ。商店や飲み屋、風俗店などが混在している。そこに働く女性を地元では「十三のねーちゃん」と親しみを込めて呼ぶ。 駅前にいる「客引き」のそばを通り過ぎ、にぎやかな商店街を抜けると、下町情緒の漂う住宅地に出る。アパートやマンション、合気道の道...

詳細はこちら

今は“おまけの人生”を思う存分楽しんでいる がんをくぐり抜けたとき、本当に大切な自分が見えてきた・種川とみ子さん

2004年5月

種川とみ子さん (画家) たねかわ とみこ 1944年、東京都生まれ。 学生時代には油絵を専攻。 21歳で結婚。絵をやめて琴の教師をしていた義母の生徒になる。 30歳のときに子宮頸がん、37歳のときに胃がんを発症。 その後、再び絵筆を取り、現在、どこの団体にも所属せずに画家としての活動を続けている。 遺影のつもりで撮った家族写真 初めての親子水入らずの食事会。初めての家族写真。種川さんの心...

詳細はこちら

「いい加減な医者」はぶっつぶすつもりで活動しています 「癌と共に生きる会」会長・佐藤 均さん

2004年4月

「うまい」!? 抗がん剤治療 佐藤均さん 「癌と共に生きる会」会長 「医療では“舌の肥えた患者さん”は少ない」と、外科医が話すのを聞いたことがある。そのココロは、「同じ手術を2度受けるわけにいかないから」だ。 たしかに、医療の「良し悪し」を患者が評価するのは難しい。ところが、たまたま同じ治療で、「うまい」「まずい」の両方を味わった人がいる。 佐藤均さん(55歳)は、島根県出雲市に住む...

詳細はこちら

「尊厳ある生」こそ大切なもの 無念な思いを抱いて死んでいく人をなくしたいから、私は書き続ける・中島みちさん

2004年4月

中島みちさん (ノンフィクション作家) なかじま みち 1931年、京都生まれ。 TBS勤務を経てノンフィクション作家に。 1970年、乳がんになり、右乳房を切除。姉と夫をがんで亡くしている。 『奇跡のごとく―患者よ、がんと闘おう』(文芸春秋社)、『脳死と臓器移植法』(文春新書)、『患者革命―納得の医療、納得の死』(岩波アクティブ新書)、『がんと闘う・がんから学ぶ・がんと生きる』(文春文庫)など...

詳細はこちら

自分を超えた「何か」が見えれば、死の恐怖は乗り越えられます 精神科医・小澤 勲さん

2004年3月

“超人”を見つけた! 小澤勲さん 精神科医 自分ががんで、しかもそれが全身に転移していると分かった、とする。命の限りが近い、と医師から告げられた。そんな状況で、いったいどれほどの人が、最初から、その事実を平然と受けとめることができるだろうか? それができる“超人”の存在を知ったとき、私は不思議でたまらなかった。 小澤勲さん(64歳)は、2002年の春、肺がんと診断された。リンパ節や胸...

詳細はこちら

がんこそ人生の意味と向き合う絶好のチャンスです 臨床心理士、立命館大学教授・高垣忠一郎さん(59歳)

2004年2月

がんを「簡単に切り取られたくない」 臨床心理士、 立命館大学教授の 高垣忠一郎さん 10月半ばの京都は、初冬の冷え込みだった。夕刻の立命館大学のキャンパスには、マフラーを巻いた女子学生の姿も見える。 高垣忠一郎さん(59歳)は大学院で、臨床心理士(カウンセラー)を目指す学生たちを教えている。 研究室をたずねると、インドのお香が漂う部屋の奥から、高垣さんが現れた。一見、平凡な紳士だが、...

詳細はこちら

ずっと死にたかった私が、がんになって、初めて「生きたい」と思った 日本ペンクラブ会員・詩人 属啓子さん

2004年1月

奇跡のようなラッキーデイ! 日本ペンクラブ会員・詩人の 属啓子(さっか・けいこ)さん (東京都・61歳) その日、奇跡が起きた。 ただし、「**でがんが消えた!」という類のものではない。詩人で文芸評論家の属啓子さんに取材した日の、属さんの体調のことだ。 属さんは3カ月前に、悪性リンパ腫とわかった。取材の日はちょうど2回目の抗がん剤治療が終わったところだった。ここ2カ月で調子のいい日は...

詳細はこちら

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート11月 掲載記事更新!