闘病記

がんになった著名人

本当に沢山の人に救われた。落語を通して倍返しをしたい 腎盂がんと膀胱がんを経験し、さらに芸に磨きがかかった落語家・柳家権太楼さん(68歳)

2015年8月

やなぎや ごんたろう1947年東京都出身。大学では落語研究会で活躍。大学卒業後、故柳家つばめ氏入門、前座名として柳家ほたるを名乗る。75年に二ツ目昇進、柳家さん光に改名。82年に真打昇進、三代目柳家権太楼襲名。12年芸術選奨文部科学大臣賞受賞、13年明治学院大学客員教授就任、紫綬褒章受章闘病生活を通して、本当に沢山の人に救われた。だからこそ「その人たちに、落語を通して倍返ししないといけない。そうし...

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行司は声が命。命が助かっても、手術で声を失ったらおしまいなんです 2008年に食道がんの手術を経験した立行司第37代・木村庄之助さん(65歳)

2015年7月

はたけやま さぶろう1950年青森県出身。幼いころから相撲好きで、中学卒業と同時に高島部屋に入門した。行司としての初土俵は65年7月。12年11月場所より立行司・式守伊之助(第39代)を襲名、13年11月場所には最高位の木村庄之助(第37代)を襲名した。今年3月の春場所をもって定年退職、50年にわたる土俵生活に別れを告げた今年(2015年)3月、大相撲春場所・千秋楽の結びの一番は白鵬と日馬富士の横...

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ホルモン薬でも副作用はある。ためらわないで、相談してもいいのだよ 乳がんホルモン療法の副作用でうつ状態も体験したと語るジャズピアニストの国府弘子さん(55歳)

2015年6月

こくぶ ひろこ東京都出身。ピアニスト・作曲家。国立音楽大学ピアノ科在学中にジャズに目覚め卒業後単身渡米、ジャズ界の重鎮バリー・ハリス氏に師事し、帰国後デビュー。2008年にはNHK教育テレビ「趣味悠々・国府弘子の今日からあなたもジャズピアニスト」に出演、人気を博す。あうんの呼吸の「国府弘子スペシャルトリオ」でも活動中。15年にはアルバム「ピアノ一丁!」を発売「抗がん薬は副作用で大変ということを聞い...

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4度のがんからの生還――。自分にしかできない「がんコント」を 元ゆーとぴあホープ 大腸がん、肺がん、胃がん、小腸がんを経験し、お笑いの舞台に戻ってきた芸人・城後光義さん(65歳)

2015年5月

じょうご みつよし1949年福岡県出身。1970年、レオナルド熊と「コント三冠王」を結成。浅草松竹演芸場でデビュー。74年「コントスリーピース」結成、78年「コントゆーとぴあ」を結成。「ゴムパッチンよろしくネ」の挨拶をはじめ、「アントニオ猪木」「学園コント」などで名人劇場に再デビュー。フジサンケイ演芸大賞で「ホープ賞」を2度受賞。96年には「東京新喜劇21」の座長も務めている大腸がん、肺がん、胃が...

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大腸がんのおかげで、今生きています ステージⅢの大腸がんと骨病変前立腺がんを乗り越えて活躍するサクソフォン奏者・苫米地義久さん(70歳)

2015年4月

とまべち よしひさ1944年東京・青山に生まれる。64年、録音スタジオエンジニアとして日本ビクター(現ビクターエンタテインメント)に入社。91年作曲家・サクソフォン奏者として独立。95年からオリジナルアルバム『音楽紀行シリーズ』他の製作を開始。06年には世界の名曲を集めた『TOMA Ballads』を発表。14年にはその第4弾として『TOMA Ballads4』をリリースした「がん運」というものが...

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思いのほか進行していた病。それでも彼は、這い上がってきた 42歳の若さで浸潤性膀胱がんと激戦を強いられた元世界ミドル級王者の竹原慎二さん(43歳)

2015年3月

たけはら しんじ1972年広島県出身。中学卒業後、プロボクサーを目指して88年に上京。89年にプロデビュー。1995年、無敗のまま24戦目で世界初挑戦し、見事日本人初のミドル級世界王座を獲得。引退後はタレント活動の傍ら、元ライト級世界王者の畑山隆則氏と「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」を立ち上げ、経営者として手腕も発揮している「ここまでいったらもう駄目だろう、死ぬんだろうなと思いま...

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声が出ない日々――。廃業の恐怖と隣り合わせでした 喉頭がんで一時的に声を失ったものの、見事「笑点」に復帰した落語家の林家木久扇さん(77歳)

2015年2月

はやしや きくおう1937年東京都出身。高校卒業後、森永乳業に入社。その後漫画家を目指し、清水崑氏に師事。60年に清水氏の紹介で三代目桂三木助門下へ入門し落語家になる。林家木久蔵を名乗り、72年に真打ち昇進。07年に林家木久扇を襲名。現在、(社)落語協会相談役、(社)日本漫画家協会参与など、精力的に活動している噺家にとって声は命。とくに林家木久扇さんの声は、多種多様なギャグや物まねを演じきることが...

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「食わず嫌い」でなかったから辿り着いた自分にベストな治療法 自らの足で調べ、前立腺がんの治療法を選択した元巨人軍の角 盈男さん(58歳)

2015年1月

すみ みつお1976年にドラフト3位で読売巨人軍に指名を受け、翌年入団。78年に新人王獲得。その後、ヤクルト及び巨人の投手コーチを歴任、ヤクルト投手コーチ時代には球団日本一に貢献する。現在野球評論家の傍らタレント活動としてバラエティ番組に数多く出演すると共に、講演活動、野球教室など幅広く活動している前立腺がんは治療法が多い分、どの方法にすべきか、迷う患者さんは多い。現役時代巨人軍のストッパーとして...

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大腸がんのステージⅣ がんとの付き合いはもう9年になります 直腸がんの肺転移、肝転移になりながらも、ニュースの職人であり続けるジャーナリスト鳥越俊太郎さん(74歳)

2014年12月

とりごえ しゅんたろう1940年福岡県生まれ。京都大学卒業後、1965年毎日新聞社入社。1988年「サンデー毎日」編集長を経て、1989年「ザ・スクープ」(テレビ朝日)でキャスターに。2001年「桶川女子大生ストーカー事件」で日本記者クラブ賞受賞。"ニュースの職人"として様々な番組のキャスターやコメンテーターを務める傍ら、がんに関する講演活動も行っている2005年、直腸がんが見つかった鳥越俊太郎さ...

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自分を客観視する習性が、がん克服に導いてくれたのだと思います なかにし礼 × 鎌田 實 (後編)

2014年11月

陽子線治療で食道がんを克服した直木賞作家がいま思うこと前号で名医の切除手術を拒絶し、陽子線治療で食道がんを克服したことを、絶妙な語り口で明かしたなかにし礼さん。後編では、がんの話から少し離れて、作詩家から小説家に転身した経緯から、人間が生きていくためにはエロス(人間愛)が欠かせないという話まで、鎌田さんと含蓄に富んだ話題で大いに盛り上がった――。 なかにし礼さん「人生のエピローグらしく、言い残して...

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