2007年3月
年に1度開催している「つくばピンクリボンフェスティバル」乳がん啓発のための「つくばピンクリボンフェスティバル」乳がん患者は年々増加傾向にあり、今では、女性の23人に1人が乳がんに罹患すると言われています。厚生労働省の発表によると、2005年には日本全国で1万人以上が乳がんによって亡くなっているという状況です。この数は、全国の交通事故による死亡者数を上回っています。当会は、乳がん検診の大切さを広く一...
2007年2月
寄せられた署名を集計する「スマイリー」会員たち 06年11月16日、東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターに、重いスーツケースを引いた女性がやってきた。「卵巣がん体験者の会スマイリー」の代表、片木美穂さん(33歳)だ。 この日、「スマイリー」の会合があり、7人のメンバーが集まってきた。同会は主にインターネットを中心に活動していて、こうして直接、顔をあわせるのは、この日でようやく2回...
2007年2月
活動場所となる「花みどり文化センター」自然とのふれあいが心を癒し、希望を見出す 毎月1回、園芸療法に基づいた自然遊びのプログラムを開催。10月に行われた「ネイチャー・ハロウィン」(上) 11月、ケナフを使った紙すきの様子(下)ボタニカルキッズクラブは、「がん患者の子育て支援を!」との思いから、小児がんなどの難病を患うお子さんや親御さん、自らががん患者の子育て世代のご家族の方を主な対象に、毎月1回、...
2007年1月
遅れている日本のがん患者をめぐる状況 「Anda's Spirit」代表、事業家のヘンリ・ジマンドさん ――まず、今回の来日の目的から教えてください。 ヘンリ 私は全世界で「希望と愛」を伝えることで、がん患者やHIV患者の支援活動を進めています。その一環として、日本のがん患者がどのような状況に置かれているかをリサーチしたいと考えました。 ――すでにいろいろな方たちからお話を聞かれて...
2007年1月
大勢の人が一緒に発する「鬨」の声が活動の原動力「リンパ浮腫の啓発」と「実態調査」を活動の柱に「リンパ浮腫に対する弾性着衣を保険適応にする会~鬨(かちどき)の会~」は、2005年1月に発足した医療非営利団体です。始まりは私の乳がん発覚!そして手術、抗がん剤、放射線とフルコースの治療の果てにリンパ浮腫の発症! でも、ここで泣いてばかりはいられじと一念奮起し、ドイツでリンパドレナージの技術を学んだ後に、...
2006年12月
代表の金子明美さん 共に泣き、共に笑い、共に生きる「フォーエバー」は、北海道で活動をしている、患者さんや家族みんなで作り上げる患者会です。がんの種類にもこだわらず、またお互いの気持ちを理解しあうきっかけにもなればと思い、患者さんだけではなく家族の方、医療者の方のどなたでも参加できる自由参加の会です。ただ営利目的や、政治、宗教の勧誘はしないことを条件とさせていただいております。3年前、私は大腸がんか...
2006年11月
ねむの会代表の金井弘子さん患者会を必要としなくなるまで患者さんと伴走できる会でありたい遠くまで出かけなくても、千葉で同じ乳がんの患者が集まって情報を得ながらおしゃべりをしたり、勉強会を兼ねた小さい講演会を開催したりできる会があったらいいなと、2000年に乳がんの患者会を立ち上げました。最初はお手伝いをしてくださる方も少なくて難儀をしましたが、だんだん趣旨に賛同してくださる方が増えて、今では用事が無...
2006年10月
がんと闘った孤独な体験 波瀾万丈の人生を送ってきた曽我千春さん 「99年のはじめごろでしたが、自宅でシャワーを浴びていたら、右胸にゴリッとした感触を覚えて、これはもしかして、と思いました」 近くの総合病院を受診したが、明確な診断結果は得られず、医者は「生検しましょう」という。ということは、胸にメスを入れるということ。医者にいわれるままでいいのだろうか、と不安に思った曽我さんは、情報を得...
2006年10月
代表の横内邦子さん人に話すことで悩みは半分に、喜びは倍にすずらん会が活動の拠点としている「富山県立中央病院」では、1992年8月に初の骨髄移植が行われ、その後急速に移植件数が増えていきました。そんな中、1994年に病院の移植医の薦めもあり、初めて骨髄移植をした患者・患者家族が患者の会を立ち上げました。この会を、元通りの健康な体と生活を取り戻したいとの願いと、すずらんの花言葉、リターンハッピネスから...
2006年9月
豪華客船「飛鳥」の第1期乗組員 「がん患者が普通の暮らしを」と語る沖原幸江さん 神奈川県在住の沖原さんは1962年の元旦生まれ。短大の英語科を卒業して日本マクドナルドに入社し、販売促進を担当した。20代の終わりを迎えたころ、自分の人生はこのままでいいのか、ほかにやりたいことはないのか、と考える自分がいた。もともと海外志向で、海外へ出かけていく仕事に憧れを持っていた沖原さんは、転職を決意。選...