患者よ!がんサバイバーになろう
「がんサポート」からの提言 自分の再発見、自分らしい生き方の追求を目指して、社会にムーブメントを
がんとともに生きることを考える
『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(講談社刊)
ランス・アームストロングさんは1971年アメリカ・テキサス州生まれ。21歳のとき史上最年少で世界自転車選手権で優勝するなど順調に世界の一流自転車選手の道を歩んでいたが、96年25歳で精巣がんを発症。苦しい闘病生活を乗り越え、99年に自転車レースの最高峰ツール・ド・フランスで個人総合優勝し、奇跡の復活を遂げた。タイトルのマイヨ・ジョーヌとは、自転車レースで1位の選手だけが着られる栄光のジャージのこと
「今、世界はテロと闘っている。しかし私は別のテロについて語りたい。がんという名のテロだ」
2003年12月、アメリカの首都、ワシントンでランス・アームストロングさんはそう語った。アームストロングさんは世界最大の自転車ロードレースであるツール・ド・フランスで2004年、前人未踏の個人総合6連覇という偉業を果たした自転車競技のトップ選手である。自転車競技の選手というと、欧米では日本と比較にならないくらい知名度も社会的地位も高い。最高峰のレースで史上初の6連覇を成し遂げたアームストロングさんは、自転車競技の人気が高いヨーロッパでは英雄扱いである。
そのアームストロングさんには、自転車競技の英雄とは別にもう一つの顔がある。“がんサバイバー”としての顔だ。
1996年、アームストロングさんは進行性の精巣がんを発病し、手術を受けた。精巣がんは早期発見すれば9割が治癒するとされているが、アームストロングさんの場合、発見されたときすでに脳と肺に転移があった。だが、手術と抗がん剤治療によって彼は奇跡的に生還した。そして1998年にレースに復帰すると、翌99年にはツール・ド・フランスに優勝。以後、連覇を重ねていくのだが、その間には故郷のテキサス州に非営利財団のランス・アームストロング基金を設立し、がん患者やがん体験者を支える活動の助成や研究に数億円の資金を提供している。
「がんとともに生きることを考えよう」
ことあるごとにそう訴え、多くの患者や家族に勇気を与えているアームストロングさんは、まぎれもなくがんサバイバーの1人である。
人生の最後までがん生存者であり続ける
日本でもここ数年、がんサバイバーという言葉が使われるようになった。サバイバーとは「生存者」という意味だから、がんサバイバーといえばがんの生存者ということになる。けれども今、がんサバイバーという言葉には、一般的に言われるがんになった後の長期生存者という意味ではなく、もっと積極的な意味が付与されている。治療中とか治療後とか、がんになって数カ月とか10年とかの段階に関係なく、がんと向き合い、自らの意思でがんとともに生きていこうとしている人のことを、がんサバイバーというのである。
がんサバイバーという言葉にそうした積極的な意味を与える最初のきっかけをつくったのは、アメリカのサバイバーシップ連合(National Coalition for Cancer Survivorship:NCCS)という組織だった。
アメリカのがんサバイバーシップ連合は1986年、25人の代表者によって結成された。この“がんサバイバーシップ”とは、『新しいがん看護』(大場正己・遠藤恵美子・稲吉光子編著、ブレーン出版刊)によれば、「長期生存を意味するだけのものではなく、がんという疾患や治療効果の有無ということを越えて、がんと診断されたときから人生の最後までがん生存者であり続ける」という、新しいがん生存の概念である。
人はがんになった途端、医療者からは余命何年とか5年生存率がどれくらいという見方をされるようになる。そして周りの人からは「まだ若いのに気の毒に」とか「もう希望はないね」といういわれ方で同情され、ときには差別される。まるで人間としての価値が下がってしまったかのように。
患者らしくではなく自分らしく生きたい
けれども自分たちは「がん患者らしく」ではなく、がんという病気と向き合いながら最後まで「自分らしく」生き抜きたい、生を全うしたいというのが、がんサバイバーシップ連合の主張であった。治療後5年生きたから成功で4年で亡くなったから失敗というのではなく、生ある限り自分らしく生きていこうという人間としての当然の権利の主張である。
「アメリカのサバイバーシップ運動は、医療者からではなく、がんを経験した一般の市民から出てきたのが一つの特徴」
というのは、サバイバー運動に詳しい北里大学病院総合相談部のオンコロジー専門看護師、近藤まゆみさんだ。がんサバイバーが自らの権利を主張する運動や、がんサバイバーを支援していこうとする活動を、サバイバー運動という。
近藤さんはさらに続けて、アメリカのサバイバー運動が患者サイドから出てきた背景には、がん患者が感じる差別に似た感情があると指摘する。
「40~50年前はアメリカでもがんの告知率は20~30パーセント程度でした。医療者のほうはがんであることをいいませんでしたし、患者の側でも自分ががんであることを隠す人がいました。がん患者であることが知られると差別されたり同情されたりすると感じるため、自分で殻をつくって閉じこもったり家のなかに引きこもる人たちがいたのです。ただそういう生き方は自分らしい生き方ではありません。だからサバイバーとして自分の存在とか権利を主張していきたい、認めてもらいたいという姿勢で患者たちが運動を始めたのです」
以前、日本がん看護学会にこのがんサバイバーシップの導入を図った北里大学病院看護部長の小島恭子さんも、「週刊医学界新聞」(2001年1月29日刊)の中でこう述べている。
「(がんサバイバーシップは)がんが慢性疾患として位置づけられ、医学的見地から5年生存率や治療効果を評価した生存期間を重視するものではなく、発病し、がんと診断された時からその生を全うするまでの過程を、いかにその人らしく生き抜いたかを重視した考え方とも言えます。不治の病に侵され、社会的な偏見にさらされてきたがん患者さんが、人権やQOL(生活の質)を問い、受身の姿勢から自らがその復権に立ちあがったわけです。がんと共存し、意味ある人生を生き抜くという、能動的な姿勢がそこにあります」
最後まで自分らしく生きていくためには、受けたいと思う治療を受けられること、痛みや苦しみを取り除いた高いQOL、正しい情報、偏見のない社会などの実現が必要になる。そしてそれらを実現するためには患者の家族はもちろんのこと、医療者や地域社会の協力や支援が欠かせない。そのためがんサバイバーシップ連合の運動は、広く社会に働きかけるものとなった。事実、がんサバイバーシップ連合は治療費の問題、がん関係の研究予算の要求、患者にとって治療上のアンフェアな問題などを政府に訴えかけたりもしている。
患者と家族を精神的に支える
心理学博士。ウェルネス・コミュニティーナショナル研究開発部門バイスプレジデント。がん患者のための1500を超えるサポート・グループを支援している
これより前の1982年には、がん患者とその家族に精神的、社会的支援や教育などを提供する国際NPO(特定非営利活動法人)のウェルネス・コミュニティーがハロルド・ベンジャミン博士によって設立されている。これもサバイバー運動の一つの流れといえる。ベンジャミン博士はがんサバイバーシップ連合が設立されたときの代表者の1人でもある。
現在、全米22カ所に拠点を持ち、28カ所のサテライトオフィスを持つウェルネス・コミュニティーの考え方の基本は、アクティブな患者になること。そのために必要な支援や教育、運動などの各種プログラムを取りそろえていて、がん患者は精神的なサポート活動に無料で参加することができる。栄養セミナーなども行っている。最新の情報を維持できるように医学分野をはじめとする多くの学会や組織と連携して企画、開発、運用しているそれらのプログラムは5500近くにおよぶほどだ。
2004年11月、東京のよみうりホールで「がん・医と心を考える/がん患者を支えるには」と題されたシンポジウムが開かれた。このシンポジウムに参加していたウェルネス・コミュニティーの研究開発部門バイスプレジデントでカウンセリング心理学博士のミッチ・ゴラント氏は、小誌編集部によるインタビューに答えて次のように語った。
「ウェルネスではとくにがん患者の孤独感を癒し、家族や遺族へのサポートやストレス対策に力を入れています。また、そうしたストレスケアチームに参加するための情報と知識の提供にも取り組んでいます。このチームには、たとえば患者さんが積極的に語ることでストレスをケアするプログラムなどがあります。私たちの調査によれば、乳がん患者がサポートグループに参加したことで、うつ状態が改善され、痛みが緩和されたことで睡眠時間も長くなったなどの有効性が確認されています。さまざまなサポートグループに参加し、いろいろな人と交流することで自分自身の気持ちを建て直し、発展させ、自分を変えることができるようにもなります」