闘病記

がんと生きる

「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(2)

2006年2月

2. 入院 2004年1月 誕生日祝いに長女と 平成11年夏から膵嚢胞を観察するため、半年に1度エコーを撮ることになった。幸い私の膵嚢胞は変化なく、無事5年が過ぎた。 15年7月の検査のとき、「5年間何ともないので次は1年後にしますか」とK医師から言われた。一瞬迷ったが「半年に一度安心を得たいので、1月にまた来ます」と答えていた。 K医師は平成16年1月19日に予約を入れた。それが運命...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(序)

2006年1月

小川嘉子さん おがわ よしこ 社会保険労務士。神奈川県在住。2女の母。昭和62年社会保険労務士のご主人と小川労務管理事務所を開設。平成10年10月人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかる。平成16年1月膵がんの診断を受け手術。術後抗がん剤治療を受ける。 社会保険労務士としてご主人とパートナーを組んで、また2人の娘の母として忙しく働いていた小川嘉子さん。これは、膵がん告知にはじまり、手術、術後...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(1)

2006年1月

1. 検査 「先生、これはがんですか?」 「そうですね」 「切れますか?」 「切れますね」 「部分ですか?」 「いや、全摘ですね」 平成16年1月19日、T大学医学部付属病院消化器内科の診療室、K医師との会話である。シャーカステンに並べられた3枚のエコー写真には膵体部の右、頭部に近いほうにはいつもの見慣れた嚢胞。それに加えて尾部に近い上部に新たに12ミリほどの腫瘍が写ってい...

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多くのサポートに恵まれ、在宅で家族と過ごす 最後の最後まで笑って過ごしたい

2005年12月

2004年の3月。普段は自分の胸なんか触らないのに、そのときは右胸がかゆくて、触ったら「あれ?」って思ったんです。それぐらい大きいしこりでした。実は、2003年9月に市の乳がん検診(触診のみ)を受けていましたので、今から考えると進行が早いタイプのがんだったのかもしれません。すぐに近所の総合病院で検査を受けて、そのとき先生が看護師さんに陰で「ほぼクロ」と言っているのが聞こえました。結果が出るまでの1...

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前立腺がん、食道がん、胃がん、直腸がんの多重がんを乗り越えた食生活革命 レストラン「アラスカ」会長・望月豊さん

2005年12月

50年間ほとんど野菜を食べなかった望月さんは、がんをきっかけに野菜と魚中心の食生活に変えた 望月豊さん (もちづき ゆたか) レストラン「アラスカ」会長 大阪・中之島のオフィス街のど真ん中に、朝日新聞社ビルがある。その最上階に、昭和3年(1928)から続く老舗のレストラン「アラスカ」本店がある。 フレンチでもイタリアンでもない、日本人好みの西洋料理でもてなす。名物はエスカルゴやロース...

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残された時間を、支えてくれた人たちに持てる力の全てを出して恩返しすることに使いたい 「もう一度コンサートを」の目標が、膵がんを抑え込んだ・木村功さん

2005年12月

木村功さん( ジャズミュージシャン) きむら いさお 1948年生まれ。宮城県出身。 本名江村功。高校時代に入ったブラスバンド部でジャズを知り、高校卒業後はサックス奏者の道を歩む。 1993年には東京ジャズギルドオーケストラを結成し、バンドリーダーを務める。 2004年9月、膵臓がんを発病。 開腹手術を受けるもすでに腹膜播種があったためそのまま閉じ、余命半年を告げられる。 しかしその後、化学療法...

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大手広告会社営業部長、死の淵を潜り抜けた472日間の白血病闘病

2005年11月

奇跡は待っていても起こらない。自ら道を切り開いた不屈のパワー葬式の最中に「すぐ会社へ戻って来い」 吉田寿哉さん (よしだ としや 43歳 東京都中央区) 広告会社部長 98年、東京ドームで『メリルリンチ スーパードームシリーズ〈日米野球〉』が開催された。 大リーグを代表する強打者サミー・ソーサらが参加し、イチローや松井稼頭央が世界へ飛躍するきっかけともなったこの球宴は、野球ファンのみならず多くの...

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カンボジアへの支援活動が闘病の支えに がんと共存しながら、最期まで目的を持って生きる・岡村眞理子さん

2005年10月

岡村眞理子さん (「カンボジアに学校を贈る会」代長) おかむら まりこ 1947年生まれ。東京都出身。 1992年、選挙監視のボランティアでカンボジアにいったのをきっかけに、94年、「カンボジアに学校を贈る会」を立ち上げた。 2001年乳がんを発症。 全摘手術を受けるもその後、再発・転移を繰り返し、2004年1月には炎症性乳がんと診断された。 もう悩むのはやめた 「この前、玉川温泉に行ったとき...

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納得の治療に必要なのは医師との信頼関係 在宅で自分らしく生きる

2005年9月

2004年春。何となく風邪が治りにくいと感じていました。が、もともと病院が嫌いだったこともあり、たいしたことはないだろうという思いから、そのまま病院にもいかず、忙しい毎日を過ごしていました。58歳の私は、建築や鉄・コンクリートを専門とする写真家で、自宅の隣に事務所を置いて仕事をしていました。しかし、風邪は一向に良くなる気配はありませんでした。今までは暑がりで、冷房なしにはいられなかったにも関わらず...

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知ではなく「言葉のもてなし」を相手に届けたい 2つのがんを体験し、4つの袋を身につけながらも、語り続けるプロの語り部・川島保徳さん

2005年8月

川島保徳さん (語り部) かわしま やすのり 1939年、中国大陸に生まれ、終戦後郷里群馬に帰る。 中央大学経済学部卒業。プロの語り部として民話や昔話を口演して回る。 1997年、大腸がん発症。 2000年、膀胱がん発症。 いずれのときも手術で、人工肛門と人口膀胱を造設した。 日本民話の会、民話と文学の会、子供民話の会会員。 人に喜ばれることの喜び 大学に通いながら、人形劇団に所属し、NH...

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