闘病記

がんと生きる

ブログを通じて日本版リレーフォーライフの実現をめざす 「がん患者支援プロジェクト」代表・三浦秀昭さん

2006年4月

夜明けが来ることを信じて仲間と歩き続ける 三浦秀昭さん (みうら ひであき) 「がん患者支援プロジェクト」代表 リレーフォーライフ(Relay for Life)、というイベントがあるのをご存じだろうか。直訳して「命のリレー」。がんのサバイバーや支援者が、朝まで夜通し交代で公園や競技場のトラックを歩き続ける、24時間チャリティー・ウォークである。会場ではがんで亡くなった人々の追悼セレモニーのほか...

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直径30センチの巨大腫瘍から、私はこうして生き抜いた

2006年3月

信じられないような真っ赤な血尿 思い起こせば、「よくぞここまで生き延びたなあ」と思う。普通ならなかなかこうはいくまい。実際、彼自身、1度は諦めかけたこともあった。それでも諦めず、踏ん張った。その結果が、こうして4年半の生存、それも単に生きながらえるだけでなく、仕事をしながら、家族と楽しく過ごしながらの生存に結びついたのだ。 村岡雅史(仮名)さん。大柄だが温和な顔立ちの46歳の歯科医である。東京...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(3)

2006年3月

3. 手術(その1) 2004年1月。入院当日、花の手入れを娘に頼んで家をあとに 平成16年1月30日、いよいよ手術の日。説明書通りの手順で準備が進む。6時から採血、浣腸、尿管挿入、首の点滴開始。手術着とT字帯に着替える。 主治医のA医師がどろどろした液体を鼻から入れる。「麻酔薬だから吸い込むようにして飲んで」と言われ、気味が悪かったが必死で吸い込む。鼻から胃へチューブを入れるための前処置...

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がんが私から奪いさったもの、与えてくれたもの 病気に負けないために大切なことは、自分に負けないこと

2006年2月

2004年の猛暑の夏、私は長い間一緒に暮らしていた大好きな彼に別れを告げられた。いろんなことがあったが、恥ずかしながら? 別れたきっかけになったのはよくある男女間のトラブルで、「カレにホカにスキナヒトがデキタ」なのだ。決して珍しいことじゃない。ただ、ちょっと人より違っていて、ちょっと人よりつらかったのは、私は“癌”という病魔と闘っている途中のできごとだったということだ。“癌”という漢字は誰が考えた...

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悪性リンパ腫を乗り越えた「記者魂」 読売新聞西部本社法務室長・広兼英生さん

2006年2月

書くことで整理し、書くことで鼓舞してきた 広兼英生さん (ひろがね ひでお) 読売新聞西部本社法務室長 治る可能性が何割くらいかを尋ねると、医師は一瞬、言葉につまり、そして静かに言った。「治癒率(生き延びる可能性)は、5割以下とされます――」医師からこう宣告され、ショックを受けない人はいないはずだ。病名は「胃原発悪性リンパ腫」。広兼英生さんは病気の深刻さを知った夜、突然の恐怖に襲われた。「夜にな...

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氷壁に挑み続ける山男の「がん」をものともせぬ生き方 登山家・磯部道生さん

2006年2月

夢をあきらめない。それが、「生きる」ということ 磯部道生さん (いそべ みちお) 登山家 関西屈指の温泉地・有馬は、六甲山の北側に位置する盆地だ。街から近い手軽な温泉として、関西人に人気がある。その地元で、「有馬3奇人」の1人とされるのが、登山家・磯部道生さん(61歳)だ。彼は、2003年8月、胃がんで、胃と脾臓の全摘手術を受けた。ふつう、「がん」と診断されれば、動揺する。手術前後は、ふだん忙し...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(2)

2006年2月

2. 入院 2004年1月 誕生日祝いに長女と 平成11年夏から膵嚢胞を観察するため、半年に1度エコーを撮ることになった。幸い私の膵嚢胞は変化なく、無事5年が過ぎた。 15年7月の検査のとき、「5年間何ともないので次は1年後にしますか」とK医師から言われた。一瞬迷ったが「半年に一度安心を得たいので、1月にまた来ます」と答えていた。 K医師は平成16年1月19日に予約を入れた。それが運命...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(序)

2006年1月

小川嘉子さん おがわ よしこ 社会保険労務士。神奈川県在住。2女の母。昭和62年社会保険労務士のご主人と小川労務管理事務所を開設。平成10年10月人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかる。平成16年1月膵がんの診断を受け手術。術後抗がん剤治療を受ける。 社会保険労務士としてご主人とパートナーを組んで、また2人の娘の母として忙しく働いていた小川嘉子さん。これは、膵がん告知にはじまり、手術、術後...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(1)

2006年1月

1. 検査 「先生、これはがんですか?」 「そうですね」 「切れますか?」 「切れますね」 「部分ですか?」 「いや、全摘ですね」 平成16年1月19日、T大学医学部付属病院消化器内科の診療室、K医師との会話である。シャーカステンに並べられた3枚のエコー写真には膵体部の右、頭部に近いほうにはいつもの見慣れた嚢胞。それに加えて尾部に近い上部に新たに12ミリほどの腫瘍が写ってい...

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多くのサポートに恵まれ、在宅で家族と過ごす 最後の最後まで笑って過ごしたい

2005年12月

2004年の3月。普段は自分の胸なんか触らないのに、そのときは右胸がかゆくて、触ったら「あれ?」って思ったんです。それぐらい大きいしこりでした。実は、2003年9月に市の乳がん検診(触診のみ)を受けていましたので、今から考えると進行が早いタイプのがんだったのかもしれません。すぐに近所の総合病院で検査を受けて、そのとき先生が看護師さんに陰で「ほぼクロ」と言っているのが聞こえました。結果が出るまでの1...

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