「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(6)
2006年7月
6. 外来抗がん剤治療(その1) 3月(術後2カ月) 5日、退院翌日。少し胸がつかえる感じがする。先週もジェムザール投与2日目に同じ感じだった。軽い副作用かなと思う。料理を作っていても手を伸ばすと傷口が痛いので、上の棚からお鍋が下ろせない。デスクワークも2時間が限度。ソファーに横になると、うとうとしているらしい。もどかしいけど、徐々に回復するだろうから焦らないことにする。 11日、外来で...
がんと生きる
2006年7月
6. 外来抗がん剤治療(その1) 3月(術後2カ月) 5日、退院翌日。少し胸がつかえる感じがする。先週もジェムザール投与2日目に同じ感じだった。軽い副作用かなと思う。料理を作っていても手を伸ばすと傷口が痛いので、上の棚からお鍋が下ろせない。デスクワークも2時間が限度。ソファーに横になると、うとうとしているらしい。もどかしいけど、徐々に回復するだろうから焦らないことにする。 11日、外来で...
2006年6月
希望を糧に、間断なく攻め立てる転移と壮絶に闘う女性 米澤京子さん (よねざわ きょうこ) 主婦・ 『キュアサルコーマ』設立メンバー 「平滑筋肉腫」という病名を聞いたことがあるだろうか。「平滑筋」とは、消化管壁や子宮の導管、血管壁など、自分の意志では動かすことのできない不随意筋のこと。この平滑筋にできる腫瘍を、平滑筋肉腫という。軟部肉腫のひとつだ。患者数は10万人に1人と少なく、若い人がかかりやす...
2006年6月
5. 抗がん剤治療 1カ月ぶりのわが家! 懐かしい。とっ散らかっているが、やっぱりわが家はいい。今日は何もせずゆっくりすることにし、次女と一緒にお風呂に入った。「久しぶりだね」と言いながら娘が腫れ物に触るようにして洗ってくれる。長女が帰って来たので、ケーキはなかったが紅茶で退院を祝って喜び合った。色々話したいこともあったが、それは明日にしてぐっすり眠った。 やっぱりわが家はいい! 自宅へ戻...
2006年6月
秋も深まったある日、私は知り合いにコーヒーをご馳走しようと、大きめのコーヒーを2杯買いました。でも、その日はその知り合いに会うことができず、コーヒー好きの私はその2杯のコーヒーを両方飲む羽目になってしまいました。その頃の私は、企業の新薬開発担当看護師として働き始めたばかりの頃でもありました。慣れない環境のせいか、食欲があまりなく、胃もたれがあるときもありましたが、たいして気に留めてもいませんでした...
2006年5月
がんに背中を後押しされて、今、「本来の自分」を生きる 平沼昇一さん (ひらぬま しょういち) ジャズ・ベーシスト 神戸は日本のジャズの発祥地だ。大正12年、ここで日本初のジャズバンドが誕生した。今でも、神戸の繁華街・三宮には、ライブハウスやジャズバーが軒を連ねる。 『グリーンドルフィン』も、その1つ。オーナーは、ベーシストの平沼昇一さん(53歳)だ。彼は約6年前、47歳のときに胃がんで...
2006年5月
4. 手術(その2) 運動がてらよく利用したA棟の売店 2月8日(日)術後9日目 今日は日曜日だというのに、午前中胆肝膵外科のM教授の回診があった。ざっくばらんな感じであまり緊張しないですんだ。主治医がドレーンについて説明すると「抗生物質でよく洗うように」と指示していた。 ドレーンの回りを残して全部抜糸。2、3カ所きついところがあり、思わず「痛っ」と声がでた。主治医は笑って「ここは僕が...
2006年4月
夜明けが来ることを信じて仲間と歩き続ける 三浦秀昭さん (みうら ひであき) 「がん患者支援プロジェクト」代表 リレーフォーライフ(Relay for Life)、というイベントがあるのをご存じだろうか。直訳して「命のリレー」。がんのサバイバーや支援者が、朝まで夜通し交代で公園や競技場のトラックを歩き続ける、24時間チャリティー・ウォークである。会場ではがんで亡くなった人々の追悼セレモニーのほか...
2006年4月
私の祖母は東京生まれの東京育ちですが、祖父が秋田出身です。娘である私の母は、秋田に嫁ぎ、私はそこで生まれ育ちました。私は高校受験のときに祖母を頼って上京することを決心しました。もちろん最初は両親も反対しましたが、祖母が「私が面倒見てあげるからいらっしゃい」と言ってくれたおかげで東京での生活がスタートしました。祖母は私のおじにあたる息子と2人暮しでしたので、私のことを本当にかわいがってくれました。結...
2006年3月
信じられないような真っ赤な血尿 思い起こせば、「よくぞここまで生き延びたなあ」と思う。普通ならなかなかこうはいくまい。実際、彼自身、1度は諦めかけたこともあった。それでも諦めず、踏ん張った。その結果が、こうして4年半の生存、それも単に生きながらえるだけでなく、仕事をしながら、家族と楽しく過ごしながらの生存に結びついたのだ。 村岡雅史(仮名)さん。大柄だが温和な顔立ちの46歳の歯科医である。東京...
2006年3月
3. 手術(その1) 2004年1月。入院当日、花の手入れを娘に頼んで家をあとに 平成16年1月30日、いよいよ手術の日。説明書通りの手順で準備が進む。6時から採血、浣腸、尿管挿入、首の点滴開始。手術着とT字帯に着替える。 主治医のA医師がどろどろした液体を鼻から入れる。「麻酔薬だから吸い込むようにして飲んで」と言われ、気味が悪かったが必死で吸い込む。鼻から胃へチューブを入れるための前処置...