闘病記

がんと生きる

治療の適応と限界を知って、自分らしい生き方を選ぶ なだらかな下り坂を豊かに過ごす「がんとの共存」人生

2007年9月

ぬかだ いさお 医療法人倫生会みどり病院理事長。 1940年神戸市生まれ。 1966年京都大学薬学部卒業、1975年鹿児島大学医学部卒業。 北九州健和会総合病院を経て、1980年から神戸みどり病院院長、2003年より現職。 1995年の阪神大震災直後には医療ボランティアに奔走、地域に根付いた医療活動に取り組む。 『孤独死』(岩波書店)、『いのち織りなす家族』(岩波書店)等、著書多数。 2003年、...

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がんとの出会い。ホスピス医ががんから学んだもの 人生は出会い。自然の摂理に身を任せて生きる

2007年8月

つねとう さとる 1959年大分県生まれ。 1985年筑波大学医学専門学群卒業。 1993年英国St.Christopher's Hospisにて研修。 1995年淀川キリスト教病院ホスピス長、 2001年大阪大学大学院人間科学研究科助教授、 2006年10月より大阪大学大学院医学系研究科に開設された日本初の緩和医療学の講座の教授に就任。 日本緩和医療学会(常任理事)、日本ホスピス緩和ケア協会(幹...

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数々のスクープをものにしたジャーナリストががんで学んだもの 夫婦ダブルでがんを乗り越えた「相手への思いやり」

2007年6月

ふじわら ゆうこう 1936年東京・墨田区生まれ。 日本大学芸術学部映画学科卒。共立通信社を経てテレビ芸能番組のレポーターを務め、以後フリージャーナリストとして数々の芸能事件をスクープする。 著書に『芸能界入試問題集』、『スターへの階段を駆ける少女』、『江利チエミ物語 テネシーワルツが聴こえる』、『美智子皇后の70年 女人抄』など。 伝記小説、ドキュメンタリー作品の取材、執筆に取り組んでいる。 ...

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肺がん4期。脳転移、骨転移を乗り越えて がんと共に3年を過ごして

2007年6月

山上愛さん [病歴] 2003年10月~ 非小細胞肺がんの4期と診断されイレッサによる治療を開始。 2004年6月 イレッサ中止、WT-1ワクチン療法の治験に参加 10月 治験を打ち切りイレッサ治療を再開 2005年1月 縮小が認められイレッサ治療を通院にて継続する 2005年8月 化学療法に変更。ジエムザール・パラプラチンで効果を認めず、 10月よりタキソテール・TS-1を...

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西洋医学と東洋医学との間で絶妙な間合いをとる 管理栄養士のがん闘病の記録・円藤弘子さん

2007年5月

えんどう ひろこ 滋賀県彦根市生まれ。 滋賀県立短期(現4年制)大学家政部食物科卒業直後から寿退職まで5年余り長浜赤十字病院栄養士。 のち10年間は専業主婦。 和光堂育児相談担当で社会復帰。 管理栄養士免許試験取得。 夫の転勤に伴い各地で栄養指導業務や教職に従事。 1993年に卵巣がんが発覚。 がん患者としての経験から業界紙をはじめ、がん情報誌に食の実践報告と再発予防食を提案。 「がん予防15...

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お願いだから1日も早く、ここで手を挙げている私を見つけて 歌手・ボイストレーナー 横内美知代さん

2007年4月

がんを抱えた母から、まだ幼いわが子へのメッセージドラマ『永遠へ』は大きな反響を呼んだ よこうち みちよ 1961年東京生まれ。 10代の頃から歌手として活躍し、東京ディズニーランドのシンガーダンサーをはじめ、『アニー』等ミュージカルの舞台も務めた。 34歳で乳がんを発症、4年後、妊娠中に再発。 シングルマザーとして再発と闘いながら息子・永遠君を育て、闘病しながら子育てする親子への支援要請活動...

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病気になっても、病人にならない 保健師であり、“老舗”患者会会長の長女・椚時子さんのがんとの対峙の仕方

2007年3月

“自己診断”で不安を打ち消すも、症状は治まらず 椚時子さん (くぬぎ ときこ) 1962年東京都生まれ。中央大学法学部卒業後、看護学校・保健師学校に入学。30歳より保健師として、保健指導にあたっている。 「どんぐりの会」会員 この日だけは入院したくなかったのに……。 1999年9月、東京・日野市で暮らしている保健師・椚時子さん(37歳=当時)の胸中に、そんな思念が走った。 時子さんの...

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武器を手術から化学療法へ変えて、なおもがんと闘い続ける 元大手製薬会社役員、川野和之さんの「壮絶な闘病日記」 その後

2006年11月

川野和之さん かわの かずゆき 1944年大分県生まれ 科研製薬、ファイザー製薬に勤務後、ブリストルマイヤーズ製薬名古屋支店長、スミスクライン・ビーチャム製薬(現グラクソ・スミスクライン)取締役営業本部長を歴任 2001年に退社。 [治療経過] 1999年10月 直腸がん手術、肝転移2カ所切除 2001年8月 胃がん亜全摘術、肝転移2カ所切除、胆嚢切除 2002年4月 肺転移胸腔鏡...

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「幸せな生き方」を考える 今は、花と遊んでときどき仕事

2006年9月

乳がんになって 1990年花博。パキスタン大使夫婦と 1995年ユニバーシアード大会。スイス大使を迎える何気ない日常の生活では、つい不満を感じたり、愚痴をこぼすこともあります。でも本当は心の底で「普通の暮らしこそ奇跡」と思っているのです。車を運転していても、ときどきヒヤッとします。最近も身近な若い人が急に病気になり、あっという間に亡くなってしまいました。もろく、はかなく、消えてしまってから気...

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がん体験、うつ体験から学んだ「無理をせず、休む」というゆとり 社会言語学者・佐藤優里(仮名)さん

2006年9月

がんは「本当に大切なもの」を再発見する機会を与えてくれた無理解と偏見から、病名を公表できない日本で生まれ、アメリカの大学に進学。80年代前半をアメリカで過ごした。その後、帰国して大学院に進学し社会言語学を専攻。87年より首都圏の大学で教鞭をとるかたわら、著述活動や文部科学省の教育政策立案にも携わるなど、幅広い分野で活躍しているマスメディアでは連日のようにがんの話題が採り上げられ、2006年6月には...

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