闘病記

がんと生きる

「もうあかん」と思ったときから、新しい人生が始まりました 落語家・笑福亭小松さん

2004年9月

笑福亭小松さんしょうふくていこまつ・落語家 7年前に末期の胃がんで胃と膵臓を全摘出、膵臓の半分も摘出するという大手術を受けた笑福亭小松さん。手術後になされたがん宣告のショックで泣き通した。ふがいない自分に身の置き場がなかった。しかし、病床で読みあさった山頭火の詩集が一条の光をもたらすいつまでもメソメソしてはいられない。最後くらいあっぱれに死んでいったぞと子供達に見せてやる。小松さんは独り、日本列...

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絶望しながらも「何とかして生きていたい」と願う。そんな葛藤が続いています 詩人・福島登さん

2004年8月

癌抱の男 福島登さん 詩人 その日、春風の中、私は京都・四条大宮の駅前でジャーナリスト・柴野徹夫さんの車に拾ってもらった。黒っぽいセダンに乗り込みながら、初対面の挨拶を交わす。2回り離れた物書きの先輩が、取材の案内役を買って出てくれた。 柴野さんは2003年4月、詩人・福島登さん(73歳)の初めての詩集『すずかけの樹』(つむぎ出版)を世に送り出した。ハンドルを切りながら、柴野さんがバリ...

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今できることをやっておきたい 胃がんの手術から16カ月後に、サハラマラソン237キロを走り抜く・多田慎一さん

2004年8月

多田慎一さん (会社員) ただ しんいち 1949年、山形県生まれ。 73年、日本光学工業株式会社(現・株式会社ニコン)に入社後、一貫して情報システム関係の仕事を担当。 2004年4月から株式会社ニコン技術工房に出向。 6月から同社代表取締役。 趣味は登山とランニングと碁。 2002年、健康診断で胃がんが見つかり、同年12月に手術で胃の3分の2を切除。 初期のがんで転移もなく、手術後、医師は“完...

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希望を持って生きなければ、人間として生まれた甲斐がないですよ ジャーナリスト・患者会「金つなぎの会」代表・広野光子さん

2004年7月

ピンクの頬紅 広野光子さん 患者会「金つなぎの会」代表 3月下旬の夕方。 近鉄・名張の駅前には、見上げるほど大きな桜の木が堂々とした風格で咲き初めていた。 ところが、現れた広野光子さん(63歳)は、すでにほどよく咲き誇った桜のような人だった。 頬からこめかみにかけて、鮮やかなピンクのほお紅を差している。同じ色のセーターに、品のいいグレーのジャケット姿だ。あごの線で切りそろえた...

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今、二つ目のいのちを伸びやかに生きている がんになって初めて気がついた、一番大切なのは家族だということに・樋口 強さん

2004年7月

樋口 強さん (会社員・全日本社会人落語協会副会長兼事務局長) ひぐち つよし 1952年生まれ。 兵庫県姫路市出身。新潟大学法学科卒。 1975年4月、東レ入社。現在、東レシステムセンター・企画管理部長。 1996年、肺の小細胞がんが見つかり、右肺の3分の1を手術で切除。術前と術後に抗がん剤治療を受ける。 2001年、手術から5年たった記念に「いのちに感謝の落語独演会」を開催。 以後、毎年、が...

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困難をいくつも乗り越えているうちに、「自分の本当の姿」が見えてきた ミュージシャン・KOUTAROさん

2004年6月

闘病しながらステージに立つ KOUTAROさん ミュージシャン 2月上旬、NHKの夕方のローカルニュースで、ミュージシャン・KOUTAROさん(こうたろう・46歳)が紹介されていた。 2年前、末期の肺がんと診断され、脳への転移を抱えている。放射線で脳腫瘍を枯らすガンマナイフなどの治療を受けながらも、詩や曲を作り、ステージに立つ。 黒いニット帽に口髭。浅黒い肌に黒い服がよく映える。...

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患者の心に寄り添うボランティアを医療現場に がん体験が患者を置き去りにしない医療の大切さを教えてくれた・今井俊子さん

2004年6月

今井俊子さん (日の出ヶ丘病院ボランティア・コーディネーター) いまい としこ 1938年、沼津市生まれ。 国立療養所久里浜病院付属看護学校卒業。 日本大学文理学部(哲学専攻)卒業。 看護師として川崎市立病院に勤務した後、聖隷学園浜松衛生短期大学講師、佼成看護専門学校講師、東京女子医科大学看護学部助教授などを歴任し、2001年4月から現職。 乳がん患者会「新樹の会」会長。 著書に『病と闘う心』(...

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娘を亡くした後にも再び「喪失」があるとは、思いもしませんでした インフルエンザ脳症の会【小さないのち】代表・坂下 裕子さん

2004年5月

不妊治療中にがんが見つかった 坂下 裕子さん インフルエンザ脳症の会【小さないのち】代表 大阪の代表的な繁華街、十三。 東京でいう歌舞伎町のような街だ。商店や飲み屋、風俗店などが混在している。そこに働く女性を地元では「十三のねーちゃん」と親しみを込めて呼ぶ。 駅前にいる「客引き」のそばを通り過ぎ、にぎやかな商店街を抜けると、下町情緒の漂う住宅地に出る。アパートやマンション、合気道の道...

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今は“おまけの人生”を思う存分楽しんでいる がんをくぐり抜けたとき、本当に大切な自分が見えてきた・種川とみ子さん

2004年5月

種川とみ子さん (画家) たねかわ とみこ 1944年、東京都生まれ。 学生時代には油絵を専攻。 21歳で結婚。絵をやめて琴の教師をしていた義母の生徒になる。 30歳のときに子宮頸がん、37歳のときに胃がんを発症。 その後、再び絵筆を取り、現在、どこの団体にも所属せずに画家としての活動を続けている。 遺影のつもりで撮った家族写真 初めての親子水入らずの食事会。初めての家族写真。種川さんの心...

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「いい加減な医者」はぶっつぶすつもりで活動しています 「癌と共に生きる会」会長・佐藤 均さん

2004年4月

「うまい」!? 抗がん剤治療 佐藤均さん 「癌と共に生きる会」会長 「医療では“舌の肥えた患者さん”は少ない」と、外科医が話すのを聞いたことがある。そのココロは、「同じ手術を2度受けるわけにいかないから」だ。 たしかに、医療の「良し悪し」を患者が評価するのは難しい。ところが、たまたま同じ治療で、「うまい」「まずい」の両方を味わった人がいる。 佐藤均さん(55歳)は、島根県出雲市に住む...

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