闘病記

がんと生きる

前立腺がん、食道がん、胃がん、直腸がんの多重がんを乗り越えた食生活革命 レストラン「アラスカ」会長・望月豊さん

2005年12月

望月豊さん (もちづき ゆたか) レストラン「アラスカ」会長 大阪・中之島のオフィス街のど真ん中にある老舗のレストラン「アラスカ」。その会長である望月豊さん(77歳)は3年前、前立腺がんになった。しかし、もっと大変だったのは、それから1年も経たないうちに食道がん、胃がん、直腸がんという多重がんに襲われたことだ。この一大事を彼は食生活を一変させることで乗り切ろうと考えた。肉中心から野菜と魚中心の...

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残された時間を、支えてくれた人たちに持てる力の全てを出して恩返しすることに使いたい 「もう一度コンサートを」の目標が、膵がんを抑え込んだ・木村功さん

2005年12月

木村功さん( ジャズミュージシャン) きむら いさお 1948年生まれ。宮城県出身。 本名江村功。高校時代に入ったブラスバンド部でジャズを知り、高校卒業後はサックス奏者の道を歩む。 1993年には東京ジャズギルドオーケストラを結成し、バンドリーダーを務める。 2004年9月、膵臓がんを発病。 開腹手術を受けるもすでに腹膜播種があったためそのまま閉じ、余命半年を告げられる。 しかしその後、化学療法...

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大手広告会社営業部長、死の淵を潜り抜けた472日間の白血病闘病

2005年11月

奇跡は待っていても起こらない。自ら道を切り開いた不屈のパワー葬式の最中に「すぐ会社へ戻って来い」 吉田寿哉さん (よしだ としや 43歳 東京都中央区) 広告会社部長 98年、東京ドームで『メリルリンチ スーパードームシリーズ〈日米野球〉』が開催された。 大リーグを代表する強打者サミー・ソーサらが参加し、イチローや松井稼頭央が世界へ飛躍するきっかけともなったこの球宴は、野球ファンのみならず多くの...

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カンボジアへの支援活動が闘病の支えに がんと共存しながら、最期まで目的を持って生きる・岡村眞理子さん

2005年10月

岡村眞理子さん (「カンボジアに学校を贈る会」代長) おかむら まりこ 1947年生まれ。東京都出身。 1992年、選挙監視のボランティアでカンボジアにいったのをきっかけに、94年、「カンボジアに学校を贈る会」を立ち上げた。 2001年乳がんを発症。 全摘手術を受けるもその後、再発・転移を繰り返し、2004年1月には炎症性乳がんと診断された。 もう悩むのはやめた 「この前、玉川温泉に行ったとき...

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納得の治療に必要なのは医師との信頼関係 在宅で自分らしく生きる

2005年9月

2004年春。何となく風邪が治りにくいと感じていました。が、もともと病院が嫌いだったこともあり、たいしたことはないだろうという思いから、そのまま病院にもいかず、忙しい毎日を過ごしていました。58歳の私は、建築や鉄・コンクリートを専門とする写真家で、自宅の隣に事務所を置いて仕事をしていました。しかし、風邪は一向に良くなる気配はありませんでした。今までは暑がりで、冷房なしにはいられなかったにも関わらず...

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知ではなく「言葉のもてなし」を相手に届けたい 2つのがんを体験し、4つの袋を身につけながらも、語り続けるプロの語り部・川島保徳さん

2005年8月

川島保徳さん (語り部) かわしま やすのり 1939年、中国大陸に生まれ、終戦後郷里群馬に帰る。 中央大学経済学部卒業。プロの語り部として民話や昔話を口演して回る。 1997年、大腸がん発症。 2000年、膀胱がん発症。 いずれのときも手術で、人工肛門と人口膀胱を造設した。 日本民話の会、民話と文学の会、子供民話の会会員。 人に喜ばれることの喜び 大学に通いながら、人形劇団に所属し、NH...

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今日の日を生きている幸運に感謝 後悔することなく1日1日を大切に

2005年7月

私とがんとの闘いの始まりは2002年8月末。咳が出始めた。夏風邪だと思っていたがなかなか治まらなかった。10月になり夫が肺炎に罹った。このころになってもまだ咳をしている私に「お母さんも診てもらったほうがええで」と夫。咳止め薬でも出してもらおうか。そんな軽い気持ちで受診した。ところがX線写真には全体がもやもやと白い肺が写っていた。翌日国立病院へ入院。主治医との面談で、胸部X線写真と腫瘍マーカーの数値...

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“奇跡を生むんだ”と「がん春」まっ只中の小児科医 田村明彦さん

2005年7月

パッチ・アダムスのような赤鼻をつけて予防接種をする田村明彦さん(田村小児科医院で) 私の手元に、一風変わった「育児書」がある。その本、『新米ママがんばれ! ~だいじょうぶだよ』(新風舎)は、今年1月に出版された。 著者は小児科医の田村明彦さん(70歳)。小児科医院を開業して25年になる。この本の表紙では、彼自身が “アメリカの赤ひげ”パッチ・アダムスを思わせるリンゴのような鼻をつけ、にっこ...

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食事療法と瞑想で得た「自分のやるべきこと」 がん体験が手弁当で途上国のために奔走する人生を選んだ・北谷勝秀さん

2005年7月

北谷勝秀さん (NPO法人2050理事長) きたたに かつひで 1931年、静岡県生まれ。 30年以上にわたって国際公務員として国連本部で働き、国連人口基金事務局次長を最後に退職。 1994年、NPO2050を設立して理事長に就任し、途上国の人口問題、女性地位向上などに取り組んでいる。 1983年、進行性胃がんを発症し、手術で胃の4分の3を切除した。 潰瘍の真ん中にできた腫瘍 アメリカの友人...

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「治療を受ける理由」は何かを考えた 夢まぼろしの如くなり

2005年6月

肺がんの宣告。すでに腰にも転移 私がはっきりとがんの宣告を受けたのは、2004年1月でした。今までの検査で肺に影があることが分かっていましたから、ある程度覚悟をしていたつもりですが、さすがに宣告されたときはショックでした。 それまでの経過を簡単に書きますと、私は1年半前から右腰が痛くなり、整形外科にかかっていました。薬を飲み、リハビリもしましたが少しも良くなりません。1年ほどたった頃、担当医が...

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