闘病記

がんと生きる

悪性リンパ腫を乗り越えた「記者魂」 読売新聞西部本社法務室長・広兼英生さん

2006年2月

書くことで整理し、書くことで鼓舞してきた 広兼英生さん (ひろがね ひでお) 読売新聞西部本社法務室長 治る可能性が何割くらいかを尋ねると、医師は一瞬、言葉につまり、そして静かに言った。「治癒率(生き延びる可能性)は、5割以下とされます――」医師からこう宣告され、ショックを受けない人はいないはずだ。病名は「胃原発悪性リンパ腫」。広兼英生さんは病気の深刻さを知った夜、突然の恐怖に襲われた。「夜にな...

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氷壁に挑み続ける山男の「がん」をものともせぬ生き方 登山家・磯部道生さん

2006年2月

夢をあきらめない。それが、「生きる」ということ 磯部道生さん (いそべ みちお) 登山家 関西屈指の温泉地・有馬は、六甲山の北側に位置する盆地だ。街から近い手軽な温泉として、関西人に人気がある。その地元で、「有馬3奇人」の1人とされるのが、登山家・磯部道生さん(61歳)だ。彼は、2003年8月、胃がんで、胃と脾臓の全摘手術を受けた。ふつう、「がん」と診断されれば、動揺する。手術前後は、ふだん忙し...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(2)

2006年2月

2. 入院 2004年1月 誕生日祝いに長女と 平成11年夏から膵嚢胞を観察するため、半年に1度エコーを撮ることになった。幸い私の膵嚢胞は変化なく、無事5年が過ぎた。 15年7月の検査のとき、「5年間何ともないので次は1年後にしますか」とK医師から言われた。一瞬迷ったが「半年に一度安心を得たいので、1月にまた来ます」と答えていた。 K医師は平成16年1月19日に予約を入れた。それが運命...

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がんが私から奪いさったもの、与えてくれたもの 病気に負けないために大切なことは、自分に負けないこと

2006年2月

2004年の猛暑の夏、私は長い間一緒に暮らしていた大好きな彼に別れを告げられた。いろんなことがあったが、恥ずかしながら? 別れたきっかけになったのはよくある男女間のトラブルで、「カレにホカにスキナヒトがデキタ」なのだ。決して珍しいことじゃない。ただ、ちょっと人より違っていて、ちょっと人よりつらかったのは、私は“癌”という病魔と闘っている途中のできごとだったということだ。“癌”という漢字は誰が考えた...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(序)

2006年1月

小川嘉子さん おがわ よしこ 社会保険労務士。神奈川県在住。2女の母。昭和62年社会保険労務士のご主人と小川労務管理事務所を開設。平成10年10月人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかる。平成16年1月膵がんの診断を受け手術。術後抗がん剤治療を受ける。 社会保険労務士としてご主人とパートナーを組んで、また2人の娘の母として忙しく働いていた小川嘉子さん。これは、膵がん告知にはじまり、手術、術後...

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「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(1)

2006年1月

1. 検査 「先生、これはがんですか?」 「そうですね」 「切れますか?」 「切れますね」 「部分ですか?」 「いや、全摘ですね」 平成16年1月19日、T大学医学部付属病院消化器内科の診療室、K医師との会話である。シャーカステンに並べられた3枚のエコー写真には膵体部の右、頭部に近いほうにはいつもの見慣れた嚢胞。それに加えて尾部に近い上部に新たに12ミリほどの腫瘍が写ってい...

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前立腺がん、食道がん、胃がん、直腸がんの多重がんを乗り越えた食生活革命 レストラン「アラスカ」会長・望月豊さん

2005年12月

望月豊さん (もちづき ゆたか) レストラン「アラスカ」会長 大阪・中之島のオフィス街のど真ん中にある老舗のレストラン「アラスカ」。その会長である望月豊さん(77歳)は3年前、前立腺がんになった。しかし、もっと大変だったのは、それから1年も経たないうちに食道がん、胃がん、直腸がんという多重がんに襲われたことだ。この一大事を彼は食生活を一変させることで乗り切ろうと考えた。肉中心から野菜と魚中心の...

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残された時間を、支えてくれた人たちに持てる力の全てを出して恩返しすることに使いたい 「もう一度コンサートを」の目標が、膵がんを抑え込んだ・木村功さん

2005年12月

木村功さん( ジャズミュージシャン) きむら いさお 1948年生まれ。宮城県出身。 本名江村功。高校時代に入ったブラスバンド部でジャズを知り、高校卒業後はサックス奏者の道を歩む。 1993年には東京ジャズギルドオーケストラを結成し、バンドリーダーを務める。 2004年9月、膵臓がんを発病。 開腹手術を受けるもすでに腹膜播種があったためそのまま閉じ、余命半年を告げられる。 しかしその後、化学療法...

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多くのサポートに恵まれ、在宅で家族と過ごす 最後の最後まで笑って過ごしたい

2005年12月

2004年の3月。普段は自分の胸なんか触らないのに、そのときは右胸がかゆくて、触ったら「あれ?」って思ったんです。それぐらい大きいしこりでした。実は、2003年9月に市の乳がん検診(触診のみ)を受けていましたので、今から考えると進行が早いタイプのがんだったのかもしれません。すぐに近所の総合病院で検査を受けて、そのとき先生が看護師さんに陰で「ほぼクロ」と言っているのが聞こえました。結果が出るまでの1...

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大手広告会社営業部長、死の淵を潜り抜けた472日間の白血病闘病

2005年11月

奇跡は待っていても起こらない。自ら道を切り開いた不屈のパワー葬式の最中に「すぐ会社へ戻って来い」 吉田寿哉さん (よしだ としや 43歳 東京都中央区) 広告会社部長 98年、東京ドームで『メリルリンチ スーパードームシリーズ〈日米野球〉』が開催された。 大リーグを代表する強打者サミー・ソーサらが参加し、イチローや松井稼頭央が世界へ飛躍するきっかけともなったこの球宴は、野球ファンのみならず多くの...

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