ねむの会 「気負わず、末長く」をモットーに 千葉県の乳がん患者会
2006年11月
ねむの会代表の金井弘子さん患者会を必要としなくなるまで患者さんと伴走できる会でありたい遠くまで出かけなくても、千葉で同じ乳がんの患者が集まって情報を得ながらおしゃべりをしたり、勉強会を兼ねた小さい講演会を開催したりできる会があったらいいなと、2000年に乳がんの患者会を立ち上げました。最初はお手伝いをしてくださる方も少なくて難儀をしましたが、だんだん趣旨に賛同してくださる方が増えて、今では用事が無...
患者会活動
2006年11月
ねむの会代表の金井弘子さん患者会を必要としなくなるまで患者さんと伴走できる会でありたい遠くまで出かけなくても、千葉で同じ乳がんの患者が集まって情報を得ながらおしゃべりをしたり、勉強会を兼ねた小さい講演会を開催したりできる会があったらいいなと、2000年に乳がんの患者会を立ち上げました。最初はお手伝いをしてくださる方も少なくて難儀をしましたが、だんだん趣旨に賛同してくださる方が増えて、今では用事が無...
2006年10月
代表の横内邦子さん人に話すことで悩みは半分に、喜びは倍にすずらん会が活動の拠点としている「富山県立中央病院」では、1992年8月に初の骨髄移植が行われ、その後急速に移植件数が増えていきました。そんな中、1994年に病院の移植医の薦めもあり、初めて骨髄移植をした患者・患者家族が患者の会を立ち上げました。この会を、元通りの健康な体と生活を取り戻したいとの願いと、すずらんの花言葉、リターンハッピネスから...
2006年9月
代表の中村康生さん 精神的なゆとりを生み、不信や迷いを払う医療知識の少ない患者さんにとって、提示された治療法の中で自分にあっているのはどれか、選択することは簡単なことではありません。医師の説明通りにうまくいくのか、もしかしたら診断が間違ってはいないか。心が揺れ動くのは当たり前のことです。そんな揺れ動く患者のために必要だと感じたのが「第2の意見」を聞く、セカンドオピニオンでした。1998年6月に発足...
2006年9月
てらだ さよこ1956年6月12日生まれ。私立南山中高、短大卒業。現在愛知県刈谷市在住。30代は児童英会話教室の講師。40歳から施設にて介護職員。43歳のときに乳がんになり手術。術後は、訪問介護ヘルパーとして週に2日程度働いている。2003年3月に乳がん患者会「わかば会」を発足し、現在に至っている。私がイアン・ガウラーを知ったのは、手術を受ける前だったような気がする。私は乳がんの手術を1999年1...
2006年8月
代表理事の蛭川和省さん行政の共同参画による「東松山市ターミナルケア相談窓口」が開設予定NPO(特定非営利活動)法人ホスピス研究会「さいどばいさいど」は、活動を始めて本年で11年目に入ります。この間、地域の市民及び医療機関、行政等へ、ターミナルケア向上のための啓発活動として講演会の開催、東松山市教育委員会との協力によるホスピス講座の運営、その他広報誌などを通して情報の提供を行ってきました。2004年...
2006年7月
代表の徳山直子さん人生をもう1度がんばるために母として妻として、人生の女盛りと言われる年頃、37歳で乳がんを手術してから13年目になりました。平成7年に患者会を設立しようと、主治医と2人で仮発足、1年半ほど会員集めに奔走し、やっと10名の仲間ができて本発足させました。10年余りの時間が流れて、医療を取り巻く世の中の考え方がずいぶん変わってきたことには、深い感慨を感じます。術後、私は再三心の苦しみを...
2006年6月
代表の毛利祐子さん思いを語る場を提供し、希望の種を見つけてもらう「がん心のケアの会」では、2000年5月11日に、無料電話相談「がん心のケアほっとライン」を開設し、現在満6年になります。代表の毛利は、18年前に乳がんの手術を受けてから、命ある限り精一杯生きたい、また同じ苦しみを持つ方のためにできることがあれば何でもしたいと思ってまいりました。その中で、乳がん患者会の会報に載った「末期がんです。何で...
2006年5月
代表の川守田裕司さんがんの痛みに苦しむことなく、自分らしく暮らすために「たとえ大変な病気になったとしても、自分らしく暮らしたい」と願っている人は決して少なくありません。医療従事者の中でも痛みのコントロールなどを中心とする緩和ケア医療を押し進める流れは大きくなり、県内初の緩和ケア病棟も今年4月開設予定の県立磐井病院(一関市)に設置されます。私たち「岩手にホスピス設置を願う会」は、患者が希望し、医師が...
2006年4月
代表の若尾直子さん必要な情報を得ることができる、相談と話し合いの場2001年8月、乳がんのため左乳房全摘。同時に腹直筋皮弁形成術で乳房再建しました。そのとき、(比較的医療情報が手に入りやすい立場にいる)薬剤師であったにもかかわらず、自分にとって何が必要な情報なのか、また、何が不必要な情報なのかわからず、とても戸惑いました。インターネットなどを通じ、巷には医療情報があふれているのに、自分にとって必要...
2006年3月
代表の山田泉さん「ひとりぼっちじゃないよ」を合言葉に2001年3月に、オードリーの会は20名でスタートしました。会や会報の名前の「オードリー」は、女優オードリー・ヘプバーンにちなんだものです。初めて集まったときにみんなで話し合って決めました。笑顔のすてきなオードリーはがんで亡くなったのですが、晩年は、第3世界の飢えや病気で苦しむ人たちのために尽くしました。姿の美しさだけではなく、その心の美しさを受...