がんは「長く生きる」だけでなく「どう生きるか」が大切
医者が患者になって初めて見えてきたことがある・海老原 敏さん

取材・文:崎谷武彦
発行:2004年10月
更新:2013年4月

  
海老原 敏さん
海老原 敏さん
(医師・国立がん研究センター東病院名誉院長)

えびはら さとし
1938年生まれ、東京都出身。
群馬大学医学部卒業。
インターン終了後、国立がん研究センターに勤務。
頭頸部がんの専門家として機能温存手術の発展に努め、1995年、がんセンター東病院の院長に就任。
2004年1月退任し、現在は名誉院長。
7月、都内にがん専門の診療所「蕩蕩」を開設。
1986年、大腸がんを発病し、87年2月に手術。
91年には腹部動脈瘤破裂で再び手術を受けた。


頭頸部がんの第一人者が開いた小さな診療所

2004年7月5日、東京・丸の内のパレスビル内に小さな診療所がオープンした。8階にある診療所のドアの横にかけられた木のプレートには、「蕩蕩」と墨書されている。これがこの診療所の名前だ。

ドアを開けてなかに入ると左手に受付があり、右側の壁には大きな書棚。奥に進むと大きな木のテーブルとソファが置かれている。診療所というよりは、企業の応接室とか書斎といったほうがよさそうな雰囲気だ。そういえば診療所というのに看護師の姿も見えないし、病院独特のあの消毒臭もない。

「蕩蕩というのは、広いとかゆったりしたというような意味の言葉です。仏教で蕩蕩というと、大きく包み込むというニュアンスも加わります。今、日本はこせこせとした社会になっていますが、医師も患者ももっとゆったりとした気持ちで病気や医療を見つめたほうがいい。そんな思いから蕩蕩と名づけました。診療所らしくない雰囲気にしたのも、そういう考えからです」

この診療所を開設した海老原敏さんがいう。今年の1月まで国立がん研究センター東病院の院長を務め、頭頸部がんの第一人者として知られた人である。

「患者さんも、がんを根治させることだけを求めるのではなく、どういう状態で生活するのがいいのかということも見つめて、治療に取り組んだほうがいいと思います。その人の置かれた状況によっては、がんが育ちさえしなければいいというケースもあるのですから。たとえば今、前立腺がんはPSA(血液中の前立腺特異抗原)の測定によってずいぶん早くから見つけられるようになり、片端から治療しています。しかし相当数の人が、病気に気がつかなければ治療も何もしないでそのまま一生を終わっていたかもしれません。私の専門でもある甲状腺がんも同じことがいえます。だからがんセンターで私たちは1センチ以下の甲状腺がんなら一生切らないですむかもしれないから、様子を見ましょうと患者さんにいうようにしていました」

30年以上見続けている患者もいる

写真:「蕩蕩」の待合室
写真:「蕩蕩」のプレート

東京都・千代田区に開設したがんの相談室「蕩蕩」は「医師も患者もゆったりと」という願いからつけられた。待ち合い室も広々としている

海老原さんは医師になってから39年間、ずっと国立がん研究センターに勤務してきた。途中で築地から千葉県柏市の東病院に移ったが、がんセンター一筋というキャリアは極めて珍しいという。その間に執刀してきた手術は約8000件。頭頸部のがんの場合、再発しても治療が可能な場合も多いため、患者との付き合いが長くなる傾向がある。実際、海老原さんも一番長い患者との付き合いはもう30年におよぶ。

「そういう患者さんたちのなかには、私が病院をやめていなくなるとがっかりする人もいるかもしれません。だからご本人が希望すればいつでも私の診察を受けられるようにするのが、この診療所をつくった一番の目的です」

診察日は月、水、木の週3日。がん専門の診療所だが、海老原さんが患者に対して行うのは触診や視診などの基本的なことだけだ。CTなどの検査機器は一切置いていないので、検査が必要な場合は他の病院などに依頼する。薬が必要なときは患者に薬の名前を教え、かかりつけの医者に出してもらうようにいう。もちろん手術が必要になったときも他の病院で行う。

「今の医療は薬漬け、検査漬けとよくいわれますが、現在の健康保険制度ではそうしないと病院経営が成り立たないところがあります。健康保険適用の診療所にするためにはいろいろな設備を整えないといけない。高い検査の機械を入れたりするとなんとか元を取ろうとするから、必要のない検査までするようになりがちです。だからこの診療所は保険診療ではなく自由診療で、その代わりすべての無駄を徹底的に省いているのです」

医療機関の違いを超えたチーム医療

写真:20代のころの海老原さん

がんセンターに勤務したばかりの20代のころ

診察だけでなくいろいろな相談にも応じる。たとえば専門の頭頸部以外のがんの患者でも、CT検査ならどの病院のどの医師が優れているか、胃の内視鏡なら技術がうまく診断も的確なのは誰かということを紹介する。そこで診断がついたら、それに対してどんな治療法があるかを説明し、放射線について話を聞きたければ誰がいいか、胃の手術について知りたければ誰が適当かということもアドバイスする。国立がん研究センターに39年間勤務し、東病院の院長まで務めただけに、そういう情報はいくらでも持っているのだ。

「がんの治療中で、どうも思うとおりにいかない、本当にこれでいいのかと聞きにくる患者さんも多いですね。そういうときは患者さんの不安や疑問を一つひとつ解きほぐし、必要があれば患者さんが疑問に思っていることを私がその病院の医師に質問するときもあります。がんの治療をしているところなら、私が聞けばたいていのところがきちんと説明してくれますね。それでなんとなく不信感を持っていた患者さんもその病院を信頼できるようになれば、安心してまた治療を受けられるようになります」

いずれにせよこの診療所にくれば海老原さんが親身になって相談に応じてくれ、どういう治療を受ければいいのか、そのためにはどの病院のどの医師が適しているのかといった指針を示してくれる。チーム医療とよくいうが、海老原さんがこの診療所でやっていることは医療機関や専門分野の違いを超えたチーム医療といえるかもしれない。がんについてのよろず相談所、あるいは患者が迷ったときに進むべき方向性を指し示してくれる羅針盤のような存在ともいえそうだ。

がんはそんなにひどい病気ではない

写真:インドからの研修医を迎え、がんセンターのスタッフと一緒に

インドからの研修医を迎え、がんセンターのスタッフと一緒に

写真:パーティで

パーティでは若い医師や看護師さんたちが、気さくでおおらかな海老原さんを囲む

診療所を訪れた患者に対し、海老原さんはこんなことをいうときもある。

「人にはいろいろな死に方があります。好みもあるでしょうが、私はがんで死ぬのも悪くないと思っています。がんでもう助からないと分かっていれば、自分でいろいろ考えたり身辺を整理したりできますからね。最後の痛みや苦しみをうまく取ることができれば、がんというのはそんなにひどい病気ではないですよ」

もちろんすべての患者にこういうわけではない。患者の病状、性格などを十分考慮したうえで、こういう考え方もあることを理解できる人にだけいう言葉である。ただこれが、頭頸部がんの専門医として39年間、がんとがん患者を見つめ続けてきた海老原さんの考え方であることは間違いない。当然、そこには海老原さんの死生観が色濃く映し出されている。そしてその背景には、自らのがん体験がある。

1986年の春、海老原さんはひょんなことから自分が貧血になっていることを知った。献血をしようとしたら、血液の比重が軽すぎるからできないと断られたのだ。目眩などの自覚症状はなかったし、体調もよかった。だから1度検査しなければいけないと思いつつ、医局長に就任して仕事はますます忙しくなっていたし、出席しなければならない国際会議も控えていたのでそのままにしておいた。ところが11月になると、朝、起きるのがひどく辛く感じられるようになった。それまでいつも朝は4時か4時半に起きて病院に出勤していたのだが、どうにも目が覚めにくくなっていたのだ。これはやはり異状があると考え、改めて血液検査をしてみると貧血はさらに悪化していた。

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