鎌田實の「がんばらない&あきらめない」読者との座談会
一緒に考え、一緒に解決に向かう医療なら、厳しくても前を向ける
患者は泣きたいときに泣くところがないのがつらい

読者の皆さん:小川嘉子さん 社会保険労務士
沖原幸江さん ツアーコンダクター
北田ひとみさん 主婦
撮影:板橋雄一
発行:2007年12月
更新:2014年3月

  
小川嘉子さん

おがわ よしこ
社会保険労務士。1936年東京生まれ。昭和62年社会保険労務士のご主人と小川労務管理事務所を開設。平成10年10月、人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかる。その後半年ごとの定期健診を受ける。平成16年1月、膵がんの診断を受け手術。平成18年7月、肺転移、胸腔鏡手術。平成18年8月~19年7月まで再度、抗がん剤投与を受ける。現在は術前にもまして元気で海外旅行を楽しんでいる

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』(朝日新聞社)『この国が好き』(マガジンハウス)『ちょい太でだいじょうぶ』(集英社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)

北田ひとみさん

きただ ひとみ
主婦。1959年姫路市生まれ。工業高校卒業後、就職。22歳の時、結婚、専業主婦、2男の母。2003年3月、次男の大学受験の真っ最中に、しこりに気付き乳がんと診断される。4月手術、5月リンパに転移し抗がん剤投与。7月精神科で抑うつ状態と診断される。10月放射線治療、ホルモン治療始まる。2006年1月、患者会のスタッフとして手伝いを始める。現在、ホルモン治療、心療内科通院中

沖原幸江さん

おきはら ゆきえ
ツアーコンダクター。1962年東京生まれ。クルーズ客船運航会社勤務時の99年9月、肺腺がん2A期で胸腔鏡手術で右下葉切除。臨床心理士を目指し退職。東洋英和女学院大学人間学部入学。途中、死生観に惹かれ宗教学部に専攻替え、05年卒業。00年から、CNJのボランティア参加を皮切りに、肺がん患者会、30・40代の女性がん患者の会などを主宰し患者・家族の個人的サポートを行っている。現在、客船添乗員として世界1周中

膵臓がんの早期発見を可能にしたもの

鎌田 今日皆さんにお集まりいただいた目的は、「がんサポート」の読者の方たちに、医師からがんと言われたとき、「こう言われればもっと早く立ち直れたのになあ」とか、がんと闘っているとき、「こういうふうに言われて嬉しかった」とか、「こう言われてつらかった」とか、「こういうふうに言ってくれたらもっと勇気が湧いたのにな」とか、ご自身が実際に経験されたことを率直にお話いただければと思っています。
以前に比べれば、だいぶ良くはなっているとは思いますが、まだまだ患者さんのつらい思いが医師の側に通じていない面があります。本日はまず、皆さんにがんと闘った経験を率直に語っていただいたうえで、これからがんと闘い始める方たちへの提言、ないしはヒントになるようなことを聞かせていただけたら幸いです。まず、ご自分の病気の話を少ししていただいてから、告知を受けたとき、どんな気持ちだったか伺いましょうか。

小川 私の場合、2004年に膵臓にがんが見つかったんですが、その5年前に膿胞(膵膿胞)ができていることがわかって、がんじゃないかと慌てたことがあったんです。そのため、それ以降は半年おきに検査を受けて追いかけていましたので、がんだとわかったときもそれほど大きなショックは受けなかったですね。「来るものが来たな」という感じでした。

鎌田 半年おきに検査を受けていたときも、もしかしたら今度は、というお気持ちが常にあったんでしょうね。

小川 そうです。それが積み重なって心の免疫のようなものができていたんだと思います。

鎌田 確定診断はしないで、すぐ、取りましょうということになったんですか。

小川 はい。それまで腫瘍マーカーのCA19-9が、半年ごとの検査ではずっと1桁できたものが、そのときはいきなり409まで上がっていましたから。

鎌田 がんは膿胞の中にできたんですか。

小川 いいえ、膿胞はそのままでして、がんは離れたところにできたんです。膿胞は膵体部(膵臓の中央部)より十二指腸寄りにあったんですが、がんは膵尾部の方にあったので、膵頭部は残すことができたんです。

鎌田 そうすると、結局、膿胞があったことがものすごくラッキーだったんですね。普通、膵臓がんは、そんな早い段階では見つかりませんからね。

小川 はい。膿胞様々なんです(笑)。

鎌田 お医者さんが、膿胞だからいいやと放っておかずに、そのあともずっとフォローしていたことも大きいけど、小川さんご自身が2、3年で止めずに、ちゃんと半年おきに検診を受け続けたことが噛み合ってうまくいったんだと思いますよ。

小川 私が膿胞は放っておいてはダメだという意識を強く持つようになったのは、膵臓に膿胞が見つかってERCP(内視鏡的逆行性膵管造影)という最終的な検査を受けたとき、膵炎を起こして9日間入院したときのことなんです。
そのとき、私を担当してくださっていた先生のうちの1人が、読売新聞のがん医療に関する連載に登場している方で、記事のなかで私を1つの例として取り上げて、膵膿胞と言えども、がんに移行する可能性があるから注意が必要だ、という主旨のことをコメントされていたんです。先生からも「あれ、小川さんのことですよ」といわれて記事も読みましたので、膿胞を甘く見てはダメだという意識を人一倍、強く持つことができたんだと思います。

がんの告知ではショックは受けなかったが

写真:北田ひとみさんと小川嘉子さん

鎌田 北田さんは乳がんでしたね。わかったきっかけは?

北田 2003年3月18日の夜、胸にしこりがあるのに気が付いたんです。

鎌田 旦那さんが?

北田 いいえ。私がお風呂で気が付いたんです(笑)。私は兵庫の姫路に住んでいるんですが、翌日近くにある大きな病院に行きましたら、乳がんが専門の先生がお休みだったんです。
それで、ほかの外科の先生に頼んで細胞診やエコーやマンモグラフィをしてもらったんです。2、3時間で結果が出るということでしたので、待っていましたら「グレーな感じですね」って言われて、また翌日来るようにとのことでした。
それで、翌日の午後、乳がん専門の先生の診察を受けたとき、再度、細胞診用の細胞を取られたんです。その日に入院日と手術日を決められたので、ほぼ、がんに間違いないんだと思いました。
1週間後に細胞診の結果が出たとき、先生からあっさりと「がんですね」という感じで告知されたんですが、よく言われるように大泣きしたり、頭の中が真っ白になるようなことはなかったですね。ちょうど次男の大学入学に重なったこともあって、自分の病気でまわりに迷惑をかけられないという気持ちが強かったですから。で、4月9日に入院して手術を受けたんですが、手術は何事もなく済みましたし、回復も早くて順調に行ってたんです。
ところが、手術の際に採取したリンパの病理検査でリンパに4つがんが飛んでいることがわかって、抗がん剤治療を受けることになったんです。言われたときは、まだ42歳でしたから、やるしかないという気持ちで、ショックを受けるようなことはなかったんですが、問題はそのあとなんです。

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