「がんばらない」の鎌田實が贈るがん患者への応援メッセージ

写真:塚原明生
発行:2003年12月
更新:2019年7月

  

生き方のギア・チェンジを。がんと向き合い、自分らしく生きよう

鎌田實さん
「優しい医療」
「あたたかな医療」が
いまこそ必要と説く
諏訪中央病院管理者の
鎌田實さん

『がんばらない』『あきらめない』のベストセラーを立て続けに出し、一躍、時のドクターになった諏訪中央病院管理者の鎌田實さん。
その鎌田さんが、がん患者と家族のみなさんに、やさしく心を込めてメッセージをお届けする。

何のための医療なのかをしっかり考え、がんから逃げずに、自分らしく生きよう。
そんな魂の言葉に耳を傾ければ、生きる力が湧いてくる。

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。医療者と患者の心のかよい、患者と家族のあたたかい絆、看護師さんたちの献身などが描かれ、評判に。

「攻める治療」から「支える治療」へ

今の日本は、高度医療や救急医療といった「攻める医療」についてはかなり充実してきました。ところが、患者さんの心を含めた全体を大切にする「支える医療」は、どちらかといえば、なおざりにされてきたように思います。

屋上庭園と名づけられたオープンスペース。病院3階から外に出たテラスで、患者の憩いの場になっている。
屋上庭園と名づけられたオープンスペース。
病院3階から外に出たテラスで、
患者の憩いの場になっている。

残された命を自分らしく生きるためには、時にはがんと闘い、時には自分のがんと融和し対話する。時には、希望を持ちながら化学療法のつらさに歯を喰いしばって耐え、時には無理をせず、自分らしく、ゆっくりと生きる。

人が幸せに、満足して生きるには、医療は患者さんをどのように支えていけばいいのか。患者さんの生きてきた歴史や意志を尊重し、体も心も丸ごと受け入れて魂に寄り添うにはどうしたらいいのか。それを手探りしながら、私たちは諏訪中央病院を拠点に、「優しい医療」「あたたかな医療」を追求してきました。

その30年間の経験をもとに書いたのが、『がんばらない』、『あきらめない』(いずれも集英社)という2冊の本です。ここでいう「がんばらない」とは、「あるがままを認める。でも、あきらめず、希望を捨てずに自分らしく生きる」ということなのです。

なんのための医療なのか?

簡単に治療をあきらめることなく、少しでも科学的に可能性が残されている方法があれば、精一杯挑戦する。ただし、ここで大切なのは「何のために戦うのか」ということです。ところが、実際にはそこのところがわからなくなってしまっている病院が多いのです。

ある58歳の男性は末期の肺がんを患い、高度医療を行っている病院で転移性脳腫瘍に対して放射線によるガンマナイフの照射を受けました。ところがガンマナイフの治療が終了すると、主治医は「うてる手はすべて打った。この病院ではもうできることはないから、早く退院して欲しい」と言う。病院から突然の退院勧告を受けたものの、一人暮らしで介護してくれる家族はいないし、肺がんは脳に転移し始めているしで、この男性は途方にくれるわけです。

しかたなく病院から紹介されたケアハウスに行ってみると、他の入所者は鼻にカテーテルを入れた寝たきり老人や痴呆老人ばかりで、とても自分のようながんの患者に対応できるような施設ではない。結局、妹さんが奔走して、在宅ホスピス医療を行っている診療所を自力で探し出すほかなかったというのです。

幸せな人生を生きる、それが何より大事

この男性の主治医は、おそらく転移性の腫瘍に対して最善を尽くそうと、ガンマナイフによる治療を行ったのでしょう。ところが、その治療を受けたことが、かえって男性を人間不信に陥れてしまった。

何か大切なことを忘れているように思えてなりません。高度な医療を施すことで、目の前で苦しむ患者さんが残された人生を幸せに生きられるかどうか、それが何よりも大切なのではないでしょうか。

患者さんの内面に対する想像力がなければ、どんなに高価なガンマナイフも役に立たない。ところが現実の医療では、放射線治療や抗がん剤、手術といった治療手段だけが独り歩きし、「医療とは何のためにあるのか」をきちんと考えている病院や医者が少なくなっている。そこに、今の日本の医療の悲劇があるような気がします。

「がんばらない」生き方か、「あきらめない」生き方か?

だから、がんが再発すると、治療の可能性があるにもかかわらず、がんセンターや大学病院から「うちではもう診られません」と突き放されてしまう。

「がん難民」という言葉を聞きました。悲しい言葉です。医師のいう通り抗がん剤治療をしていたが、抗がん剤がつらくて治療を断ったら、その医師がみてくれなくなり、行き場がなくなったというのです。

しかし、「がんばらない」生き方を選ぶか、「あきらめない」生き方を選ぶかは、本来患者さんが決めるべきことではないでしょうか。どちらを選んでも、ていねいであたたかな医療は必要なのです。

写真家、宮崎学氏による春夏秋冬12枚同じ位置から撮影した柿の樹の写真を背にして説明する鎌田さん
写真家、宮崎学氏による
春夏秋冬12枚同じ位置から撮影した
柿の樹の写真を背にして説明する鎌田さん

自分の人生観に照らして「無理をしたくない」と思う人は、「がんばらない」生き方を選んで、残された時間をその人らしく生きていけばいい。しかし、その場合ですら、よい医療のサポートは必要なのです。それに対して、仮に転移が広がって余命いくばくもない患者さんでも、「あきらめない」生き方を選ぶ人もいる。残された時間をもう少し延ばして、やり残した仕事を完結させたい、家族の中の問題が解決するまでは何としても生きたい……そういう意志が患者さんにあるのなら、ガンマナイフや化学療法、手術など、できるかぎりの治療を尽くすということがあってもいいと思うのです。

医師が患者さんの苦しみに共感し、患者さんと一緒に相談しながら病気との闘い方を決める。そうした患者さんの意志を尊重する医療が必要なのです。

ただ現実には、こうしたことを行っている病院や医師は少ない。その根本には、「何のための医療なのか」という中心部分が、今の医療には欠落しているという問題があります。

優しさを持った医療

日本の医療の一番の欠点は、「あたたかさ」や「優しさ」が欠けていることです。私は、患者さんの苦しみに対する共感が医療の底になければ、どんなに技術的な水準が高くても、いい医療にはなりえないと思っています。だからこそ、医師はエネルギーの95パーセントを高度医療や救急医療に注入したとしても、残りの5パーセントのところで、「どれだけ人間を大事にできるか」を忘れてはならない。

院内の壁に掲げられた、知的障害施設「風の工房」で創られた作品。「がんばらない」は、「あるがままを認める。でも、あきらめず、希望を捨てずに自分らしく生きる」ということ
院内の壁に掲げられた、
知的障害施設「風の工房」で
創られた作品。
「がんばらない」は、
「あるがままを認める。でも、
あきらめず、希望を捨てずに
自分らしく生きる」ということ

「日本では世界中で最もすばらしい医療が行われている」とWHO(世界保健機構)は評価しているけれども、国民の医療に対する満足度は低い。その理由は、日本の医療があまりにも冷たくなり、優しさがなくなってしまったからだと思うのです。

私たち医療者の使命は人の命を助けることであり、救急医療や高度医療といった「攻める医療」を展開して最善を尽くすのは当然のことです。しかし、それだけでは不十分で、その上に問われているものがあることを、今の医療者は忘れがちです。

先ほどの進行がんの患者さんにしても、よい治療をすれば長生きできる可能性はあるし、仮に助からないにしても、緩和ケアで残された時間を有意義に過ごすことはできる。ところが、まさにそこのところで、日本の医療の現場では「見放す医療」、「放り出す医療」を平然と行っているわけです。これでは、国民から「イエス」と言ってもらえないのも当然です。

こうした問題は、医療が発達してがん患者が長く生きられるようになってきたことと、無関係ではありません。がんと付き合いながら人生をいかに生きていくか、今までとはちがった生き方を模索する必要が出てきたわけです。そのためには、がんと闘う医療とがん患者を支える医療の両方が必要なのだと思います。


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