ようこそ!!がん哲学カフェへ 3

「妻ががんになって、愛を見つけたが」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授
発行:2014年1月
更新:2014年7月

  

2013年8月、30年連れ添った妻に大腸がんが見つかりました。発見時にはすでに肝臓に転移し、手術できない状態。抗がん薬による化学療法を続けていますが、予断は許されません。そんな状況の中で、私自身の気持ちが大きく揺らいでいます。

率直に言って、これまでの私は夫としては失格でした。結婚以来、いつも仕事最優先で、家庭を顧みることも、妻の存在を意識することもほとんどありませんでした。でも妻ががんを患い、余命もそう長くないかもしれないと思うと、急に愛おしさが込み上げてきました。少々、気恥ずかしいですが、今になって、自分が妻を深く愛していることに気づかされたのです。

妻の命に限りがあることを思うと、頭の中が真っ白になり、何もやる気が起こらず、仕事も手につきません。妻がいなくなって1 人で生きていくことを思うと、虚しさばかりが募ります。今こそ、妻のために何かしてあげなくてはと思うのですが、現実の私はただ、呆然とその場に立ちすくんでいる状態です。妻のためにも自分のためにも、この虚脱状態から脱出しなければと思うのですが、どうしても気力が湧いてきません

(T・Kさん 男性 58歳)

「愛しているなら心配するな」

ひの おきお 1954年島根県生まれ。順天堂大医学部病理学教授、医学博士。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部部長を経て現職。2008年より「がん哲学外来」を開設し、全国に「がん哲学カフェ」を広めている。現在32カ所の「がん哲学カフェ」での対話をはじめ、全国で講演活動を行っている

がんという病気には、程度の差はあれ必ず、死の恐れが付きまといます。本人はもちろん、家族の人たちにも大切な人を失うことへの不安や恐怖が募っていくものです。そして、そうした恐れは本人が亡くなった後も、深い哀しみとして残り続けます。実際、がん哲学外来には長年、連れ添ったご主人、奥さんをがんで亡くした人がよく訪ねて来られます。

そうした人たちの多くは喪失感に打ちのめされ、ただ呆然と流されるように日々を送っていることも少なくありません。最近になって、がんで亡くなられた患者さんの遺族に対する「グリーフ(悲嘆)ケア」が重要視されていることからも、彼らが抱えている心の問題の大きさ、深さを語っていると言えるでしょう。

Tさんの場合は、現在、奥さんが先の見えない闘病中で、Tさん自身も喪失の予感による哀しみや切なさが膨らみ続けているのでしょう。問題が現在進行形であるだけに状況はより切実です。Tさん自身が言っておられるように、ここはひとつ、奥さんのためにも、そして自分自身のためにも、気力を奮い起こす必要があるでしょう。

Tさんのような人と相対したとき、私は必ず連れ合いを失くして苦しんでいる人たちについて話します。こういうと不思議に思われるかもしれませんが、奥さんやご主人をがんで亡くすことによる哀しみは、実は夫婦仲がしっくりといっていなかった人ほど、長く続きます。それは自分がもっと相手のことを考えていれば、その人ががんになることもなかった、十分に尽くし切れなかった、という自責の念によるものでしょう。そのことによる後悔が先に立つ結果、新たな人生に踏み出せない状態が長く続くことになるのです。

逆に精一杯、相手のために尽くしていれば、やるべきことはやったという達成感や充足感があります。そしてそれが現実的な力となって、喪失による哀しみを短期間で乗り越えることができる。その結果、それまでとは異なる新たな人生の一歩を踏み出すことができるのです。

そう考えると、Tさんが今、やるべきことは自ずから明らかでしょう。先のことは考えず、病に苦しんでいる奥さんに全力で尽くすこと。それは言葉を換えれば、奥さんを精一杯愛するということです。そうすれば、万が一、奥さんを失うことになっても、乗り越えられる。もちろん、幸いにして、奥さんの状態がよくなった場合には、2人で新たな夫婦の関係を築いていけるでしょう。

最愛の人ががんに倒れても、その人を愛し続けてさえいれば、不安を感じる必要はありません。愛する心を持ち続けることで、人はどんな苦境からも
立ち直ることができます。

まずは大切な人を確認する

中には、「愛する」「尽くす」という言葉が、漠然としていてよくわからないという人もいることでしょう。そんな人は、これまでの暮らしを振り返ってみてはどうでしょうか。

人は誰でも周囲の物事や人に対して優先順位をつけているものです。愛し方や尽くし方がわからないという人は、例外なく、その優先順位のつけ方を間違っています。

これは私ががん哲学外来で必ず話すことですが、人は1人では生きていくことはできません。自分にとって不可欠な誰かに尽くし、その人を支え続けていく。そのことで人は自らの生を維持していくのです。そして、それはその人に与えられた本来の役割でもあります。そうした人と人との関係の基本にあるのが夫婦です。つまり夫は妻を、妻は夫を愛し、支えていくことこそが幸福な人生を送るための大前提でもあるのです。

現実には、あまりに身近な存在であるためか、多くの人たちがそのことを失念しています。とくに男性は、仕事や会社、上司を優先順位の上位に置き、大切な奥さんのことは一顧だにしないという人が少なくない。そうした価値観の誤りが、結局はその人を不幸に導いているのです。

Tさんにはもう一度、胸に手を当てて自分に最も大切な人は誰なのか、問い直していただきたい。すると自然と奥さんの笑顔が脳裏に浮かんでくるでしょう。そうすれば、「愛し方」や「尽くし方」も理解できているはずです。もちろん、それはいつもべったり一緒にいることではありません。その人の存在を常に念頭に置いて考え、行動する。そうすれば自然と心は通い合う。そして、その人を愛する心を持ち続けることで、最悪の事態に陥っても、また新たな自分の役割を発見し、もう一度、人生を始め直すことができる。

奥さんががんになったことは、配偶者にとっても、とてもつらいことです。しかし見方を変えると、それはその人が人生をリセットして、新たな生き方に向かうための絶好のチャンスでもあるのです。

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