がんのチーム医療・施設訪問20
川口工業総合病院ブレストセンター(埼玉県川口市)
新設のブレストセンター チームを率いるのは3人の医師
目的は1つ、患者さんの幸せ 皆で自信の持てる医療を
古澤秀実さん 川口工業総合病院ブレストセンター乳腺外科部長
ブレストセンターはまだ助走の段階ですが、「診療を通じて地域と国の誇りと呼ばれる集団になる」という大きな目標に向かって頑張っています。
スタッフや部署の間には見方の違いや個人の性格の反目もあるかもしれませんが、それを超えるような大きな目標を掲げれば、組織はうまく回っていくものです。
医師はスターではない
これまで私が経験してきた医療では医師がスターで、その方針に基づいてみんな頑張ってくれというヒエラルキーがありましたが、私はとても違和感を覚えていました。当院のブレストセンターには上下関係はありません。医療従事者は皆患者さんのためになりたいという気持ちが根本にあります。その中で医学部という専門に行った人が医師になり、看護の勉強をした人が看護師になる。目指しているものが同じ人々が集まって、1人ではできない治療をすることで、患者さんは幸せになります。
チーム医療という言葉が言われ出したのはここ数年だと思います。我々現場ではそのような言葉がなくてもチームで活動してきました。私が気になるのが、なぜ今さら「チーム医療」をことさら訴えなければならないのか、ということです。逆に言うと、それができていない医療機関が多いということだと思います。テレビCMで「子供を抱きしめましょう」というのがありましたが、それは人間の営みとして当然のこと。根本的な問題が疎かにされてきたのだと思います。
プライドを持って働ける病院に
川口市の人口は65万人。統計的に年間500人の乳がん患者さんが見つかっていると思われます。そのうち川口市内の病院で対応できているのが200人程度です。他の方々は東京の医療機関にかかっています。しかし、国立がん研究センター病院で出来る治療が当院で出来ないということはありません。抗がん薬治療の通院で暑い夏、寒い冬、電車に揺られて東京に通うよりも治療負担ははるかに少なくなります。
信頼される病院であるためには、スタッフのマインドがポイントです。「うちのお母さんは工業病院で働いているんだよ」と子供さんたちに自慢してもらえるような自信を持てる治療体制にしたいと思います。
地域医療で重要な役割を担う 川口工業総合病院
荒川を渡れば東京という埼玉県川口市。かつては映画『キューポラのある町』で描かれたような鋳物生産の町だったが、今は高層マンションが林立する住宅街となっている。
地域医療で重要な役割を担うのは今も昔も川口工業総合病院だ。同院では機能を高めるため、2015年12月に乳がんを専門に扱うブレストセンターを立ち上げた。
工業病院で乳がん専門?
「この病院なんだろう。名前に『工業』が付いていて、乳腺外科を新設するというのはおもしろいな」
宮崎県のブレストピアなんば病院で乳がんを専門にしていて、新天地を探していた古澤秀実さんは大学の研究室や大病院からのオファーの中に、興味を引かれる病院を見つけた。埼玉に縁もゆかりもないが、「看板(知名度)だけで患者が集まる病院ではなく、全国的には無名であっても地域には大切な病院で乳がんチームを1から作ってみよう」と思い立った。
川口工業総合病院は1959年に、当時盛んだった鋳物工業系の工業健保組合が開設した病院が前身。鋳物業の衰退とともに病院の経営は組合の手を離れたが、地域に親しまれた「工業」の名前は残った。総合病院なので各科があるが、中でも整形外科に定評があり、有名スポーツ選手が何人も治療を受けに訪れている。
がん治療も行ってきて、乳がんは消化器外科で扱われていた。病院として乳がん対策に力を入れることになり、乳腺外科をブレストセンターとして独立させる組織改編を行おうというときに、白羽の矢を立てられたのが古澤さんだった。そして、古澤さんの移籍の決意を聞いたブレストピアなんば病院の部下だった山本隆さん(乳腺外科医長)と山口由紀子さん(同)も古澤さんの考えに共感し、3人そろって川口にやって来ることになった。
2015年12月、ブレストセンターの発足を迎えた。メンバーは古澤さんら医師3人、看護師、検査技師など9人でのスタートとなった。
知識の共有はチームの基本
毎週月曜の朝、3人の医師を中心に看護師らが集まっての勉強会が開かれる。この日の発表当番だった古澤さんが話し始める。
「今日取り上げるのは8年前の論文です。乳がんとインターロイキン-6(IL-6)との関係ですが…」。最新のテーマではない。スライドを使いながら解説を進めるうち、話は100年前に唱えられた言葉に移り、「ある種は、ある土壌にしか育たない」という原則を紹介し、臓器特異的転移について説明する。そして最後は、サブタイプや治療法が機械的に決められている現状への問題提起をし、「常識と言われていることをフィルター役である我々がそのまま行ってはいけない。眼力が必要」と今の診療へのアドバイスで結んだ。
約20分のレクチャーは過去現在未来を網羅していた。山口さんは言う。
「勉強会は古澤先生がやりたかったことです。内容が難しければ、看護師たちがあとから我々ドクターに質問にきます。私は先週の当番だったので、手術後のリンパ浮腫について話をしました」
知識を共有することがチームにとって基本だというポリシーが貫かれている。
また、毎朝のミーティングで行動目標や患者情報などを発表し合い、症例カンファレンスや術前カンファレンスでは患者に直結する情報を交換する。
「朝のミーティングは自由な提案の場でもあります。患者さんにアンケートを取ってみようなどというアイディアが次々に出てきます」(古澤さん)
自由な雰囲気のミーティングは半年で随分定着してきた。古澤さんは言う。
「自分の知識を少しひけらかすことで立派だと思われたい医師もいますが、私は違う考えです。皆が同じ知識を持っていなければ。それぞれの視点が違いますから。多職種で総合的に対応しなければなりません」