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孤立した若年乳がん患者の心を支えるグループケア
悩みを打ち明け、聞いてもらえる、耳を傾ける――それが道を拓く

監修: 齊藤光江 東京大学付属病院乳腺内分泌外科講師
順天堂大学乳腺センター乳腺科客員助教授
取材・文:「がんサポート」編集部
発行:2006年2月
更新:2014年2月

  
齊藤光江さん
東京大学付属病院
乳腺内分泌外科講師の
齊藤光江さん

乳がんは20代、30代でがんになる人はけっこういる。

しかし、若くしてなると、仕事や恋愛、結婚などに不利になることから、会社にも友達にも打ち明けられず、孤立し、それが重圧となり、心理的に押し潰される。

それを打開するグループケアが試みられている。

どこで、誰の手で、どういうことが行われているのだろうか。

孤立している患者

乳がんという病気は、乳房を失ったり、卵巣機能をなくしたり、女性のアイデンティティに関わるものを喪失するという、他のがんにはないつらさがある。しかも、何年経っても再発する不安を抱えており、病気が長期にわたることもあり、乳がん患者さんの悩みは大きい。とりわけ20、30代で乳がんになった若年の患者さんは、人生設計の変更を余儀なくされることもあって、その苦悩はとても深いものがある。

ところが、こうした若年の患者さんはみな孤独で孤立している。病院の待合室でも、おとなしく、誰にも悟られないように、1人でただ待っている。病気のことを知られると何事につけ不利になるので、会社にも友達にも打ち明けられず黙っている。自分の悩みは自分で解決するほかない。しかし、重すぎて1人では解決しきれず、うつに陥ったり、ついには自殺未遂に至ることまである。

こうしてみると、若年患者さんには心の支え、支えあう仲間が不可欠のように思われる。ところが、若年者の心のケアに対して医療の目がほとんど向けられていないのが現状である。この壁を打ち破ろうとしている1人の医師がいる。東京大学付属病院乳腺内分泌外科講師の齊藤光江さんだ。

若年性乳がんの患者会「ひろば」設立

2003年9月、当時癌研究会付属病院で診療していた齋藤さんは、このような患者さんの交流の場を設ける必要性を感じ、若年性乳がんの患者会「ひろば」を設立した。

「私が何年も受け持ってきた30代の患者さんが思いつめて自殺未遂を図った。彼女の病状をずっと把握し相談に乗っていたのに、そんなことが起こってショックを受けたのが患者会設立の直接のきっかけです。こんな危機的な状況に陥った患者さんを互いに“見合い”させれば、めげてた子の世界が広がり、元気を取り戻すのではないか。がんばっている姿を見てもらえば他の人が勇気づけられるのではないかと思ったんです」

と、齊藤さんは患者会設立の動機を語る。

患者会は40歳未満の乳がん患者さんを対象とし、フリートークを目的とした。2、3カ月に1回の割合で会合を開く予定で、最初は齊藤さんが自分が診ていた患者さんの中から参加者を募った。

ただし、再発した患者さんには意図的に声をかけなかったという。

「再発患者さんに声をかけるかどうか、迷ったんです。いい影響と悪い影響と両面あるんじゃないかと。例えば再発していることで元気な患者さんに不安を与えたり、せっかく仲良くなった仲間がそのうち亡くなって落ち込むなど、悪い影響があることを恐れて、最初はあえて再発患者さんには声をかけなかったんです」

ただし、実際にはその意図どおりとはならなかったが、これについては後述する。

こうして第1回目の会合は、東大構内にある山上会館というレストランを借り切って行われた。約20人が参加した。

体験談に聞き入り、もらい泣き

「患者さんたちにとっては、非常に強烈な体験だったようです」

と、齊藤さんは言う。

まずは、自己紹介から始まったが、始まってみると、単なる自己紹介に止まらず、その人のがん体験、病気体験の話となった。つらい思いをして治療をしたこと、診療の際に医師から心ない言葉を投げかけられて傷ついたこと。結婚したばかりで乳がんになった女性が、医師から「旦那さん、可哀そうね。奥さんのオッパイがなくなって」と言われて傷ついた話などに参加者はみな聞き入った。

話をしている間に感極まり、途中から話ができなくなった人も4人出た。しかも、その途中で終わった話に参加者の多くがまたもらい泣きをするという波紋も起こった。会場は当初2時間の予定で借りていたが、それではとても収まらず、1時間延長し、ようやく自己紹介が終わった。用意されていた料理もほとんど手をつけられなかった。それほどみな話に聞き入り、3時間があっという間に過ぎたという。それでも物足りなくて参加者たちは2次会へと流れた。

実は、この会には、当初の齊藤さんの意図とは違って、再発患者さんが2人参加した。1人は友人に誘われてきたが、もう1人は、なんと齊藤さん自身が勇気づけようと思って、患者さんに患者会の存在をつい教え、入院棟からの手紙での参加を勧めたのであった。

心配された悪い影響はあったのだろうか。

「心配するほどではなかった、というよりも、けっこう上手く互いに交流できているようです。再発の患者さんが来ても、他の患者さんは怖がらないですね。この会は、回を重ねるごとに、再発患者さんにも勇気と力を与える存在に成長していっているようです」

何もしない、ただ集まる会

こうして第1回目の会合を無事終了してからは、3カ月ごとに定例会が開かれ、これまでに10回行われた。回ごとに世話役の幹事に3~6人がなり、ちょっと洒落た画廊や公園などで、毎回15~20人の参加者が見られている。

この患者会をどんなものにするか、何をするかについては、実は、1回目の2次会の席で、1回目の感想とともにみんなで話し合われている。

「病気になってつらかったことを初めて大勢の前で喋り、聞いてもらうことができた。つらい思いをしたのは自分だけではない。みんなもいろんな思いをしてきたことがわかったというのが、多くの人の感想でした」(齊藤さん)

悩みを打ち明けられること、聞いてもらえること、聞くことができること、それだけで十分というのである。

「中には活発な子もいて、ボランティア活動をしたいという意見もありましたが、何かやろうとすると、それについていけない子が出る。心のケアを本当に必要とする患者さんが入って来れない恐れがある。そこでこの会は、“何もしない会”“ただ集まる会”にしようということになったんです」(齊藤さん)

といって、まったく何もしないかというと、そうではない。やはり何か活動をしたいという患者さんもいるので、そういう場合は、会の外でやろうということになった。実際に、気の合った者同士が旅行に行ったり、患者さんの入院に見舞いに行ったり、葬式にまで行っている。「私の心配をよそにみんなけっこう落ち着いており、死を身近にしても、めげているというよりは、何かを学んでいるように見えます」(齊藤さん)

もっと大々的に講演会と展示会を合体させたイベントを企画した患者さんも出た。うつ状態だった女性である。その彼女が立ち直り、結婚、さらにはオーストラリアに留学までした。しかし、それだけでは満足いかず、何か活動をしたいといって、外部の会として「かがやきの会」というのを作り、その主催で「乳がん心と体のケア」と題して、講演会と展示会を催したのである。乳がん用の補正下着やカツラ、リンパ浮腫用のグッズなどを展示して、なかなかの好評を得たようだ。

さて、定例会では、フリートークというが、参加者たちはいったいどんな内容の話をし合っているのだろうか。齊藤さんがこう代弁して言う。

「あまり病気のことは話していないですね。若いこともあって、メイクのことやネイルケア、ヘアーメイク、帽子など、身だしなみに関する話題が多いです。アロマテラピーやリンパ浮腫の問題で、どこに行ったらいいかとか、どんなサポーターがいいかなどで、話が尽きないようです。会が終っても、2次会、3次会までやっているようですから」


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