渡辺亨チームが医療サポートする:乳がん編
チーム・リーダー
渡辺亨
山王メディカルプラザ・
オンコロジーセンター長
わたなべ とおる
1955年生まれ。
80年、北海道大学医学部卒業。
同大学第一内科、国立がん研究センター中央病院腫瘍内科、米国テネシー州、ヴァンダービルト大学内科フェローなどを経て、
90年、国立がん研究センター中央病院内科医長。
腫瘍内科学、がん治療の臨床試験の体制と方法論、腫瘍内分泌学、腫瘍増殖因子をターゲットにした治療開発を研究。
2003年同、山王メディカルプラザ・オンコロジーセンター長、国際医療福祉大学教授。日本乳癌学会理事。
3センチ超の乳がんでも乳房を温存することは可能か
夫は「がんではないか」と
2002年9月のこと。朝のシャワーのとき、島田典子さん(仮名・46歳)は、ボディソープをつけた手を右胸に伸ばすと、ふと硬いものを感じた。「あれっ?」と思い、指先で確認すると、右乳房の右上側あたりにグリグリと芯があるような感触、500円玉より一回り大きいぐらいのに感じた。
「ねえ、ここに何かあるわよね」
浴室を出るとすぐ夫に聞いた。夫はさわってみて、「ほんとだ。硬いものがあるよ。ひょっとしてがん?」と、不吉なことを言う(*1乳がんの初発症状)。急に不安が広がった。
「どうして今まで気づかなかったのかしら」
典子さんの結婚は遅く、35歳のときだった。そして、38歳のとき、女児を出産した。現在は夫と長女の3人で千葉県に住む。自分がやや肥満気味であることは自覚している。
夫の「がん」という言葉を聞いて、強い不安を覚えたのにはわけがある。仙台市の実家に住む母親が、やはり50歳を迎える前に右乳房に乳がんを発症し、全摘出しているのだ。「母親が乳がんだと、娘も乳がんになる危険性が高い」と聞いたことがある(*2乳がんの体質)。
「明日すぐに病院に行くわ」
典子さんは、しずんだ声で夫にそう話した。
十中八、九、間違いない……
典子さんは翌朝9時半に自宅近くの市立病院を訪れた。入り口の案内係に、「乳がんの検査を受けたいのですが、どの科を受診すればいいですか?」と訊ねると、案内係は「当院では、外科で行っています」と説明した。
外科の窓口で予診票を渡され、自覚症状などの必要事項を書き込む。待合室はかなり混み合っていて、2時間近く待ち、ようやく名前を呼ばれた。
「胸にしこりが、あるんですね。では、診察しましょう」
初老の医師は予診票を見ながら、まず視診と触診に取り掛かった(*3乳がんの検査)。
「確かに腫瘤がありますね。わきの下のリンパ節にもグリグリがある。転移だな」
医師の言葉を聞いて、典子さんは頭の中が真っ白になった。続いて、「超音波検査をします」といわれたが、気持ちはすっかりうつろになっていた。そこへ医師がだめを押す。
「ああ、3センチはありますね。大きいですね」
目の前の画面に映し出された胸の超音波画像には、やや縦長の黒いカゲがはっきり映っていた。
マンモグラフィや、確定診断(*4)のための*穿刺吸引細胞診検査が続き、夕方になってようやく検査が終わった。
「では、来週、細胞診の結果などをご説明しますが、十中八、九、乳がんに間違いないでしょう。すぐに手術をしたほうがいい。2週間後の手術枠がとれますから、予約しておきましょう」
医師はたたみかけるように話した。典子さんは、深く考える余裕もないまま、予約の手続きを済ませると、気もそぞろに病院を出た。どこをどう歩いて帰ってきたのか、さっぱり覚えていなかった。
*穿刺吸引細胞診=注射器のような器具と細い注射針を用いて体内の組織から細胞を採取する方法
乳房温存療法という選択があった
翌日、典子さんは書店に出かけ、乳がんについて詳しく書かれた本を買い求めた。家に着いて必死でページをめくった。
「どうして私ががんなんかになるの。手術しなくちゃいけないのかしら。どんな手術になるのかしら」
自分の病気のことで頭がいっぱいである。そして、本の中に書いてある「乳がんになりやすい人」というリスクファクター(*5)を自分であれこれ数え挙げたりするのだった。
「確かに私は初潮は10歳で、クラスの中では一番早かった、結婚や出産も遅かったわ。それに乳製品やお肉が好きなほうだし、お母さんも乳がんだったし、リスクは高い、ということになる……」
もちろん乳がんの治療法についても、本の中からいろいろ情報を探った。そして、その中から、ちょっとうれしい情報を見つけ出したのである。早期の乳がんなら、必ずしも全摘手術でなくても、乳房を温存できる手術法が選択できることを知ったのだ(*6乳房温存手術の選択)。
「もしかしたら、乳房をなくさなくてすむかもしれないわ」
急に希望が持てたようにも思えた。しかし、よく読むと、日本乳癌学会の乳房温存療法のガイドラインが、引用してあり、温存ができるのは「腫瘍径3センチ」以下と書いてある。「そういえば、エコー検査のとき3センチはあるって言ってたわ」とにかく、「乳房温存」のキーワードで、インターネットを調べ、8割以上の患者さんで乳房温存が可能」という外科医の新聞記事が見つかった。温存したい。
しかし、夫にこのことを話すと、「お前の命が助かることがいちばん大切だ。乳房はあきらめたほうがいいのではないか」という答えが返ってきた。典子さんは、女性としての自分の気持ちと、夫の気持ちには、どこか温度差があるような気がしてくるのだった。
セカンドオピニオンを希望
翌週典子さんは確定診断の結果と、治療の説明を聞くために、再び病院を訪れた。夫も会社を休んで一緒に来てくれた。
「細胞診の結果も、やはり、乳がんでした。病期は2B期という状態です(*7乳がんの進行度)。1日も早く手術をしたほうがいいですね。予定通り来週の木曜日に手術ということでいいですね」
たんたんと話を進める医師に対し、典子さんは、自分で仕入れた知識をもとに切り出した。
「温存手術という方法があることを知りました。何とか乳房を残したいのですが」
医師は、カルテの記録を確認しながら言った。
「あなたの場合、しこりも大きいし、リンパ節への転移もあります。乳房の全摘手術と、腋窩(脇の下)のリンパ節郭清は不可欠と考えます。温存手術は、命に関わってくるのでお勧めできませんね」
典子さんは、以前からずっと考え続けていたことを、ついに口にしなければならなかった。
「申し訳ありませんが、他の先生のご意見もお聞きしたいと思います。紹介状を書いていただきたいのですが?」
医師は、意外とあっさりと、「わかりました。紹介状を書きましょう。いろいろな医者の意見を聞いてみるのも必要なことですからね。後で外科外来受付に取りに来てください」と、笑顔で答えてくれた。典子さんは、ほっとした気持ちになった。
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