厚い縦割りの壁を乗り越え、九州から意識変革の風
がんのチーム医療を未来へ託す
九州がんセンター乳腺科部長の
大野真司さん
おおの しんじ
九州がんセンター乳腺科部長。1958年、福岡県生まれ。九州大学医学部卒。九州大学病院を経て、2000年から九州がんセンターに勤務。乳がんのチーム医療の専門家。著書に『明日から役立つ乳がんチーム医療ガイド』(金原出版)。多職種の医療者が乳がんの啓発活動を行う団体、NPO法人ハッピーマンマ代表理事
2009年8月、九州福岡市で行われたセミナー、がんチーム医療研究会学術集会の「未来プロジェクト」は、日本ではなかなか普及しないがんのチーム医療を、医療従事者をめざす学生にグループワーク形式で学んでもらおうという趣旨の会だ。
10年後、20年後に向けたその夢のプロジェクトをレポートする。
なかなか普及しないチーム医療
欧米では、外科や、内科、放射線科など各科の医師や、看護師、臨床心理士、薬剤師たちが知恵を出し合い、1人ひとりの患者に合わせて治療戦略を立てる「チーム医療」はすでにがん治療の常識となっている。
ところが日本では、大学医学部が、制度的に縦割りになっていたことから、今でも科を超えたネットワークはできにくい。医師と他の医療従事者の上下関係という問題もある。全医療従事者が平等な関係で行うチーム医療の実現は、構造上もむずかしいのだ。
しかし、この壁を乗り越えようという活動も始まっている。それがこれからレポートする学生向けのセミナー「未来プロジェクト」だ。ここでは現場の専門家が、職種や組織の壁を経験する前の学生に、チーム医療のメリットをわかりやすく伝えている。
2年目を迎えたこのプロジェクトの発起人は、九州がんセンター乳腺科部長で乳がんチーム医療の第一人者、大野真司さん。
学生は人数を上限50人に限り、医学部(医学科)だけでなく、薬学部、看護学部(看護学科)、心理学科、放射線科、臨床検査科などからも集められ、少人数のワークショップ形式で学ぶ。
「話を聞くだけでなく、いろんな職種や患者さんと話して、心にも得るものが大きかった」(前回学生アンケート)というこのセミナーに、09年は県内の九州大学、福岡大学、久留米大学だけでなく、県外の広島大学などからも学生が集まった。
会場に、学生の「チーム医療」チームができる
まずはセミナー会場をのぞいてみよう。2日間行われたセミナーは、6つのセッション(授業)に分かれ、1つの授業を複数の講師が担当する。すべてが講義形式ではなく、現場の実際をスライドで説明し、その後10人以下のグループに分かれた学生が、1時間程度話し合って発表し、質疑応答する形式だ。
1日目の午前中は、セッション1「チーム医療には何が必要か」だ。セミナー発起人の大野さんと、九州大学薬学研究院臨床薬学部門の島添隆雄さんによる実際の現場のスライド説明の後、学生はグループに分かれ、チーム医療に必要だと思うものをKJ法(アイデアをメモし、メモを組み合わせて考えていく)でまとめて発表した。
学生が出した回答は「チーム医療には、情報や目標の共有だけでなく、患者やチームの成員への思いやりの心や、コミュニケーションが必要」というもの。
会場を見て回った大野さんは「グループワークで、それぞれ自分の学校で学んでいるチーム医療の違いを話しているのがよかった」と喜んでいた。「情報の共有化」だ。
各グループには医学生、看護学生、薬学部生などがバランスよく配されている。会場には即席の「チーム医療のチーム」が作られていた。
患者もチームの一員だと感じた
午後は、がん患者の体験を聞くセッション。タイトルは「医の原点、患者・社会のための医療」だ。これは、08年にあまりに学生の反響が大きかったので、09年は、次のコミュニケーションの授業の前に移された。
乳がん患者、「あけぼの福岡」代表の深野百合子さん(65歳)が、15年前の乳房全摘手術の体験を話し出すと、昼食後の会場はすっと静かに。そんな中、発病前、発症、手術前後の具体的な変化や、深野さんだけでない家族の気持ちのゆれが、ていねいに、孫の年齢の学生たちに語られていく。
「当時週刊誌などで紹介され始めた乳房温存手術を希望したけれど、私の病状ではだめでした。自分では心得ていたつもりが、初めてのシャワーで、脱衣所の大きな鏡で胸のムカデのような縫いあとを見て、『はー、これが全摘』と非常にショックを受けたのを覚えています」「1人になるとおこる再発の不安を消してくれたのは、周囲のなぐさめとともに、自分が職場に戻って忙しく仕事していけたことです」(深野さん)
乳がんの患者会「あけぼの福岡」の病院訪問活動も紹介された。訪問先で、深野さんが術後15年と知っただけで泣き出す患者がいたという。その人は、自分は2、3年で死ぬとかたく信じこんでいたのだ。
「がんの衝撃は格別です。どんなに小さくて早期でも、宣告された患者は、死を思う。たとえ治らなくても治療を受けるのには希望が必要。医療者は最善の治療を提供して『一緒に頑張りましょう』と言ってほしい。それが生きる希望になるのです」(深野さん)
ほかにも各グループに加わった2名の体験談があり、学生からは「患者さんは、私たちが考えるよりずっと強い。体の異常を患者が強く訴えて早期発見した例や、脱衣所を改善していった例を聞き、患者さんもチーム医療の一員だと感じた」「患者会の病棟訪問が患者さんの支えになると思ったが、病院側の受け入れ態勢がほとんどないと聞き、問題だと思う」「セカンドオピニオンを他に求めて、かかりつけ医に暴言をはかれた話が心に残った。患者には医療者の言葉がいつまでも残る。自分はちゃんとできるだろうか」などの声が出た。