佐久総合病院 専門科を越えて地域ケアを展開してくれる総合病院

取材・文:守田直樹
発行:2007年7月
更新:2013年9月

  

無医村出張診療を原点に、在宅医療を実施

写真:佐久総合病院

長野県の平均寿命は男性が全国1位、女性3位。健康長寿県にした立役者が佐久総合病院といわれる

家で亡くなることが重要なのではない。患者が望む場所で、いまをどのように暮らすかが重要なのだ。ただ、患者さんの希望を叶えるには、迅速な判断が必要な場合と、じっくりと患者さんと共に悩む時間が必要な場合がある。その両ケースのために大切な役割を果たしている総合病院を紹介したい。

「東信州一帯の医療をになう中核病院

写真:山本亮ドクター

「山登りやスキーが好きで、信州にはあこがれがあった」という大阪出身の山本亮ドクター

八ヶ岳連峰を左手に見ながら、小渕沢駅(山梨県)から小諸駅(長野県)に北上するのが「小海線」。車窓からは、八重桜や山吹らしき黄色い花が咲きほこっているのが見える。JR鉄道最高所(標高1345メートル)の野辺山駅を過ぎてしばらく走ると、臼田駅に到着。小ぢんまりとした駅舎を出たとたん、高原のさわやかな風がほほをなでた。

「佐久総合病院」は、千曲川沿いにあった。

駅前よりも、病院の門前のほうがにぎやかな商店街を歩いていると、突然、頭上からヘリコプターが病院の屋上に降下してきた。

写真:ドクターヘリ
最新鋭の“在宅診療”でもあるドクターヘリ

ドクターの山本亮さんは、こう話す。

「救急患者のところへ医師と看護師を運ぶドクターヘリです。うちの病院を小さいと思っていらっしゃる方も多いようですが、ベッド数は約800床あります。臼田町は合併して佐久市になりましたが、その前はわずか人口1万ちょっと。そんな小さな町でこれだけの規模の総合病院があるところはほかにないと思います」

グループの分院のベッドを合わせると約1000床になる、まさに東信(東信州)一帯の医療をになう中核病院。これだけの規模をもつ病院ながら、医師や看護師が患者宅へ行く在宅医療にも力をそそぎ、登録している在宅患者数はなんと約370人。その拠点となっているのが地域ケア科だ。

独自の“ファジーさ”で診察体制を整える

写真:故・若月俊一名誉総長の銅像

病院の中庭に故・若月俊一名誉総長の銅像がある

この地域ケア科の正式発足は1994年だが、原点は故・若月俊一名誉総長の着任2年目、1945年に開始された無医村出張診療にある。若月さんは、「農民とともに」をキャッチフレーズに農村医療を実践し、予防医療などにも積極的に取り組んだ先駆者として知られる。

その「若月イズム」とでもいうべきものを体現する地域ケア科に、山本さんも所属している。訪問診療をしている部署をまとめて地域ケア科にしているので、医師はほとんどが兼任になる。つまり、何科の医師でも在宅医療をやりたければ地域ケア科に入ればいいわけだ。総勢23名にのぼる医師はほぼ全員が兼任で、山本さんの名刺にも地域ケア科とは書かれておらず、総合診療科と記されている。

ただ、この総合診療科も少しあいまいな科だ。最近は他科への紹介窓口として総合診療科をかかげる病院は増えてきたが、佐久病院の場合は訪れる患者のほとんどを直接診察しているという。

「これまでだとお腹が痛いと消化器科、息苦しいから呼吸器科などと患者さんが自分で考えて受付に行っていたと思いますが、骨折など専門医にかかる必要が明らかな場合などをのぞき、まず総合診療科にきてもらえばいいわけです」

こうしたことが可能なのも、佐久病院の“ファジーさ”によるのかもしれない。

「この病院は、いい意味でアバウト。あんまりカチッと決めていないんです」

“あそび”がチームの存在を受け入れやすくする

写真:旧臼田町界隈では、この軽自動車はおなじみ
旧臼田町界隈では、この軽自動車はおなじみ

山本さんは、外来と入院患者を診ながら、往診の3役をこなしている。さらに2006年からは「緩和ケアチーム」のリーダーの仕事も始めた。

きっかけは2005年、ホスピスケアに古くから取り組んでいる「聖隷三方原病院」(静岡県)に1年間の研修に出たことだった。

「うちの病院では、勤務して10年目ぐらいになると、病院が給料を負担するかたちで1年間研修に出してもらえるんです」

この研修の経験から、山本さんは緩和ケア病棟のない佐久総合病院で緩和ケアチームを率いることになった。

厚生労働省は病院内での緩和ケアを推進させるため、2002年から専門の緩和ケアチームに対して診療報酬を加算している。専従の医師に加え、緩和ケアの経験のある看護師、精神科医の3人でチームを組めば250点(2500円)加算されるが、この病院ではあえてこの加算をしていない。

「ぼくは総合診療科で外来や往診もしているので、専従にはなれません。チームの仕事だけをするより、いまのままで柔軟にやっていこうということになっています」

車のハンドルでいう“あそび”の部分が、大病院が陥りがちな縦割りになることを防いでいるのかもしれない。

「病棟内で緩和ケアチームとして患者さんのところに出向き、家に戻りたいとおっしゃれば地域ケア科としてぼくが在宅で往診もできます。お家に帰って、また具合が悪くなって入院するときは、総合診療科でぼくが担当してもいいし、主治医の先生のほうに戻られてもいい。患者さんが望まれる方法をとれるんです」

こうした利用法なので、総合診療科のベッド数46床は常にいっぱいで、他科のベッドを借りながら常時70人くらい入院しているという。このファジーさが患者の入退院をしやすくし、緩和ケアチームの存在も院内で受け入れやすくしているようだ。

「去年1年間で紹介を受けた患者さんは50人くらいなので、少しずつ院内で浸透はしていると思います。患者さんが主治医の外来で待っている間にぼくらが患者さんのところへ行って痛みのことなどを聞き、主治医に新しい治療を提案したりして、臨機応変にやっています」

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