患者の不安や痛みを軽減する音楽療法
手術前後のQOLアップが実証された!
茨城音楽専門学校
音楽療法科科長の
高橋多喜子さん
たかはし たきこ
茨城音楽専門学校音楽療法科科長。
日本音楽療法学会認定音楽療法士。
心理音楽療法研究所主宰。
高齢者、障害児のための音楽療法、及び、精神科において10数年、音楽療法に携わる。
国立音楽大学音楽学部楽理学科卒。
音楽療法って何?
QOLアップ、障害の改善を目的に、音楽のもつ治療的特質を計画的に用いること
音楽を聴くと、気分が高揚したり、癒されたり、過去を思い出して、思わず涙を流したり……。そんな体験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。音楽が情動と深く結びつき、心や体に影響を与えることは以前から経験的に知られていました。
このような働きを利用して、映画や演劇、テレビドラマなどでは、高揚感や恐怖心を強調する手法として音楽が使われています。「胎教によい」、「癒し効果がある」とされるヒーリング音楽なども人気を得ていますが、最近では、このような音楽の効果を医療に役立てる「音楽療法(ミュージック・セラピー)」が、盛んに行われるようになっています。
「音楽療法とは、音楽による心理療法のことで、音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを計画的、意図的に用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、QOL(生活の質)の向上などを図ることをいいます」と音楽療法の研究者であり、音楽療法士としての活動も続けている高橋多喜子さんは解説します。
「音楽は古代エジプトでは“魂の薬”と考えられ、ギリシャ時代以前は、医学や宗教と密接に結びついていましたが、ルネッサンス以降、医学と分離されました。現在、全人的な治療やケアが求められる医学や看護の中に、音楽の治療的特性を取り込む試みが再び見直され、音楽を聴いたり、演奏したりしたときの心と体への影響が、自律神経系、免疫系、ホルモン系などの研究から解明されつつあります」
日本では1960年代、音楽療法家でチェリストのJ・アルヴィンによって音楽療法が導入されて以来、ここ数年で急速に広まり、日本音楽療法学会(日野原重明会長、会員6000名)認定の音楽療法士(ミュージック・セラピスト=MT)は、2005年には1063名になりました。これらの専門家によりさまざまな分野で音楽療法が行われ、成果を上げています。
音楽療法という言葉から「モーツァルトの曲や癒し系の音楽を聴いて、心を安定させる」というような方法を連想しがちですが、その方法はもっと幅広く、(1)音楽を鑑賞する、(2)演奏する、または歌う、(3)身体を動かす、(4)創作する(作詞作曲など)の4つの形態があり、対象者の状態に合わせて単独または組み合わせて用いるそうです(下表)。
「(2)の中でも、好きな歌、よく歌った歌などの“なじみの歌”を歌う方法は、歌唱後、その当時の記憶や感情が呼び戻り、その呼び戻った回想をセラピストと語ることによって、高齢者の活動レベルが向上することがわかっています。また中度・重度の認知症の高齢者に対する“なじみの歌”を使った音楽療法の長期効果もわかってきて、音楽療法を行ったグループは、行わなかったグループより収縮期(最大)血圧が有意に低かったのです。1年間で約10.3mmHgの差がつきました。収縮期血圧が高いと心疾患、脳疾患、ひいては認知症を引き起こす危険度が高まりますが、音楽療法はそれらの予防になりうるということがわかったのです。
(1)鑑賞する 音楽療法士(MT)が患者さんとアセスメントをした結果、選曲した既成の曲を、生演奏または録音で聴く。活動的な状態、リラックスした状態が得られる。イメージや幻想が喚起され、意識水準が変化する。 |
(2)演奏する、歌う 既成の楽曲を歌ったり、演奏したりする。MTとともに即興で行うこともある。感覚運動スキルの促進、言語機能、コミュニケーション機能の改善のほか、感情表現や発散により、情緒が安定する。消化器がん術前術後の音楽療法として、この方法を採用。 |
(3)身体を動かす 音楽とともに体を動かす。感覚運動スキル、運動機能を高め、他者への共感、相互作用など、集団スキルを促進。 |
(4)創作する 作詞、作曲、身体表現動作を創作する。計画性、表現力が向上する。音楽的行動の両面に影響を及ぼす。 |
がん患者さんへの音楽療法の効果は?
消化器がん手術前後の音楽療法で、不安や痛みが軽減
がんの患者さんに対しては、今まで緩和ケア病棟、ホスピスを中心として、身体的・精神的・社会的苦痛の軽減を目的に音楽療法が行われ、成果を上げていました。
「一方、がん告知直後や手術前後も、患者さんは非常に不安感が強いものです。私は、筑波大学医学部付属病院消化器外科の太田恵一朗医師の協力を得て、消化器がんの開腹手術を受ける患者さんを対象に、術前、術後に各1回ずつ音楽療法を実施してみたところ、音楽療法を受けた後は、術前、術後とも不安やストレス、痛みが有意に改善され、非常に高い効果が認められました」
2003年行った小規模なパイロット研究で、予想以上の効果が確認できたため、昨夏から2005年の春まで、臨床試験(消化器がんの手術を受ける患者さんを無作為抽出。音楽療法を受けたグループ18名、受けないグループ20名)を実施。音楽療法を受けたグループでは、同様の高い効果が確認できたといいます。
海外では、音楽療法の効果として、がん患者さんの疼痛緩和のほか、形成手術待機中の患者さんや、心筋梗塞の患者さんの不安やストレスが軽減されたとの報告がありますが、がんの手術前後の不安や痛みへの影響を調べた研究はこれが初めてです。
音楽療法の方法は?
術前、術後に「バラが咲いた」などのなじみの歌を歌う
ここでは、高橋さんが1回目に実施した音楽療法の詳細とその結果をご紹介しましょう。対象者は、音楽療法への参加を希望し、研究に賛同した男性5名、女性3名、計8名の消化器がん(胃がん、大腸がん、肝臓がんなどで、ステージはさまざま)の患者さんで、平均年齢は65歳。音楽療法の形態は「なじみの歌を歌う(無理な場合はなじみの歌を聴く)」という方法です。
「好きな歌、よく歌った歌など、ご本人に選んでいただいた“なじみの歌”を、音楽療法士(セラピスト)の生演奏と歌唱に合わせて一緒に歌っていただく方法をとりました。なじみの歌を選び、歌うことによって、即座に過去の思い出が呼び覚まされ、その想いや感情をセラピストに話すことが、カウンセリング効果にもつながり、感情を発散するとともに、未来に踏み出すステップになる可能性があるのではないかと考えたからです」
患者さんが選んだのは、「神田川」「バラが咲いた」「川の流れのように」「いい日旅立ち」「別れの一本杉」「雪椿」「夫婦坂」「急げ幌馬車」などの演歌や歌謡曲、フォークソングなど、さまざまでした。
「手術の1~3日前と、手術後の1~3日後の計2回、病院内のカンファレンスルームをセッションルームとして貸していただき、キーボードで伴奏するセラピストと患者さんが1対1で向き合って、歌詞カードを見ながらなじみの歌を一緒に歌う音楽療法を約20分間行って、不安や痛みの変化を、生理的、心理的な指標を用いて両面から調べました。手術前後2回の音楽療法での使用曲は同じものを用いました」
手術前のセッションでは、がんと診断、告知されてショックを受け、さらに手術への不安を抱えているため、患者さんは不安定な精神状態ですが、まだ手術の痛みはないので、それぞれのなじみの歌を活発に歌って、回想を語る方が多かったといいます。手術に際して見守られ、応援されている自分をみつめる方、自分の生い立ちを告白する方、歌詞の内容に涙する方などいろいろ。
「やはり、がんという病気になったからこそ、それまでの人生の中で重要なポイントとなった歌、忘れられない歌を選んだ方が多かったようです。バラが咲いたという曲を選んだ方は、その歌がヒットしたころ、家を建ててバラを1本植えたとか。その充実した日々についてを話していらっしゃいました。
手術後は、患者さんにセッションルームまで歩行してもらいました。術後の痛みがあるため、大半の方が痛い痛いと言いながらも、意外と“待ってました”という反応が多く、抵抗なく歌っていらしたのが印象的です。手術前に大泣きしたから、手術後は泣かないぞ、と決めていたのに、また、泣いてしまった、という方もおられましたね。また、手術中も歌うんだ、と言って、歌詞カードを手術室に持ち込んだ方もいます。病院のスタッフが協力して、その曲のCDを手術室に流してくれたので、麻酔で眠るまで曲に浸っていられたそうです。術後の回復があまり順調でない方は、ベッド上で歌を聴く方法をとりましたが、自らも声を出されていました」
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