乳がん治療の新時代を開いたホルモン療法薬の真の実力と新たな可能性を探る
乳がんホルモン療法の誤解を解く
「すべては患者さんのために」が
モットーの
大野真司さん
ホルモン療法は抗がん剤より効果が劣っているのではないか。そんな疑問を持っている患者さんが意外に多い。
実はこれは完全な誤解で、ホルモン受容体陽性の乳がんの場合なら、抗がん剤以上の効果を発揮することは明らかになっている。
ホルモン療法の中でも新しいタイプのホルモン薬で先陣を切った「アリミデックス」というホルモン薬にフォーカスを当て、ホルモン療法の真の実力と新たな可能性を探っていく。
ホルモン療法の効果を知らない患者さんが多い
「抗がん剤が1番効く」という考え方は間違い
乳がんの治療では、ホルモン療法が行われることがある。薬によって女性ホルモンの分泌を抑えたり、女性ホルモンががんに作用するのを抑えたりするもので、乳がんの重要な治療法の1つとなっている。
ところが、九州がんセンター乳腺科部長の大野真司さんによれば、その効果について、誤解している患者さんが少なくないという。
「ホルモン療法はあまり効かないのでは、と思っている患者さんがけっこういます。とくに再発した患者さんに、抗がん剤治療で早く効果を出してほしい、と言われる人が少なからずおられます。抗がん剤は副作用が強いぶんだけ、効果もホルモン療法より強力だと思われているのではないでしょうか」(図1)。
この考えは実は正しくない。乳がんの薬物療法を理解してもらうために、使われる薬を整理しておこう。乳がんの治療で使われる薬には、(1)化学療法薬(抗がん剤)、(2)ホルモン療法薬、(3)分子標的治療薬、(4)免疫療法薬という4種類がある。(4)はほとんど開発されていないので、実際の治療で使われるのは(1)~(3)。それぞれ異なる働きを持ち、乳がんの治療に役立っている。
「抗がん剤は第2次世界大戦中に毒ガスから開発された歴史があるのですが、体のすべての細胞に障害を与えることになります。とくに元気のいい活発な細胞ほど影響が大きく、一般的にがん細胞はどんどん増殖するため、抗がん剤の影響を強く受けます」
正常細胞の中にも、たとえば毛髪の根元の細胞のように、活発に分裂するものがある。そういった細胞もダメージを受けるため、脱毛などの副作用が現れるのだ。分子標的治療薬は、がん細胞の増殖や転移などに関係する因子を標的にした薬である。したがって、標的とする因子を持ったがんには効くが、因子がなければ効果はない。
女性ホルモンがくっつくと乳がん細胞が増殖する
ホルモン療法の効果を理解するには、女性ホルモンと乳がんの密接な関係を知っておく必要がある。たとえば、次のような人たちは、乳がんになりやすいことがわかっている。初潮が早かった人、閉経が遅かった人、子供を産むのが遅かった人、子供を産んでいない人、更年期にホルモン補充療法を受けた人など。いずれも女性ホルモンの分泌している期間が長かった人である。
「女性ホルモンは乳がんの発生や増殖に大きな影響を及ぼしています。そこで、女性ホルモンの影響から脱するようにすることが、治療になります。それがホルモン療法なのです」
ホルモン療法が有効な人は乳がん患者の約7割
乳がんは、乳腺という母乳を作る部位に発生する。体の中で女性ホルモンが影響する部位は限られているが、乳腺の細胞には女性ホルモンの受容体が存在する。女性ホルモンを受け止める〈手〉を持っていると考えれば、わかりやすいだろう。
この〈手〉に女性ホルモンがくっつくと、細胞は大きくなる。生理の前に乳房が張るのも、思春期や妊娠期に乳房が大きくなるのも、女性ホルモンにより乳腺の細胞が大きくなるためだ。
「乳腺細胞からがん細胞ができるとき、3割くらいの人は、がん細胞に〈手〉がなくなりますが、7割くらいの人の乳がん細胞には、女性ホルモンを受け止める〈手〉が残ります。この〈手〉を持ったがんは、女性ホルモンがくっつくことで増殖します。そこで、薬で女性ホルモンをなくしたり、女性ホルモンが〈手〉にくっつかないようにしたりすることが、治療になります。これがホルモン療法です」(図2)。
この説明からもわかるように、乳がん細胞にホルモン受容体という〈手〉がなければ、ホルモン療法は効かない。しかし、全体の約7割を占める〈手〉を持つ乳がんに対して、ホルモン療法は非常に効果的なのだ。
「〈手〉を持つ乳がん、つまりホルモン受容体陽性乳がんは、一般におとなしい傾向があります。がんは、もとの細胞の性質を残していないものほど活発で、もとの細胞の性質を残しているがんは、比較的おとなしいのです。たとえば、何の治療もしなかったら、〈手〉を持たないがんのほうが、どんどん増殖し、転移も起こします。それに対し、〈手〉を持つがんは、進行も緩やか。こういったがんには、抗がん剤よりも、ホルモン療法のほうが効果的なのです」
ホルモン療法薬は抗がん剤より治療効果が弱い、というのは誤解に過ぎない。もちろん、抗がん剤のほうがよく効くがんもあるが、ホルモン受容体陽性の乳がんなら、一般にホルモン療法のほうが効果的なのである。
脂肪組織から生み出される女性ホルモンもある
女性ホルモン1に対して薬が100の椅子取りゲーム
ホルモン療法薬には、いくつかの種類がある。女性の体は、閉経前と閉経後でホルモン環境が大きく変わるので、それに応じた薬が必要なのだ。
まず、閉経前の患者さんを考えてみよう。思春期以降、女性ホルモンは卵巣から豊富に分泌されている。この分泌を抑えれば、治療効果が期待できる。そのために使われるのが、卵巣の女性ホルモン分泌を抑えるLH-RHアゴニストというタイプの薬である。
「卵巣を叩いてホルモンを分泌できなくする薬ではありません。卵巣は、脳の視床下部というところから出るホルモンの指令を受け、女性ホルモンを分泌します。そこで、この指令を抑える薬を使い、卵巣がホルモンを分泌しないようにするのです」
このタイプの薬としては、ゾラデックス(*)などがある。
この薬を使っても、女性ホルモンをゼロにはできない。なぜなら、脂肪組織では、男性ホルモンから女性ホルモンを作り出しているからだ。その女性ホルモンが、乳がん細胞の〈手〉にくっつけば、がん細胞は増殖する。それを防ぐために使われるのが、抗エストロゲン薬というタイプの薬である。
「この薬は乳がん細胞の〈手〉にくっつくことができます。その性質を利用して、がん細胞の〈手〉に結合し、女性ホルモンがくっつけないようにするのです。椅子取りゲームを想像すると、わかりやすいでしょう。この薬を飲むと、女性ホルモン1に対し、薬が100くらいの比率になります。この状態で椅子取りゲームを行うので、がん細胞の多くの〈手〉には薬が座ってしまい、女性ホルモンはほとんど座ることがでないのです」
このタイプの薬には、ノルバデックス(*)などがある。
*ゾラデックス=一般名ゴセレリン
*ノルバデックス=一般名タモキシフェン
閉経後の患者さんにはアロマターゼ阻害薬
閉経後、卵巣からのホルモン分泌が止まるので、問題となるのは脂肪組織で作られる女性ホルモンである。これにノルバデックスで対処することも可能だが、女性ホルモンの影響をゼロにはできない。そこで、脂肪組織で女性ホルモンを作れなくする薬が開発された。それがアリミデックス(*)である。(図3)
「脂肪組織で男性ホルモンが女性ホルモンに変わるとき、アロマターゼという酵素が働いています。アリミデックスは、この酵素が働かないようにします。このようなタイプの薬をアロマターゼ阻害薬といいます」
アリミデックスなどのアロマターゼ阻害薬は、閉経後乳がんの治療に広く使われている。
*アリミデックス=一般名アナストロゾール
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