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渡辺亨チームが医療サポートする:若年性乳がん編

取材・文:林義人
発行:2007年8月
更新:2013年6月

  

サポート医師・渡辺亨
サポート医師・渡辺亨
医療法人圭友会
浜松オンコロジーセンター長

わたなべ とおる
1955年生まれ。80年、北海道大学医学部卒業。
同大学第1内科、国立がん研究センター中央病院腫瘍内科、米国テネシー州、ヴァンダービルト大学内科フェローなどを経て、90年、国立がん研究センター中央病院内科医長。 2003年、山王メディカルプラザ・オンコロジーセンター長、国際医療福祉大学教授。 現在、医療法人圭友会 浜松オンコロジーセンター長。
腫瘍内科学、がん治療の臨床試験の体制と方法論、腫瘍内分泌学、腫瘍増殖因子をターゲットにした治療開発を研究。日本乳癌学会理事

サポート・ナース・阿部 恭子
サポート・ナース・阿部 恭子
千葉大学看護学部専任教員

あべ きょうこ
89年札幌医科大学衛生短期大学部看護学科卒業。91年千葉大学看護学部卒業。
千葉県がんセンター、93年東札幌病院緩和ケア病棟勤務。97年千葉大学大学院看護学研究科前期博士課程修了。習志野市役所保健師、千葉県対がん協会などに勤務。
2005年から現職


看護師の精神的サポートにより、前向きな気持ちで闘病に取り組む

 倉田美樹さんの経過
2005年
3月20日
左乳房、乳首の外側に小さなしこり
9月20日 乳腺外科で乳がんの疑い
10月3日 F大学病院を受診

長女を出産して半年後に倉田美樹さんは胸のしこりに気づいたが、「見て見ぬふり」のまま半年を過ごした。

クリニックの乳腺外来で乳がんの疑いが強いことを指摘され、大学病院での受診を勧められるが、美樹さんは治療を拒む。

が、友人の看護師の説得でようやく治療に前向きに取り組むことになった。

(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)

しこりに気づきながらも半年間放置

関東の地方都市に住む32歳の主婦・倉田美樹さんが左乳房の乳首の外側に7~8ミリくらいの硬いしこりがあるのに気づいたのは、2005年3月20日だった。長女の舞ちゃんが生まれて半年ほど経過したばかりの授乳のとき、たまたま自分で乳房に触れてわかった。しこりは赤みを帯びているわけでもない。「きっと虫にでも刺されたんだわ」

しかし、1週間経っても、しこりは消えなかった(*1乳房のしこり)。痛くも痒くもない。だから、今度は「脂肪の固まりか何かかしら」と思うことにした。

「もしや」という気持ちもなくはなかった。美樹さんの母は50歳で乳がんを発症し、右乳房を失っている(*2日本人の乳がん)。母の母が乳がんになったのも50歳過ぎと聞いているが、美樹さんが小学校へ入学する前に亡くなった。また、母の姉は卵巣がんを患っている。そんなことから美樹さんは「自分もいつかがんになるかもしれない」との思いがあった。「家族性乳がん*3)」についても知っている。「もしや」という気持ちを、「まさか」という思いで押さえ込もうとしていたのだ。

9月13日に舞ちゃんが1歳の誕生日を迎えて、離乳の準備を始めた頃、美樹さんはようやく胸のしこりが尋常ではないことに気づいた。初めて見つけたときの3倍くらいの大きさになっていた。相変わらず痛みなどはないが、乳房のなかにボタンか何かを埋め込まれたかのような違和感があった。

「ねえ、達也。これ、お医者さんに診てもらったほうがいいわよね?」

美樹さんは、初めて1歳年上の夫・達也さんにしこりのことを打ち明けた。達也さんの右手をつかむと、Tシャツの上からしこりの場所へと導く。

「なんだ、これ。いつから?」

達也さんは、急に心配そうな顔つきになっていく。

「3月くらいから気がついていたの。最初はずっと小さかったから、放っておけばそのうち消えるかと思って」

「馬鹿だな。半年も放っておいたのか。乳がんだったらどうするんだよ」

「でも、20代ではまだ乳がんの集団検診はないのよ(*4若年性の乳がん検診)。この年で乳がんになることなんか普通はないでしょ?(*5若年女性の乳がん)」

こう言いながらも美樹さんは自分のなかで、「本当は乳がんではないか」という不安が大きくなっているのを感じていた。

「やっぱりお医者さんに行ったほうがいいわよね。3丁目の親愛病院に乳腺外来があるから行ってみるわ」


町の病院から大学病院へ

5月20日、美樹さんは親愛病院に毎週月曜日に開診している乳腺外来を訪れた。ここには週に1度、F大学から乳腺専門医が診療に来ているとのことである。

待合室に「本日の担当医」と表示したパネルがあり、「上島正樹」というプレートが差し込まれている。7、8人が順番待ちしていたが、40歳代と思われる女性が1人だけで、あとは全員50歳代以上と思われた。40分ほど待つと、美樹さんの名前が呼ばれた。

「胸にしこりがあるのですね」

まだ30代と思われる上島医師は問診票を見ながらこう確認した。美樹さんはうなずく。

「診させていただいていいですか?」

美樹さんは「はい」と答えると、看護師が指示するカーテンの影に行く。仕度を終えると上島医師の前に戻った。

「ああ、ここですね。あ、これは悪いものかもしれませんね」

しこりに触れると、医師はすぐにそう言った。おそらくこれまでの経験から反射的に口に出たのだろう。そのあと、脇の下あたりも丁寧な手つきで触診した。

超音波とマンモグラフィをやりましょう*6)」

美樹さんは隣の部屋に招かれる。診察台に横になるよううながされ、超音波検査のプローブが胸に当てられる。

超音波検査が終わると、すぐに女性技師から機械の前に案内される。

平らな板の上に乳房が置かれるよう慎重に導かれ、上からもう1つの板をかぶせて乳房をはさまれる。激痛が走った。

「あっ、痛い」

美樹さんは思わず口に出す。

「あ、ごめんなさい」

技師の手の動きがいっそう慎重になるのがわかった。10数分後に診察室にもう1度呼ばれた。

「乳がんが強く疑われますね。大きさは3センチ近いですね」

医師の言葉に、美樹さんは息を呑んだ。

「次には針を刺して患部から細胞を採って、その中にがん細胞があるかどうかを調べる必要がありますが、外部に検査を依頼して結果が出るのに1週間くらいかかります。そうなるとうちの大学病院を受診していただいたほうが早いでしょう。細胞診から始めてすぐに治療にかかれます。がんだとしても十分治る段階ですから。いかがでしょうか?」

美樹さんは、即座に「そうします」と答えた。

「病院へ行くのが怖い」と受診拒否

「乳がんの可能性が高いって。F大学病院で精密検査と治療を受けるように言われちゃった」

親愛病院を受診した日の夜、美樹さんは会社から戻った夫にすぐにこう報告した。

「やっぱりそうだったか。大変だったな」

達也さんは驚きながらも、妻を思いやる口調で話す。

「でも、十分治る段階だから、心配なさそうよ」

美樹さんが明るい声で言うので、達也さんも少し安心した。妻はどちらかといえば普段は心配性なので、がんならかなり落ち込むのではないかと気にしていたのだ。

ところが、次に病院へ行く朝になっても、美樹さんは出かける仕度をしようとしなかった。

「どうしたんだ。今日は病院へ行く日だろう?」

「うん。でも、今日はほかの用事ができたから、明後日に変えてもらったの」

その2日後も同じことが繰り返されたことから、美樹さんの様子がおかしいことに気づいた。

「ちゃんと病気を治さなければだめじゃないか。お前は舞のお母さんだろ」

強い口調で言うと、

「病院へ行くのは怖いの。手術なんて、いや……」

達也さんは「誰か相談できる人はいないか」と思案した。そして、結婚式のとき、美樹さんの中学校時代の友人の中に看護師がいたことを思い出した。

「確か岩田久美さんだったな。彼女に応援を頼もう」

そう考えた達也さんは、すぐに久美さんに連絡する。

2日後、忙しい仕事の合間を縫って、久美さんが駆けつけてくれた。美樹さんは相手が古くからの友人であり、医療者だという安心感から、胸の内を打ち明けた。クリニックでの話を聞いて、久美さんは美樹さんにこんなアドバイスをする。

「達也さんにも、あなたの不安な気持ちを受け止めてもらうように言っておくから、なんでも聞いてもらうといいわよ」

久美さんと話す機会が得られただけでも、美樹さんは自分の心がずいぶん和らいでいくのを感じることができた。「心配なときはいつでも私に電話をしてね」と言い残して彼女が帰ったあと2人になると、美樹さんは達也さんに手術の不安を正直に打ち明けたのである。

「胸がなくなったら、女として、妻として、見てもらえなくなるんじゃないかって思うと、とっても怖くて……」

「僕は美樹の胸と結婚したわけじゃないよ。ずっと美樹のそばにいたかったからだよ」

美樹さんはやさしく抱きしめられ、心を開いていく。ようやくF大学病院へ出かけたのは10月3日だった。


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