妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第23回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2021年11月
更新:2021年11月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

「よいしょ! よいしょ!」

まず、恭子をトイレに連れて行く。ベッド上でパジャマを着替えさせて、下着も替えてしまう、お風呂の日以外は。ディスポキャップを脱がせ、熱いタオルで顔を拭いてあげる。

「ママ、お顔を拭くよ。気持ちいいねえ」

恭子は目と口をしっかり閉じて気持ちよさそう。歯磨きをしてあげる。口の中の清潔はとても大切だ。細菌やカビを繁殖させると誤嚥性肺炎の原因になる。命取りになる。最初のうち恭子は、自分で水を口に含んでガーグルベースに吐き出していた。それも、徐々にできなくなるが……。一息ついて、ファンデーションで薄化粧をしてあげる。少し薄くなった眉をアイブロウでなぞって。そのあと、うっすらと唇に紅を引く。出来上がり。

自分の朝食と服薬を手早く済ませ、恭子の朝食が運ばれてくる7時半過ぎから8時前に、私が朝食を恭子の口に運んでいると、私の昼食用のおにぎりを携えて両親がやって来る。朝食の介助をバトンタッチして、私は出勤。

午前中の診療。昼休みは、まず病院を覗いて恭子の顔を見てから、銀行に行ったり病院関係の雑務(主に恭子がしてくれていたこと)を処理して家に帰り、自分の下着と靴下を新しいものに取り換え、T シャツなんかの着替え、それに晩酌用の焼酎を小さめの水筒に準備して、また病院に戻り恭子と過ごす。

午後の診療。7時半ころ帰宅。母が準備してくれた夕食を掻き込む。これはのちにはお弁当にしてくれて、病院で晩酌をしながらゆっくり食べられるようになる。8時前に恭子の元へ。恭子に夕飯を食べさせた直後の父親とバトンタッチ。

音楽を聴きながら、風呂に湯を張ったり、雑用。9時ころ、恭子をおしっこに連れて行って、寝巻に着替えさせて、熱いタオルで顔を拭いてあげる。

トイレまでひとりではおぼつかないから、ベッド上で手を握って引き起こし、からだを90度回転させて横座りさせる。私が「いいから」と言っても、恭子は靴を履こうとする。そのときの雰囲気で履かせたり、素足のままだったり。恭子を後ろから抱きかかえるようにして、トイレまで行進。

「よいしょ! よいしょ!」二人三脚みたいだ。トイレのドアをスライドさせて、便座の前で恭子は必ずトイレットペーパーで便座を拭こうとする。「ママ、ここはお家だから拭かなくていいよ」と言い聞かせてパンツを膝までおろす。ストンと便座に座って、恭子はホッとして一息つく。おしっこが出ると満足そう。自分で下の始末をして、水を流し、パンツを上げて、出口付近の小さな手洗いで、手を洗おうとするのを私は制する。「恭子、お外の広いところで手を洗おうね」

トイレから出ると、正面に大きな鏡のある広い洗面台がある。その自動給水で丁寧に手を洗った恭子の手を、左側に掛けてあるタオルに誘導する。そうして、正面を向かせて鏡に映った2人を眺めながら「べーっ」と私が声を掛けると、恭子はあかんべーみたいに舌を出して、ちょっと困惑した風情で小首を傾げる。「にっ」と、私たちは満足して、また、「よいしょ! よいしょ!」。ベッドにゆっくり倒れ込むと、恭子は「あーっ」と、ホッとしたため息をついてご満悦。

恭子は何者なのだろう?

庭のチドリソウ

恭子が痛がったり苦しがったりしていない限り、私は恭子の入院生活を陰鬱なものにはしたくなかった。むしろ穏やかで温かなものにしたかった。

歯磨きをしてあげて、「パパもお風呂に入ってくるから、待っててね」
「はい。いってらっしゃい」
「すぐ傍にいて離れやしないよ。恭子と一緒のお部屋にいるんだよ」。チュッ!
「はい。わかりました」。徐々にろれつが回らなくなる恭子。

午後10時ころ就寝。私の分担する1日はこの繰り返し。ただし、やり方や形は両親と話しながら、恭子の状態やみんなの疲れ具合に合わせて、その時々で変更や工夫を重ねた。五里霧中の試行錯誤。

7月4日。たくさんお見舞いの方々が来てくださった。両親には本当に申し訳ないことをしているのだけれど、私が連絡をした方々だ。恭子が最期に会いたいのではないかと、最近恭子の口から出て、名前を知っている方々。お陰で母親は接客に大忙し。

さっちゃんは、勿論、高嶋先生ご夫妻をはじめ合唱団の仲間が三々五々見舞いに訪ねてくださる。

恭子が20代の頃からの親友、永井さんも見舞ってくれた。永井さんは心得ている。この病棟に入院する者が、徐々にどのようなものが必要になってくるのかを。手始めに、この日は私が元気を出すようにとパンの差し入れをしていただく。

携帯電話のカメラで一緒に写真を撮ろうとして、「私、わからない」と恭子がいうから、看護師さんに撮ってもらったらしい。それでも弄っているうちに、永井さんを恭子がパチリ! ピンボケのナイスショットが恭子の携帯に残された。そのとき、恭子がこう言ったと、のちに永井さんから聞くことになる。

「もう、開き直ったから、私、大丈夫よ」
「そう?」
「自分は寝ているだけでいいから。でも、周りが大変なのよ」
「うん」
「とくに両親がね……」
「うん……」

してみると、恭子は混乱して物事をまともには考えることすらできないような頭の中で、自分がどうすれば、両親が自分の死をより穏やかに受け入れることができるだろうかと、密かにこころを砕いていたのだ。混沌とした意識のうちで。ひとり、ひっそりと。奇跡的なことだ。

永井さんはベッドの横に置いてある椅子には腰かけないで、常に中腰で恭子の顔の高さにご自分の顔をもってきて、目線を合わせて、話しかけたり耳を傾けたりしてくれる。配慮の人だ。恭子はいつも、「私のお友だちの中で一番美人な人よ」と言っていたが、容姿のことばかりではない。この日、恭子は起き上がって永井さんを見送ったらしい。

それにしても、私には恭子の言葉が、にわかには信じられなかった。いつの間に、どのような葛藤や怒りや悲嘆を乗り越えて、「開き直ってしまった」というのだろうか。私にさえ、失望や苦しみや恨みや無念さのひと言の愚痴も泣き言も言いもしないで。ひとりですべてを飲み込んで、すべてを受け入れる気持ちになれる人間が世の中にいるのだろうか? 人間のなせるわざだろうか? 恭子という人間はいったいどこから来たのだろう? 何者なのだろう?

「お祝いをしないとね」

緩和ケア病棟で咲くアベリア

この日、初めての痙攣(けいれん)発作が認められたらしい。私は不在で、看護師がトイレに連れて行ったときに起こったために両親の目には触れなかったようだ。不幸中の幸いだ。抗痙攣薬の投与が始まる。胃薬、制吐剤、抗痙攣剤、甲状腺ホルモン剤、沢山の内服が必要。可哀想にと思うが致し方ない。薬が嫌いで、頭痛薬くらいしか飲まなかった恭子が、乳がんになって沢山の薬を飲まなくてはならなくなったのが不憫(ふびん)で仕方がない。

翌5日には、失礼も顧みず、私は川田先生ご夫妻のお見舞いをこちらからお願いする。私にとって、人生の大切な出会いとなった先生だから、ご夫妻で恭子が生きて、正気が残っているうちに、挨拶をさせてもらいたかったのだ。奥様からは、恭子に会いたくてたまらなかったけれど、ご本人からすれば、弱ってしまった自分を見て欲しくないという場合もあるだろうから遠慮していた、と心遣いのことばをもらった。

7月6日。病棟主催の「七夕祭り」で院長の中谷先生と看護師さんたち2、3人が仮装して各部屋を回ってくださる。恭子のところに院長先生たちが巡って来られたところに、半ドンの水曜だったため、私の歯科医院のスタッフ全員がちょうどお見舞いに居合わせて、ベッドの端に座っている恭子や両親、院長先生たちを取り巻いて賑やかな記念撮影になった。私は例によって銀行に行ったり雑用をしたりしていていない間だった。

7月7日。恭子のベッドには、長男から送られてくるふなっしーがどんどん増えていく。私は人の目など気にせず、折角の〝別荘の個室〟なのだから、恭子を取り囲むように並べ立てる。恭子はふなっしーに自分の眼鏡を掛けてみたり、私が携帯電話のカメラを向けるとおどけて両手でピースサインをしたりしている。明日の金曜は仕事が終わってから、長男が帰ってくる。恭子は心待ちにしている。

7月8日。恭子が待ちに待った報せが舞い込む。次男の就職が内定したのだ。これを知ることができるとできないとでは、恭子にとっては大きな違いだと思う。一区切り。一安心だ。2人の息子の就職が決まって、頑張ってくれるだろうということを知ると知らないでは、恭子にとっては雲泥の差がある。それを知るために命を長らえ、最後のしんどい治療を受けた甲斐があったといっても過言ではないかも知れない。

母が皆に「就職のお祝いはまだ早すぎるかね? まだ内定が出たばかりで実際に就職したわけではないんだから」というと、恭子が「ううん。帰ってきたら、みんな一緒になって、お疲れさんをしてあげないと」

「そうだね。お祝いをしようね」と私。

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