妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第28回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2022年4月
更新:2022年4月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

恭子は〝私にくっついている〟

22年前の恭子と子どもたち

目に見えるものと、見えないものはどっちが大切なのだろうか?

いやいや、それはちょっと正確さを欠いた問いかけだ。目に見えるものと、見えないもののどちらに、大切なものが属していることが多いか? あるいは、大切なものは目に見える場合と、見えない場合のどちらのことが多いか?

いのち、これは見えるといっていいときと、そうでもないときがある。こころ、目に見えない。優しさも、素直さも、およそ人のもつ性格的な美徳といわれるものは、相手が実感はしても、目には見えないことが多い。愛も見えない。恋も見えない。風も見えないといっていいことが多いし、時も見えない。やかましく鳴いていて、その季節に起こった、大切な事実の記憶を呼び起こすことのある寒蝉やカワズやコオロギや山鳩などの声も、目で見えていることは少ない。

いま、恭子も見えない――。

恭子はその在りようを変えただけで、今まで通り私と一緒にいてくれている。以前よりも近い距離にいるとさえいえるような感じで……。

「キリスト教では、肉体は滅びても魂は不滅だと考える」と、あるクリスチャンの友人が語ってくれた。そうかもしれないが、そういう感じ方は恭子に対する今の私の感触とは少し違うように思う。それは単なることばの綾の問題なのかも知れないが。ただ、恭子が私のなかでますますその存在感を大きくして〝私にくっついている〟ことは、紛れもない事実である。私のごく個人的な真実なのである。

恭子がいつか言っていたことがある。「私が死んだら、パパはそのうちに私のことは忘れてしまうよ」と。私は一生涯をかけて、その恭子のことばを否定し続けようと考えている。それには、工夫と努力が必要なこともなんとなく予感している。

恭子のさまざまな時代のさまざまな表情の写真を、日ごろから目につくようにしよう。撮りためたビデオを頻繁に見よう。なるべく毎日、恭子の声、私がこっそり合唱団の練習や2人の生活のやり取りを録音してきた恭子の肉声を聞こう。恭子がますます私のなかでその存在感を新たにして、大きな意味をなすように工夫に努めようと思う。私が死んで追いついて行くまで、恭子がしっかりと私の傍で在り続けてくれるように、祈ります。

ふとした瞬間に懐かしく思い出がよみがえってくる

八重咲きのデルフィニウム

2人の息子たちは、家を離れてそれぞれの場所で頑張ってくれているから、私と恭子の新しい関係性のなかで2人水入らずの生活をしている。さまざまなことを考え、さまざまな思い出がよみがえってくる。それは、日常のなにげないふとした瞬間に懐かしく立ち上ってくる。

朝、顔を洗っていると、恭子が本当に真剣に長い時間をかけて顔を洗っていたことを思い出す。あまりにも延々と水を顔に持っていくので、私がニヤニヤしながらその様子を眺めていると、恭子は恥ずかしがってか、嫌がってか、「あっちに行ってて」と言ったものだ。女性はみんなこんなに一生懸命顔を洗うんだろうか、と不思議でならなかった。

恭子は食べることが大好きで、好物もたくさんあったが、とりわけご飯が大好きだった。炊き立ての湯気の立ったご飯を、おひつに移すときの真剣で幸福そうな表情は忘れられない。何かお米を慈しむみたいにしていた。

1人になって、昼のお弁当は恭子の見よう見まねで、1合のご飯をおにぎりにする。炊き立てのご飯をゆっくりかき混ぜながら、塩をふって粗熱を取り、食品用ラップを広げた上に大きな海苔を敷いて、6割ほどのご飯を広げ、紫蘇昆布やオカカをのせて、その上に残りのご飯をかぶせて、ラップの四隅を折りたたむようにして、しっかり握っておにぎりにする。昼に食べてみると、恭子のとはどこか美味しさが違う。ある日、おにぎりのご飯が固すぎることに気がつく。お米を潰すほど握ってはいけないのだ、と。もっと優しくふんわりと握らないと。

そういえば、恭子がご飯をおひつに移すときに、本当に丁寧に優しく切るみたいにご飯を扱っていたことを思い出した。お米のひと粒ひと粒を傷つけないようにふんわりと扱うことに気を配って、緩めにおにぎりにしてみたら、その美味しいこと。未だに恭子に教わっているのだ。

恭子が風呂から上がってくるときの情景も懐かしく思い出す。まだ生乾きの髪、粗拭きしたからだを半分のぞかせて、風呂場の電気をさっと消して、傍にかけてあるバスタオルを真っ暗な浴室に引っ張り込んで体を拭いていた。そのほうがあったかいし、何より私にさえ明るい脱衣場で裸体を見せないようにする恥じらいをもった女性だったのだ。

緩和ケア病棟で過ごせたことは幸運だった

恭子が最期を素晴らしい緩和ケア病棟の部屋で過ごせたことは、恭子本人にとってばかりでなく、私たち家族にとっても大きな幸運だったとつくづく思う。至れり尽くせりで、看護師やスタッフや医者にしていただいた心のこもったケアは、ここで逝かせてもらえるのなら文句を言ってはいけないとまで思わされるものだった。恭子本人と家族や見舞い客まで、魂をもったひとりの人間として扱っていただいたことは、何物にも代えがたい恩恵であった。

私は、すべての医療がかくあるべきだなどとは思ってはいない。この病棟は「看取ること」に特化した特別の医療現場だから、患者が次々に押し寄せて戦場のように忙しく追い立てられている大病院のスタッフに同じようなゆとりやこころ配りを要求することはお門違いな要求だと思う。

医者や病院側としては、受診してくる患者を拒むことはできないだろう。そこに多くの問題を孕んでいると思う。大病院に患者が過度に集中しないような工夫は各所でなされているが、十分な効果は得られていないのが実情だろう。

恭子との闘病を通じて、大病院の医者が「この病院でなくても、どこどこの病院で同じ治療が受けられるから、そちらで治療されてはどうでしょうか」と、患者や家族に提言することがせめて許されるような仕組みがあってよいのではないかと感じた。そのためには、医者が患者や家族にしっかりと向き合えるような時間的な余裕やネットワーク作りが必要である。最低限、医療の質が担保されていなくてはならない。膝を突き合わせて、厳しい会話を交わし合って、しかも患者や家族のきちんとした理解や協力がなくてはできないことだ。その結果、納得がいけば患者は別の病院を選択しても構わないと思う。大病院の医者だって、ゆっくり、じっくりと患者に向き合いたいと思われているに違いないのだ。

患者が理屈に合わない身体に認められた不調や兆候を訴えたときに、医者は一笑に付して無視したり、腹を立てたりしないでいただきたい。医者の端くれの歯医者の私だってやってしまいがちなことだけれど、こといのちに係わる疾患を見つめておられる場合は、医者が「じゃあ、一度いらっしゃい」とか「もう一度、診てみましょうか」とか言ってくれるだけで、患者の運命が違ってくることだってあると思う。

更年期障害のホルモン療法を行う医師にお願いしたいことがある。患者がホルモン感受性の悪性腫瘍を抱えているかも知れないということを、キッチリと否定してから、治療に臨んでもらいたいと思う。患者の予後に重大な影響を及ぼすことがあり得るのではないかと思うからだ。

小さな旅行がやっとできた

サルビア

11月半ばの土曜日に、思い切って長男の住む街を訪ねた。電車や新幹線に平常心で乗れるだろうか、家を離れて恭子が寂しくないだろうか、と子どもじみた心配をしながら。コバルトブルーの眩しい卵くらいの大きさの焼き物の骨壺に、分骨した恭子の遺骨をカバンの底に忍ばせて出掛けた。

1年で最大の繁忙期を終えた長男は少し痩せていた。会社の同僚みんながこの時期には体重を減らすらしい。長男と一緒に夕飯にビールが入って、やっと肩の力が抜けた。長男は忙しい毎日のハードな仕事の話をしてくれた。食べっぷりが逞しい。かつて、大学受験や大学生活がなかなか自分の思うようにいかなくて、何をしていいかが見つからずひ弱に迷いあぐねていた同じ青年とは思えないほど、見違えるように生命力に溢れていた。恭子もさぞかし安心していることだろう。

翌日、電車に乗ったり降りたりして、2、3の寺で見事な紅葉を愛でながら長男といろいろな話をした。長男が先を歩いて、私はやっとの思いでついって行った。紅葉の美しさに心洗われ、長男とゆっくり過ごせることをありがたいと思いながら。

しかし、私の足取りもこころも重かった。恭子と必ず訪れた蕎麦屋での昼食も、食欲は湧かなかった。心底ものごとを楽しむことはまだまだできないのだと思い知らされた。お香や便箋などを扱っている私のお気に入りの店に立ち寄ろうかという長男の誘いを断って、私は早々と帰路につくことにした。

電車の改札口で私を見送る長男が、私を気遣って言った。「パパ、年末には帰るから、もうすぐだからね」

私は有難く思いながら、可笑しくてならなかった。苦しかった大学時代、長男のアパートに泊まりに行って、やはり私が帰るのを改札口で見送っていた長男の顔には心細さがにじみ出ていた。哀れにすら見えた。いまでは、長男が私を憐れんでくれて励ましてくれている。同じつらいなら、こっちのほうがいいに決まっている。逞しく力強くなった子どもに励まされるほうが、逆よりはずっとましだ。

帰りの新幹線のシートに身を沈ませながら、私はささやかな満足感を覚えていた。小さな旅行ができたことを子どものように喜んだのだ。やっとできた、と。

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