ようこそ!!がん哲学カフェへ 4

「がんになって夢がついえてしまった」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授
発行:2014年2月
更新:2014年7月

  

ステージⅡの乳がんが見つかって2 年。現在も術後のホルモン療法を続けています。

がんを患って最もつらかったのは、以前から抱いていた夢の実現が難しくなったこと。私は結婚するまで、ある病院で看護師として働いており、アフリカでボランティアとして働いている先輩看護師を見習って、自分も同じように、途上国で困っている人たちの役に立ちたいと願っていました。小学校低学年の子供が高校生になったら、海外医療ボランティアに参加しようと考え、そのためにコツコツと語学の勉強も続けてきたのです。

でも、自分ががんを患い、これからも治療を継続していかなければならないことを考えると、その夢を実現することは率直に言って困難でしょう。これまでは、その夢を糧に充実した毎日を送ってきました。でもその夢がついえた今は、心の中にポッカリと空洞が生じたようで、日々の暮らしを楽しむこともできません。幸い術後の経過は順調です。でも心は満たされません。自分はいったい何のために生まれてきたのか、自分に問いかけてしまうこともしばしばです。どうすれば、この心の空洞を埋めることができるのでしょうか。

(S・Yさん 女性 29歳)

「衣・食・住足りればそれでよし」

ひの おきお 1954年島根県生まれ。順天堂大医学部病理学教授、医学博士。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部部長を経て現職。2008年より「がん哲学外来」を開設し、全国に「がん哲学カフェ」を広めている。現在32カ所の「がん哲学カフェ」での対話をはじめ、全国で講演活動を行っている

がんになると、当然のこととして日々の生活、行動にも制約が生じます。

乳がんは一般的にはきわめて予後のいいがんと考えられています。しかし、それでも手術後、最短でも5年間は治療を継続する必要があるでしょう。その間は、やはり体に負担をかけることは避けるべきだし、手術の影響などで、体の機能が低下することも考えられる。そうしたことを考えると、S・Yさんが夢を諦めざるを得なくなるのも仕方のないことなのかもしれません。

もっとも、だからといってマイナス要因ばかりではありません。実はがんを患うことは、自分自身の人生をじっくりと見直す機会でもあるのです。そして、その結果、それまでとは異なる本当の自分の生き方を発見することもできるのです。

S・Yさんも、ここでもう一度、自らの人生を見つめ直してみてはどうでしょうか。

自分自身について考えるとき、程度の差はあれ、人は誰しも他の人たちの影響を受けているものです。

もう少しわかりやすくいうと、他の人たちが考えている自分と、自身が捉えている自己像の間には、必ずギャップが存在します。そして多くの人は、そのギャップを埋めるために、自らを変えていこうと試みます。つまり周囲の評価に自分を合わせようとするわけです。

もっともそうして、周囲の目に合わせて自分を作り上げることには、やはり無理がある。その結果、失望や挫折に辛酸を舐めることも少なくありません。S・Yさんの場合にも、ひょっとすると同じことが当てはまるかもしれません。海外で困っている人を助けたいという気持ちはとても尊いものです。でも、それが自分の内側から湧き起ってきた本当の自分の願いなのか。それとも他の人に影響を受けて思い描いた、自分には不似合いな未来を自分の夢だと思い込んでしまってはいないか。

夢がついえてしまったと嘆き、落ち込む前に、まず、そこのところをしっかりと見極わめていただきたいと思うのです。

無理をせず、見栄を張らない生き方

「隣の芝は青い」という言葉もあるように、人間は誰しも、他の人たちがやっていることは、格好よく見えるもの。そうして隣人と自分を比較して、自分をみすぼらしく感じ、自分自身を叱咤激励してレベルアップしようとする。

しかし、そうして見栄を張り続けても、いたずらに消耗するばかりで、いつまでたっても本当の自分を見つけることはできないでしょう。表面的な幸福ばかりを求めても、個々が豊かになることはないでしょう。逆に思わぬところで足元をすくわれ、不幸に見舞われることも少なくありません。そうならないためには、しっかりと自分の足元を見つめて生きる姿勢が求められるでしょう。

人間の本来の生き方とはもっとシンプルなものです。衣・食・住がたりればそれでよし、と考えればいいのです。欲を出すことなく、それ以外のことは、何でも他の人に譲ってあげればいい。

そうした無理のない生き方を続けるうちに、自分自身の方向性も浮かび上がり、そこに本物の歓びを見つけることもできるのです。

これは物質面のことだけでなく、精神面にもあてはまります。

私はよく、がん哲学外来に訪れた人たちに「愛は買って出るな」と話しています。例えば災害に遭遇し、悲惨な状況にある人を見ると、誰しも手を貸したいと思うものです。でも、その前にそれが心の底から湧き出た本物の感情なのか、それとも衝動的な情動なのか、きちんと見極める必要があるでしょう。短絡的な衝動で動いても、決していい結果は得られません。そのことは東北大震災の後に善意のボランティアとして、被災地を訪ねたものの、ただ右往左往するばかりだった人たちが、少なくなかったことでも証明されているでしょう。

それよりも大切なことは、日々の暮らしを通して交流している、自分の周囲の人たちをじっくりと観察することです。そうすれば、そこに自分を必要とする人がいることが自然に発見できるはずです。

前にお話ししたように、人間には誰しも、何かしらの役割が与えられています。そうして見つけた人を助け、支えることこそがその人の本来の役割です。幕末の偉人、勝海舟が言っているように、大きく目を開けば、大切なこと、大切な人は自然と見つかるものなのです。そしてその役割を全うすることが、人生の中でも最も大きな喜びにつながっていくのです。

同じことはS・Yさんにもあてはまります。まずはシンプルで自然な暮らしの中で、じっと周囲の人たちと交流し、その人たちをじっくり観察してください。そうすれば海外医療ボランティアの夢以上に歓びに満ちた、S・Yさん独自の生き方がきっと、見つかることでしょう。

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