ようこそ!!がん哲学カフェへ 13
「あいまいなことはあいまいに」❶

医師の告知にショックを受けた

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授
取材・文●常蔭純一
発行:2014年12月
更新:2015年3月

  

それまでずっと元気だった70代の父親が肺がんを患いました。精密検査を受けるとすでに脳や骨の一部にも転移があり、症状は末期と診断されました。

それはそれで仕方ないことでしょう。しかし、病状説明の席での担当医の対応にやりきれなさを禁じ得ませんでした。その医師は何も知らないでいる父親に末期の状態であること、余命も長くて半年と何のためらいもなく申し渡したのです。

その医師にすれば、きちんと病状を伝えることで、残された日々を自分らしく生きてもらいたいと考えられたのかもしれません。しかし、父親はそれほど気丈ではなく、それからすっかり落ち込んでしまい、半年を待たずして他界しました。

あのとき、担当医があんなにはっきりと現実を突きつけなければ、父親はもう少し長く、元気に生きられたように思われてなりません。私自身についても、父親と医師とのパイプ役をしっかり果たせなかったように思います。

その医師に「まず私に話を聞かせてください」となぜ言えなかったのか。そのことが今も悔やまれてなりません。

(T・Yさん、主婦45歳)

今、やるべきことを精一杯やる

ひの おきお 1954年島根県生まれ。順天堂大医学部病理学教授、医学博士。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部部長を経て現職。2008年より「がん哲学外来」を開設し、全国に「がん哲学カフェ」を広めている。現在32カ所の「がん哲学カフェ」での対話をはじめ、全国で講演活動を行っている

少し前に福島県在住の60代の女性がん患者さんが、私が主宰する「がん哲学カフェ」を訪ねてこられたことがありました。

その女性は自分ががんであることを忘れたかのように、「娘はもう帰ってこないのでしょうか」と他府県に避難した娘さんの話ばかりを繰り返します。娘さんは大震災の数カ月後、福島から他府県に移り住み、それからはずっと音信が途絶えた状態が続いているというのです。

もちろん、私に明確な答えが返せるわけもありません。ただ家を出て1年以上も経過しているのに何の連絡もないのなら、当分は娘さんが自宅に帰ってこないように思いました。でも、もちろん、そんなことは口には出しません。それで私は「娘さんのことは残念ですね。でも自分のやるべきことを精一杯やっていれば、必ず道は開けます」と慰めることしかできませんでした。でも、その女性はそんな私の頼りない対応に納得して帰って行かれたのです。

これは何を意味しているのでしょうか。
実は彼女は私に明快な回答を期待していたわけではありませんでした。あいまいな現実はあいまいなままでいい。ただ自分の置かれている境遇や不安な気持ちを誰かに共感してもらいたかったのです。

ご質問のケースに限らずあの大震災以来、あいまいなことはそのままでいい、とする考え方が広がっています。大震災とそれにともなう原発事故の後、放射能リスクなどについて、さまざまな議論が交わされました。しかし、正確なところはわからない。識者は確率をもとにリスクの程度を述べ立てますが、現実にそのリスクが降りかかってくるとは限らない。確率の高さと確実性とは必ずしも重なり合うわけではないのです。確率という言葉はいわば科学用語です。もっとも私たちの暮らしはすべてが科学で割り切れるわけではありません。いたずらに確率を持ち込んで、一喜一憂しても意味はないでしょう。

同じことはご質問にもあてはまるように思います。

現在のがん治療の現場では、ご家族の同席の有無は別にして、まず患者さんに状況を伝えるのが医療スタッフの責務となっています。これは患者さんを最優先する考え方に基づいています。そのことでわかるように担当医は医師の当然の仕事として、確率をもとに父上の状況を報告したわけです。しかし、その言葉が父上やT・Yさんには冷たく感じられた。それは結局、医師の言葉に科学的な根拠はあっても共感や思いやりが欠けていたということでしょう。

大切なのは今を生き切ること

これは現在のがん医療を考えるうえでもとても大切なことです。がんという病気には科学をもとにした治療と、心の側面でのサポートの両方が求められます。しかし、残念ながら後者のほうは遅れた状態が続いています。もっとも治療で手いっぱいの医師に心のサポートを求めるのも酷な話でしょう。

とはいえ、患者さんやご家族の状況を考えると、もう少し配慮があってもよかったようにも思います。
仕事に追われていても患者さんやご家族を気遣うことはできるはずです。その気遣いを具体的な形にしていれば、父上やT・Yさんの気持ちを和らげることもできたように思います。

たとえば相手がショックを受けるかもしれない話をするときには別に時間を設ける、自分自身も遺憾の意を表明するといった態度が必要でしょう。じっさい欧米ではこうした場合、必ず I am sorry(私も残念です)という言葉が使われます。

もっとも、こうしたことを実践するには、日ごろから患者さんについて考え続けている必要があるでしょう。あいまいな表現が苦手な医師には、とくに人間学ともいうべき素養が求められるのです。最近では医療現場でもそのことが自覚され始めており、つい最近も私のカフェを訪ねて「湧き水のようだ」とその救いの効果について感想を述べた医師がいました。

T・Yさんには冒頭で紹介した言葉を贈りたいと思います。過ぎたことにとらわれず、今やるべきことを精一杯やるべきでしょう。そうすれば必ず自らの人生に展望が開け、わだかまりは消え去っていくはずです。

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