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あるがままの自分を受け入れることができる力。
それがQOLの向上、疼痛の軽減をもたらす
音楽はがん患者の不安や恐れを癒やす!?

取材・文:常蔭純一
発行:2009年8月
更新:2019年7月

  

音楽療法は第2次世界大戦後、心に傷を負った兵士に対して行われたのが始まりといわれている。
米国ではすでにがん患者の心のケアにも取り入れられている。日本でもようやく導入されつつある。日常生活に溢れている音楽。
これががん患者にとって、どのような効果をもたらすのだろうか。

心の傷を癒やし、ありのままの自分を受け入れられる力となる
監修:新倉晶子 救世軍清瀬病院ホスピス緩和ケア病棟 音楽療法士

私の生きている意味は?

新倉晶子さん

救世軍清瀬病院ホスピス緩和ケア病棟 音楽療法士の新倉晶子さん

東京都清瀬市の救世軍清瀬病院ホスピス緩和ケア病棟に再発胃がん患者の女性、Aさんが入院してきたのは数年前のことだ。

自宅近辺の総合病院でAさんが病状説明を求めても説明はなく、個室での入院が続きうつ状態となった。そしてある日、突然担当医から「余命3カ月、治療の術がないので緩和ケアに」と告げられた。

Aさんは3人部屋を希望して入院した。幸いなことにAさんは同室となった他の患者さんと親しくなり、残された日々を和やかに過ごし始める。

しかし穏やかな日々は長くは続かなかった。数カ月後、Aさんが散歩で不在のときに、病状が悪化した他の患者さんが個室に転室していった。Aさんの不在時のその患者さんの転室は、病棟スタッフがその患者さんの病状悪化にAさんが必要以上の不安を抱くことを気遣ってのことだった。

数日後、親しくなったその患者さんは亡くなった。見送ることができなかったAさんは、そのことが心の痛みとなっていった。

そうしてAさんはその後も同室となった他の患者さん達やデイルームの音楽療法で知り合った患者さん達を何人も見送ることとなり、自問自答していった。

「私はなぜ生かされているのか」「私はこの人達に何も出来ないのか」「私の生きている意味は」と。

そんなAさんにとって、一筋の光明となったのが、沖縄の青い海や空の美しさを歌った「芭蕉布」という曲だった。

初めて同室した患者さんが他界した直後、音楽療法士が訪問した際に、Aさんはかつてその患者さんが自分のためにリクエストしてくれたこの曲を再びリクエストした。

音楽療法士がオートハープの穏やかな伴奏に合わせその曲を歌うと、寂しげなAさんの表情が和らぎ、「友人たちが通り過ぎていくのが見えました」と話してくれたという。

また、Aさんは病棟で知り合った他の患者さん達が亡くなる度に、その人たちが最後に聴いた曲を音楽療法士にリクエストし、考え深げに聴いていた。同時に芭蕉布も毎回の音楽療法でリクエストし、聴いていった。

そして、臨終を間近に控えたある日、再び音楽療法士が歌う「芭蕉布」を聴き終えると、Aさんは穏やかな笑みを浮かべ、「今、先に逝った皆と一緒にこの歌を聴いていました」と、嬉しそうに感想を話してくれた。その2日後、Aさんは静かに息を引きとった――。

自分自身を肯定する力

写真:グループセッションを行う新倉さんの役割
グループセッションを行う新倉さん

「仲間が自分のためにリクエストしてくれた曲を聴くことで、Aさんのなかにありのまま生きていればいいと、自らの生を肯定する気持ちが湧き上がったのではないでしょうか。そうして自分自身を認めることで、再び仲間とともにいると感じることができたように思います」

こう語るのは、このエピソードを紹介してくれた音楽療法士、新倉晶子さんである。新倉さんは1991年から3年間救世軍清瀬病院ホスピス緩和ケア病棟で看護助手をしていた経験をもとにチームの一員として、音楽療法士としてがん患者のセラピーを続けてきたこの分野のパイオニアというべき人だ。

現在も週に1日のペースで個人セッションとグループセッションを受け持っている。18年に及ぶキャリアのなかで、新倉さんは音楽を介して、様々な患者さんと時間を共有し、そのたびに新鮮な感動をいただいてきた。

日々の暮らしの中で私たちは当たり前のこととして音楽に接し続けている。しかし、実はそこにはとても大きな力が潜んでいるようでもある。そのことについて新倉さんはこう話す。

「音楽は、患者さんがリラックスし、家族をはじめとする周囲の人たちとの心の交流ができるようになる働きがあります。しかし、それ以上に重要なのは、患者さんが自分のあり方を発見でき、自分自身を受容できるようになる力でしょう。がん患者さんは程度の差はあれ、誰しも心に辛い気持ちを抱えています。音楽にはその心の傷を修復し、ありのままでいいと、自らを肯定できる力が潜んでいるのです」

それが結果的にQОL(生活の質)向上や疼痛の軽減につながることも少なくない、とも新倉さんはいう。

音楽のどこにそんな力が潜んでいるのだろうか――。

歴史の浅い近代音楽療法

医療の一環として、音楽が位置づけられた近代音楽療法の歴史はそう長くはない。第2次世界大戦後の米国でPTSD(心的外傷後ストレス障害)など、精神的な側面で戦争の後遺症に苦しむ帰還兵の治療に用いられたのが発端とされる。

その後、心の医療や高齢者介護の手法として、音楽療法が用いられる領域は拡大し、さらにがん患者をはじめとする緩和ケアにも音楽が導入されるようになってきたという。

しかし、日本では救世軍清瀬病院で初めてホスピス緩和ケア病棟に音楽療法が取り入れられた後も、それほど普及はしていない。現在一般的には治療というよりも高齢者施設などで、スタッフが行う介護の手法というイメージが強い。

実際、新倉さんによると、日本音楽療法学会で認定された音楽療法士は1000名を上回るが、それを専業とする人は、一握りに過ぎないという。その1つには、音楽による効果が客観的に評価されにくいことによる。

「音楽による効果は人によって違っており、主観として語られることが多いのです。音楽には私たち健常者が感じる歯痛や頭痛程度の痛みを抑える効果があるようです。またホスピス緩和ケア病棟の私での経験からいえば、病気で苦しんでいる人に対しても安らかな眠りを誘う入眠効果もあります。しかしそれをエビデンスとして実証することは困難そのものです」

と新倉さんも指摘する。

人によって反応、評価が異なる「あいまいさ」が音楽療法の普及を妨げているといっていいかも知れない。しかし、実はそうした「あいまいさ」こそが、音楽療法の効果の源泉に位置づけられると新倉さんはいう。

非言語のコミュニケーションツール

ホスピス緩和ケアの音楽療法といっても、まずは個人セッションとグループセッションに分かれ、具体的な手法となると、音楽療法士が演奏をするスタイルから、ともに歌うスタイル、さらには患者さんと音楽療法士が共同して音楽を創りあげる創作型のスタイルなど、それこそ千差万別だ。

「音楽療法は音楽療法士がいるだけ各々の治療理念があり、またそれをもとにしたそれぞれの手法があるといわれています」

いずれの場合も、音楽ならではの効果は変わらない。新倉さんは音楽の効用について語る。

「美しい音楽には、それ自体に人の心を打つ働きがあるし、ともに音楽を楽しむことで、家族や友人との信頼関係や連帯感を深めることもできます。

そしてもう1つ、音楽が非言語であいまいなコミュニケーションツールであることも見逃せません。

がん患者さんの場合でいうと、多くの人たちは死を意識し、言葉にならない不安、恐れを抱えています。音楽はそのあいまいさゆえに、患者さんの心の琴線にピタリと重なり合うことがあるのです。それが思いがけない感情の発散や表現につながることも少なくありません。もっとも逆に患者さんが触れられたくない部分に触れてしまう恐れもある。その意味で音楽は諸刃の剣といっていいでしょう」

患者とともに歌をつくる

新倉さんは音楽の「あいまいさ」という特性が生かされたケースを教えてくれた。

3人部屋で療養していた女性Bさんは病状の進行とともに目に見えて食欲が低下し始めていた。そこでホスピス緩和ケアチームのカンファレンスで話し合った内容をもとに新倉さんは音楽療法を進めた。

さりげない会話を続けながら新倉さんは「今、何が食べたいですか」と尋ねてみた。するとBさんからは「おにぎり」という答えが返ってきた。

そこで新倉さんはBさんと「おにぎりの歌」を創作し始める。

「おむすびころりん、おいしいな」―あれ、具は何がいいかな?「シャケがいい」―「おむすびころりん、シャケのおむすびおいしいな」……。

「でも、どうしておにぎりなの?」「だって自分で食べられるもの……」

そうしてBさんとの共同作業を続けながら、新倉さんは慎重に、そしてさりげなくBさんの気持ちを聴いていった。

「その患者さんは同室の患者さんの容態が悪くなっていく恐れとともに、自分のことが自分でできなくなっていくことに強い不安を感じていたようです。でも、それを言葉にすることができなかった。セラピーを通して、その患者さんはそうした漠然とした感情を表現することができたのです」

もちろんその結果は、チームにフィードバックされ、その後のケアに活かされていく。

このように音楽には、人間のスピリチュアルな痛みを音楽という形に表現することによって、心の不安や恐れを解き放つ力があるようだ。

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