祢津加奈子の新・先端医療の現場11
患者さんと会話しながら、脳機能を確かめつつ行う驚異の脳腫瘍手術
「情報誘導手術で腫瘍摘出範囲を安全に、正確に決定できるように
なりました」と話す
村垣善浩さん
脳腫瘍は、後遺症を残さず、腫瘍をできる限り摘出するのが目標。そこで、腫瘍の完全摘出を目指して東京女子医科大学では、脳神経外科と先端生命医科学研究所が手を組み、「情報誘導手術」を開発した。同科教授の村垣善浩さんによると「腫瘍の90パーセント以上を摘出できるようになり、生存期間が延長している」という。
インテリジェント手術室とは?
東京女子医科大学で、この日手術を受けるのは50代の男性。脳の左側にゴルフボール大の神経膠腫が見つかり、5年ほど前に摘出手術を受けた。しかし、腫瘍が脳の言語野に近かったため、完全に取りきることはできなかった。腫瘍はグレード2で、まだ悪性度は低かったが、経過観察中に増大。この日、手術を受けることになった。
手術室に入ると、通常の手術室とはかなり様子が違う。室内にMRI(*)が設置され、大型のモニター画面、天井や部屋のあちこちに20台ものカメラが設置されている。
実は、ここが村垣さんたちが開発した「情報誘導手術」を行うインテリジェント手術室なのだ。
これからモニター画面には、MRIの画像や手術を行っている部位を示すナビゲーション、患者さんの身体状況や表情、顕微鏡で見た手術部位の様子など、手術に必要な情報がまとめて映し出される。
患者さんは、全身麻酔で頭皮を切開し、頭蓋骨をはずして脳の表面を覆う硬膜を開いている。開頭手術が終わると、最初に術中MRIを撮影する。村垣さんによると「開頭すると、平均して1センチ弱ぐらい脳が沈んで位置がずれる」のだそうだ。
手術台が患者さんを乗せたままMRIの中に移動。この画像が、手術中のナビゲーションの元図にもなる。
*MRI=核磁気共鳴画像法
会話をしながら、腫瘍を摘出
術中MRIが終了すると、局所麻酔を効かせて患者さんの意識を覚醒させていく。今日の手術は「覚醒下手術」、患者さんと会話をすることで脳の機能を確認しながら手術を行う。
執刀医は、脳外科講師の丸山隆志さんだ。針のような端子で脳に電気的な刺激を与え、「脳の機能地図」を作っていく。一般的な脳の機能地図はあるが、個人差もあり、腫瘍によって位置がずれていることもあるからだ。手足を動かして運動野などを確認後、言語野の確認に入る。数字を数えるカウンティング、絵を見て名前をいう視覚性呼称、主語をみて連想した文章を作る想起テストが中心だ。
「絵が出たら、パッと答えてくださいね」という丸山さんの指示に従い、こいのぼり、サクランボ、自転車、ダルマ……次々に患者さんが答えていく。人によっては覚醒しにくかったり、騒いだりすることもあるが、今日の患者さんは順調だ。
ある位置を刺激すると、グッと言葉が詰まった。「言葉が出にくい、しゃべりにくい」と患者さんが言う。数字を数えるカウンティングでもひっかかった部位だ。このあたりに、言語を司る領域があるらしい。
約1時間半が経過した。脳のおよその位置確認が終わると、丸山さんが「お話しながら、手術をしていきましょうね」と声をかける。住まいや仕事、趣味の話をかわしながら、少しずつ腫瘍を焼き切っていく。モニターには、腫瘍の部位とバイポーラ(*)と呼ばれる手術器具の先端の位置が示されている。
「順調ですよ、全摘を目指しますからね」
微妙な部位では、想起テストや絵を見せて患者さんの反応を確かめながら、慎重に腫瘍の切除を進めていく。そのとき、突然滑らかだった会話が途切れた。「わかる? この絵」、「わかるけど言葉が出ない」と患者さん。「ここだ、間違いない」
丸山さんは、はっきりと言語野の位置を確認したようだ。1時間後「1番いい形で、腫瘍を取れましたよ」と報告した。
確認のために、2回目の術中MRIを撮影。「ギリギリのところまで切除しましたが、最後、もう1度確認して完全に腫瘍を切除するため」だそうだ。切除した組織は、術中迅速病理診断に出された。
両方の結果をみて、再び丸山さんがバイポーラを手にしたのは、午後4時ごろ。15分ほどで、最後の切除は終わった。
「腫瘍の奥に言語が止まる領域があったのですが、今日はギリギリまで切除できました」と丸山さん。
腫瘍の切除度は90パーセント以上。ほとんど取りきれたといっていい状態だそうだ。
*バイポーラ=高周波電気手術器