祢津加奈子の新・先端医療の現場5
手術痕を残さず、後遺症も防ぐ甲状腺がんの内視鏡補助下手術
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原 尚人さん
若い女性にも多い甲状腺がん。その治療では、首に大きな手術痕が残る。また首の筋肉の萎縮など、さまざまな後遺症に悩まされる。筑波大学外科学(乳腺甲状腺内分泌)教授の原尚人さんは、こうした後遺症を防ごうと、内視鏡を利用して、ほとんど傷痕を残さない最小限の切開で行う手術法を編み出した。
全摘でも傷口は3センチ
この日、甲状腺全摘手術を受けるのは30代前半の女性。
甲状腺の右側(右葉)には1.1センチのがん、左側(左葉)には良性腫瘍(甲状腺腫)がある。良性腫瘍ががんになる心配はほとんどないが、その患者さんは考えた末に全摘を希望した(病理組織の結果ではがんが左葉にまで飛び火していたため全摘で正解であった)。
患者さんは、すでに全身麻酔をして手術台の上で横になっていた。原さんが触診と超音波でがんの部位を確認し、首の3カ所にマジックで印を付ける。切開の位置の目安にするためだ。
午後2時40分。「甲状腺全摘、右側リンパ節の郭清を行います」。原さんの穏やかな声と同時に手術が始まった。
局所麻酔薬を皮下注射してから、首の中央に横にメスを入れた。今日は全摘なので少し大きめに3センチほど切開した。この切開に、原さん考案のシリコン製リングをはめこむ。この穴から鉗子や電気メス、内視鏡を入れて手術をする。
まず、皮膚の下にある首の筋肉を傷つけないように左右に分けて進んでいく。その間から見えてきたのが甲状腺だ。奥には、脳に血液を供給する太い総頸動脈みゃく、近くには声帯を支配する反回神経がある。この神経を傷つけると声がかすれたり、飲み込みがうまくできなくなる。
内視鏡を挿入して神経や血管の位置を確認しながら、電気メスとクリップで止血。甲状腺を少しずつ組織からはがしていく。時々、ガーゼで血液を拭うが、出血はほとんどない。
落ち着いた手技で的確に手術は進み、1時間後には甲状腺の右側部分が切除、摘出された。ついで左側部分を切除した。「残したいな」と、原さんがつぶやきながら、摘出した組織の一部を病理検査に出した。副甲状腺が切除されていないか、鑑別を依頼したのだ。
すぐに、右側のリンパ節郭清に入る。気管周囲のリンパ節を郭清し、さらに内視鏡で確認しながら総頸動脈と内頸静脈を剥離。迷走神経をそっとわきに寄せて、奥にある側方リンパ節を含む脂肪の固まりを剥離しながら引っ張りだす。これを切除してリンパ節郭清は終了。内部を丁寧に洗浄したあと、分け入った筋肉を縫合して、3時間強で手術は終了した。病理検査に出した組織は、リンパ節だった。
この時点で、首の切開した痕はもうかすかにしかわからないほどきれいに縫合されていた。
若い女性に多い甲状腺がん
原さんはこの手術では、内部を見るための補助として、内視鏡を使っている。
というのも、最小限の損傷で甲状腺がんを治したいと手術法を工夫してきた、その先に内視鏡カメラがあったからだ。
甲状腺は、気管の前にある蝶の羽を広げたような臓器だ。20グラム足らずの小さな臓器だが、甲状腺ホルモンの分泌という大事な働きをしている。腫瘍ができるのは、良性、悪性ともに女性が圧倒的に多い。しかも、甲状腺がんは若い女性に多いのが特徴だ。
「若い人のがんは、進行が早くて怖いと思われがちですが、甲状腺がんは若い人ほど大人しくて進行の遅いがんが多いのです」と原さんは語る。
甲状腺がんの8~9割は乳頭がんといって進行が遅くタチが良い。乳頭がんは、30代をピークに10代、20代にも珍しくないのだという。逆に、高齢になると未分化がんというタチの悪い甲状腺がんが増えてくるそうだ。
乳頭がんならば、早期に治療すればほとんど治る。ところが、これまでの手術では首の前方から甲状腺を切除するため、首の横に15センチぐらいの傷痕が残る。スカーフやネックレスで傷痕を隠したり、着るものも制限されるなど、若い女性にはそれだけで苦痛になる。
傷痕だけではなく、甲状腺を摘出するために、甲状腺の前にある首の筋肉群(胸骨甲状筋と胸骨舌骨筋)を切断する。縫合しても神経が切断されているのでやがて筋肉が固く縮んで萎縮し、へこむこともあるそうだ。さらに、首の横にある太い胸鎖乳突筋も同じ神経や血管の支配を受けているため、固くなってひどい肩凝りに悩まされることも少なくない。
治りやすいがんではあるが、術後の後遺症も少なくなかったのである。