体験者の声で見えてきた在宅ホスピスの光と影
「わが家で最期」を選んだそれぞれの形
〈人生最後のときは、家で過ごしたい〉
いつしか漠然と、私はそう考えるようになった。
それは、今時珍しく「自宅出産」を選択したことがきっかけだった。
自分の日常に囲まれて、家族とともに「そのとき」を迎えることができた。病院の時間的な事情に合わせるのではなく、あくまで「私」のペースですべてが進んでいく。助産師はお産で何が起きるのか、前もって詳しく説明してくれる。また、何が起きても対処できる体制を整えてくれたから、安心してお産に臨むことができた。
病院でのお産の経験はないが、いくら快適な病院であっても、そこでの自分は“お客さん”で、「わが家」という場所には及ばないような気がする。
「わが家での最後のとき」を実現している在宅ホスピスの実際のところが知りたい。どうよくて、どう大変なのか。
在宅ホスピスケアを行っている医師、関本雅子さん(神戸市)の往診に同行した。
長い命より楽な生活がしたい
~寛太さんの場合~
寛太さん(仮名・72歳、神戸市在住)は、入り口がオートロック式のマンションに、妻の洋子さん(仮名)と2人で暮らしている。居間の壁には、夫婦でヨーロッパ各地を旅したときの写真がずらりと飾られている。
寛太さんは、かつて外国航路の船長だった。襟がピンとした白いシャツと黒いサスペンダー姿にその雰囲気が漂う。
関本さんが座るソファーの隣で、寛太さんは座り慣れた自分のイスに背をもたせかけて足を組み、くつろいだ表情をしている。
寛太さんは約2カ月前、「病院」から「家」に戻ってきた。病院では個室だったが、患者のうなり声や話し声などが耳につき、気が休まらなかった。帰宅して、ほっと安心感を得た、という。
「『家』は選んだ道ですよ。長い生存よりも、楽な生活がしたいと」
今春、胃がんが発見された。がんは胃と食道、肝臓に4カ所あった。胃や食道を摘出する大手術を勧められたものの、寛太さんは断った。肉親をがんで亡くした経験があり、術後の大変さを知っていたからだ。
「手術は止めた」
そう聞いて、妻の洋子さんや娘の香織さん(仮名)は慌てた。寛太さんの意思を尊重することに迷いはなかったものの、いざというとき、家族だけでは困る。寛太さんに内緒でホスピスを探すことにした。
香織さんの仕事が休みの土日に2人は1軒1軒、たずね歩いた。その結果、予約を受けつけてくれるるホスピスが見つかり、そこで関本さんを紹介してくれたのだ。妻と娘は、この段階で寛太さんに話をして、了解を得た。退院の日に介護用ベッドが届く手はずが整った。ホームヘルパーの派遣も決まった。そこまでの段取りができて、やっと洋子さんは安堵した、という。
「私も不安で不安で……。準備が仕上がったと思ったとき、初めて、安心して帰ってきてもらえました」
当初、寛太さんはパジャマ姿で過ごしていたが、ひと月もすると洋服で過ごすようになった。体調に合わせて散歩を楽しむ。食欲も出てきた。最近、淡路島へ日帰り旅行をした際、ハモ料理などを食べ、ビールを飲んだ。洋子さんは驚いた。病院ではほとんど食べようとしなかったからだ。日増しに寛太さんの体調がよくなっているようにさえ思える、という。
寛太さんにとって、わが家は楽で心地いい。ただ、洋子さんがいつも細かく気を遣ってくれているのを感じている。
「『ふつうに生活してくれ』と妻に何回も言うけど、私のことを心配して、なかなか外出しないですね」
寛太さんは船乗りとして、43年間、半分以上を海で暮らしてきた。妻に育児も家のこともすべて任せて好き勝手に生きてきた、という思いがある。今になって家にいたいという自分の気持ちだけで、最後まで妻に負担をかけることはできない、と言う。
「だから最後はホスピスでと思っています。私が苦しんだら、たぶん妻も一緒になって苦しむでしょう。自分の苦しむ姿を見せたくない。ホスピスなら家族がその場にいなくてもいい。死に際ぐらい、妻に心配かけずに逝きたいから」
一方、洋子さんは内心、いつ寛太さんの病状が悪くなるかとおびえながら暮らしている。時々疲れを感じ、自分が中心になっての看取りには自信がない、という。寛太さんの「最後はホスピス」という選択は、妻の気持ちまで考慮してのことなのだろう。
夫婦とは言え、当然相手への思いやりを抜きに最期のときは考えられない。それまでの人生やお互いの関係によって、選択は違ってくる。単純な話ではないのだ。
人間同士の付き合いに感動
~真弓さんの場合~
真弓さんを訪問看護する看護師の堀加代子さん。
2人の間には確かな絆が生まれている
真弓さん(仮名・56歳、神戸市在住)は、インターネットで関本さんを知り、約半年前、他府県から関本さんの往診エリアに引っ越してきた。28歳の次女・さやかさん(仮名)とマンションで2人暮らしだ。
日当たりのいい部屋に、介護用ベッドが置かれている。真弓さんは身体を起こして迎えてくれた。
真弓さんは2年間、自宅と田舎を行き来して父親の介護をし、看取った。今から約3年半前、疲れがピークに達した四十九日の法要の翌日、友人に「その顔色はおかしいよ」と言われて受診し、多発性骨髄腫とわかる。即、田舎の病院で治療が始まった。
大部屋では、人目を気にして泣けなかった。抵抗力が弱っているから、他の患者の見舞いで小さな子どもが病室に来るのが怖かった。勇気を振り絞って、主治医に言った。
「私、ここの病院では守られていません。プライバシーを保証してください。病室には子どもを入れないようにしてください」
「田舎ではそういうことはできないよ。あなただけが患者ではないし」
医師の言葉に「病院」の限界を感じた。治療にも、もはや期待できなかった。真弓さんの頭に、ホスピスケアのことが浮かぶ。昔から、在宅ホスピスに興味を持っていた。危険な治療に賭けるよりも、「生活」を中心にした時間を過ごすほうがいいかもしれない。田舎にいて、年老いた母の足手まといになってはいけない、という思いもあった。
真弓さんは初めての往診で関本さんが言った言葉が忘れられない。
【人間同士で付き合っていきましょうね】
「在宅って、医師とこういう向き合い方ができるんだと、感動でしたよ。私を丸ごと引き受け、私だけのために週2回通ってくださる。それはすごくうれしいことですよ」
「病院」では安静を求められる状態でも、「家」では自分の選択で動ける。真弓さんの趣味は料理だ。この日はフルーツゼリーを作り、ふるまってくれた。
「どこで終わりかわからないけど、今、いい人間関係でいられるんだから、このまま自分の住み慣れた場所で過ごせたらうれしいなあ……と思っています」
最近、痛みが出た。「何のんだらいい?」と関本クリニックに電話で弱々しくたずねていた、という。
「人間って、苦しみや痛みに圧倒されると、病院での『先生にお任せ』という心境になるんだなぁと思いますね……」
娘のさやかさんは、一見、繊細な少女のような人だ。だが、口から出たのは、力強い言葉だった。
「病院という場所では、精神的に落ち込でいる患者さんが周囲に多くて、付き添っている家族も消耗することがあります。ですから、家に帰って、私もほっとしました。親子って、ずっと一緒にいると喧嘩になることも、お互いを責めることもあります。私が看なくてはいけない、というしんどさもあります。でもそれがいずれ私の力になるかと思っています」
ちょっと驚いた。まだ20歳代なのに、しっかりしている。仕事を辞め、街から離れた場所で母を1人で看る。世間から見放されたような孤立感に襲われることもあったろう。が、さやかさんはそんな葛藤を超えた“たくましさ”を身につけたようだ。
私は娘の立場で同じことができるだろうか。あるいは自分の娘に同じことをさせられるだろうか。
選択肢はたくさん持っておくほうがいい
~関本雅子さんのお話 関本クリニック医師~
せきもと まさこ
1974年神戸大学医学部卒業。同大学付属病院、神戸労災病院、高槻病院などの麻酔科を経て、六甲病院緩和ケア病棟(ホスピス)医長に。7 年後の2001年、開業。
関本クリニックのホームページ
がんのターミナルケアというと、割合と穏やかにだんだん血圧が下がって……というイメージをご本人もご家族も持っておられますが、出血が起こることもあります。出血があったり、呼吸状態がすごく不安定になったりしても、穏やかな表情をされているときは、患者さんはきっと間違いなくラクな状態です。ホスピスで1000人ほどの患者さんを診ましたが、意識レベルが下がっている方でも痛い部分の処置をすると、くっと顔をゆがめられるんです。だから、穏やかな表情をされていたら、まず大丈夫。ご本人が辛そうな表情をされている場合は、鎮静剤を使われると楽になりますよ、と事前にお話しします。
開業して4年間で約290人の方を診て、そのうち半分が「家」で、残りは7対3で「ホスピス」、「元の病院」で亡くなりました。予想外の事態に備えて、入れる施設を決めておいてもらいます。ホスピスが嫌な方は「元の病院」を選ばれます。ターミナルをとってくれない病院から「家」に戻って来られた方は、知り合いの医師に頼んで、入れる病院を確保しておきます。
ご本人が、“思っていたより「家」では辛い”と思われたとき、施設にスムーズに移動できるようにお世話するのも、在宅医の役割だと思っています。たとえば、排泄を家族に世話してもらうのが辛い、と亡くなる1週間前ぐらいに施設に移られる方がいます。いちばん多いのは「介護の限界」。そこには、介護者が高齢の場合や、ご本人が65歳未満で介護保険が利用できなかったり、がん保険の利用が限られていたりする経済的問題も含まれます。その他、中心静脈栄養法や透析を望まれる場合の「治療目的」、「独居」、「意識レベルの低下」と続きます。
選択肢はたくさん持っていてもらって、患者さんご本人が選ばれる、というのがいいと思います。ただし、そこはそれぞれの医師の考え方で違ってきます。