ホームホスピス宮崎 「宮崎全体を他人に思いやれるホスピスに」を目指して

取材・文:守田直樹
発行:2007年1月
更新:2013年9月

  

母性的な愛に包まれた、家にかぎりなく近い「かあさんの家」で患者を癒す

我が家で過ごしたい、介護されたい、と思っても、1人暮らしだったり介護者が多忙だったり、いなかったりすると、それは実現できない。
宮崎の地でこの問題を解消しようと試行錯誤して編み出したのが、家にかぎりなく近いもうひとつの家「かあさんの家」だった。
残された家族に悔いを残さない医療の実現を目指したものでもあった。

「宮崎をホスピスに」と願って

写真:理事長の市原美穂さんと、副理事長の吉村照代さん

理事長の市原美穂さん(左)と、副理事長の吉村照代さん(右)。吉村さんが運営する小規模多機能ホーム「よかよか」とも連携する

宮崎県の市民団体「ホームホスピス宮崎(HHM)」は、2007年で誕生8年を迎えた。キャッチフレーズは「宮崎にホスピスを」ではなく、「宮崎をホスピスに」。その理由について、理事長の市原美穂さんはこう語る。

「日本でのホスピスは主に病棟から発展してきたので、ホスピス=施設と思っている人が多いんです。でも、ホスピスは考え方で、人と人とをつなぐ文化や町づくり。宮崎という街すべてを他者に対して思いやれるホスピスにしたいと思ったんです」

1998年、まずは学ぶことからと数人で勉強会をはじめた。2000年にはNPO(特定非営利活動)法人の認証を受け、在宅患者と家族への支援、03年には「聞き書きボランティア」、がんなどの闘病記を病院に出前する「患者らいぶらり」も開始。だが、これも本を貸すだけが目的ではない。

「患者さんたちは、医療者には言えない不安や、家族間の悩みなどを抱えています。本の貸し借りを通じて、そうした心情をボランティアへ吐露されるきっかけになるんです」

こうした実践を通じて、たどり着いたのが「かあさんの家」だ。

「家がいいなあと思いつつも、介護者がいない1人暮らしで帰れない人などがいます。いまは家か施設かの選択肢しかありませんが、自宅ではないけれども、家にかぎりなく近い『もうひとつの家』をつくりたかったんです」

デンマークのケアを学んだ「かあさんの家」

写真:かあさんの家

専門のヘルパーを派遣して24時間、365日体制でケアを提供する「かあさんの家」

最初の「かあさんの家」は、04年にオープンした。宮崎駅から1キロほどの住宅街の一角にあり、外観はどこから見ても普通の1軒家。それもそのはず、家財道具ごと家主から借り上げたものだからだ。

「福祉先進国のデンマークでは、1人暮らしができなくなった方の家を国が借り上げ、そこへ介護が必要な数人も入居してケアしてもらうシステムがあるそうです。『かあさんの家』も同じで、初期投資はほとんどかかっていません」

家の持ち主は、91歳のUさん。認知症(痴呆症)で施設入所し、空き家となっていたのを「HHM」が借り、Uさんが自宅に戻るかたちで最初の入居者となった。

24時間ケアの中心的役割を果たしたのが、デンマークで介護を学んだ経験をもつ永山いつみさん。永山さんは、日本の「グループホーム」に夢を抱いて仕事に就くものの、「小さな施設」だったことに失望。デンマークに渡った。永住を決意し、その前に一時帰国していた永山さんを、市原さんらが「ヘッドハンティング」した。 「ヘッドハンティングといっても、高いお給料を払ったわけではないですよ。家賃もタダだよ、ご飯も食べていいよってだけで、10万円のお給料で24時間住み込みで、4カ月間働いてくれたんです」

Uさんは、夜どおし人を呼ぶために施設では厄介者扱いされていた。永山さんは夜間もずっと寄り添うケアを実践。不安が解消されたためだろう、歩くこともできなくなっていたUさんが、温泉や映画鑑賞に行けるまでになったという。

「彼女が4カ月間住み込みで支えてくれ、あとに続くスタッフも育ててくれました。彼女自身も、それまで自分が学んできたことが間違いじゃなかったと確信し、デンマークへ旅立って行きました」

家族のケアも大切な役割

写真:ホームホスピス宮崎の事務所

約20の市民団体が入っている「みやざきNPOハウス」の1室に事務所をおくホームホスピス宮崎

最初の「かあさんの家」開設の5カ月後、2軒目もスタート。いまも部屋数の関係で、2軒で9人のケアを行っている。

最初はがん患者を想定していたが、糖尿病や認知症とがんを併発した方や、ご夫婦で入居されている方もいる。

「閉塞感のある今の社会に必要なのは、甘えていいよ、依存していいよという母性的な愛。『迷惑かけるけどお願いね』と、頼ることが許される社会になって欲しいという願いを込めて『かあさんの家』と名づけました」

Yさんの看取りでは、主な介護者の娘さんにもサポートが必要だった。母1人子1人で、娘さんは過去10年間の介護を1人で背負ってきた。残された時間が限られてきても、母が死ぬなど絶対に受け入れられない、とがむしゃらに看病していた。

「自分ががんばらなきゃと肉体的にも、精神的にもいっぱいに追い詰められた状態だったんでしょう。最初のうちは他人に世話をゆだねたという後ろめたさなのか、怒りの矛先が全部スタッフに向かいました」

娘さんは、いつもケアを監視するかのように心を閉ざしていたが、スタッフの「ホットケーキを焼いたけど食べない?」といった声かけに、少しずつ心がほぐれ、表情も穏やかに変わっていく。次第に信頼感も生まれ、看取りの後にはこう感謝の言葉を述べたという。

「この2カ月間は母がくれた時間だと思います。みなさんの助けもあって、母を見送ることができました。ありがとうございました」

寄り添う家族の気持ちが不安定だと、それが本人にも伝播すると市原さんはいう。

「残された家族に悔いを残す医療は、私は失敗の医療だと思います。そうならないようサポートするのが『かあさんの家』の役目でもある。お子さんやお孫さんがしっかり看取ることで、命というものが伝わり、つながっていくのです」

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