鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

神が私を見捨てないから 難治性乳がんにもへこたれない ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美) × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年2月
更新:2018年9月

  

鎌田實がその歌声に心を揺さぶられたゴスペルシンガーの 波乱万丈の人生と難治乳がんとの壮絶な闘い

北海道を拠点にゴスペルを歌いながら全国を回っているKiKiさんは、10年前に難治性乳がんを発症した。その後、2度再発したが、いずれも温存手術で乗り切っている。ゴスペルシンガー・KiKiさんを支えているのは、神に対する敬虔な信頼である。

両親の愛に包まれて育った少女時代は父の事業の失敗で暗転、波瀾万丈の青春時代を経験した末にゴスペルに出会い、今は乳がんと闘いながら、全国各地のコンサートで多くの聴衆に福音をもたらしているKiKiさんに、鎌田實医師も感動のインタビューとなった。

KiKiさん「私を見捨てない神がいるということが、私の何よりの支えになっています」

きき
1968年生まれ。北海道出身。幼少時からピアノ、琴・三味線を習う。札幌でミュージックバーを経営後、27歳で渡米し、ゴスペルと出会う。帰国後、シンガーとしての活動を広げる。2003年に乳がんを発症、2008年、2012年に再発。最近は大勢の仲間と聖歌隊を結成し、全国各地でゴスペルを歌うコンサート活動を行っている
鎌田 實さん「歌っているときにセロトニンという幸せホルモンが出ているんですよ」

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

父の事業が失敗して 17歳からススキノへ

鎌田 コンサートのDVD、観ましたよ。すごいですねぇ。

KiKi ありがとうございます。

鎌田 最初、こんどの対談相手がKiKiさんだと言われても、誰だかわからなかった。樹木希林さんかなと思った(笑)。

KiKi 私のことは知らない方が多いと思います。今、北海道を中心に全国をコンサートで回っています。

鎌田 とてもいい曲が多くて、心を揺さぶられますね。私はわがままだから、「対談相手としてこの人はどうか」と言われても、イヤな人はイヤだと断るんですが、DVDを観て会いたくなりました(笑)。

KiKi 光栄です。

鎌田 それにしても、KiKiさんの人生は波瀾万丈ですね。北海道生まれ、お父さんは何をなさっていたんですか。

KiKi 土木業です。小さい頃はいろんな意味で恵まれていたと思います。

鎌田 しかし、お父さんは事業に失敗された。

KiKi 中学生の頃、家族がばらばらになってしまいました。両親が離婚して、母が家を出て行き、そのあと父もいなくなってしまいました。兄は不良の道に入り、まだ社会に適応できない年齢だった私は、どうしていいのかわからなかったですね。

鎌田 大変だったでしょうね。そして、18歳のときにはもうススキノのお店に出た。

KiKi 正直に言えば、17歳からです(笑)。最初はスーパーのアイスクリーム屋さんなど、ファストフードの店でアルバイトをしたんですが、それでは食べていけないんです。それで夜の世界に飛び込みました。

鎌田 そこで売れっ子になった。

KiKi 母が学校の音楽の先生だったので、小さい頃から家にピアノがあったんです。私が幼い頃から、母は目覚ましがわりにピアノを弾いて、絶対音感が身につくように育ててくれました。琴・三味線も習わせてもらい、免状も取っていました。ですから、小さい頃から歌が好きで、人前で歌っては褒められていたんです。それでお店でもカラオケで歌ったり、ピアノの弾き語りなどをやったりしたんですが、お客さんが驚くわけです。お酒の相手をしている若い女の子が、いきなりピアノの弾き語りをやるわけですから(笑)。

鎌田さんが毎年イラクの小児がんの子どもたちやシリア、福島の子どもたちのためにボランティアで行っている
「チョコ募金」のチョコレートを手に話が弾む2人

ビルオーナーと直談判 札幌市内に店を持つ

鎌田 それはお母さんの教育のおかげだね。そして21歳でお店を持ったということですが、歌が上手くて、ピアノの弾き語りができるだけでは、自分のお店は持てません。人を使って経営し、お金の管理もするわけですから、マネージメント能力がないとダメです。ただ者ではない。

KiKi いえ、最初はお金がなかったものですから、飛び込みでビルのオーナーを訪ね、借金を直談判しました。まだできたばかりのビルで、1階がコンビニで、2階がまだコンクリート打ちっぱなしの何もない部屋でした。ここでこういうお店をやりたいんだと、自分で描いた絵を持って行ったんです(笑)。

鎌田 その絵にはどういう思いを込めたんですか。

KiKi 私は小さい頃から、事業をやっている親を見て育ちました。たくさんの従業員がいて、土木の仕事が終わると、みんなが私の家に来て、母が用意したご飯を一緒に食べ、交流する姿を見ていたんです。そこで子供心に人と接することの大切さ、楽しさを覚えたんでしょうね。ですから、そういう雰囲気のお店にしたいと思っていました。

鎌田 私は世界各国を回り、社会の片隅で生きる人たちと接してきましたが、小さい頃に芯のある生活をしたかどうかで、セルフコントロールができる人間になれるかどうかが決まるような印象を持っています。そういう人でないと、マネージメント能力はなかなか育たない。KiKiさんは子どもの頃に音楽を教えられるなど、大切に育てられたからこそ、ひとりになってもセルフコントロールができ、音楽により自分の道を切り拓くことができたんだ。

KiKi たしかに子どもの頃は愛をいっぱい受けたんだと思います。ですから、突然、両親が目の前からいなくなったときには、動揺もしましたし、くじけもしました。しかし、大きく道を外すことはなかったと思います。お店の仕事でがんばると決めたら、自分のお店をきちんと持って、お客さまを大事にする仕事をしていこうという気持ちでしたね。

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