進行性食道がん ステージⅢ(III)と告知されて そして……

「イナンナの冥界下り」 第14回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年9月
更新:2020年2月

  

遠山美和子さん(主夫手伝い)

とおやま みなこ 1952年7月東京都生まれ。短大卒業後、出版社勤務を経て紳士服メーカー(株)ヴァンヂャケットに入社。約20年勤務の後、2011年8月病気休職期間満了で退職

<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし。2016年8月卵管がんの疑い。9月開腹手術。卵管がんと確定し、子宮・卵巣・卵管と盲腸の一部を摘出。9月手術結果を受け卵管がんステージⅢ(III)Cと診断。10月17日よりドース・デンスTC療法(パクリタキセルとカルボプラチンの異なる作用の抗がん薬を組み合わせた治療法)を開始し、2017年3月29日終了。


年が明けて2017年1月4日、初春の寿(ことほ)ぎに4クール目スタート。年末に輸血した若き(?)血潮のおかげで貧血は回復、その他の数値もOKで点滴完了。前回16だった腫瘍マーカーCA125は11になっていた。

開始時、腫瘍マーカーCA125の数値が1,021から2クールでのジェットコースター急降下に、がん細胞の反撃を予想して若干ビビっていたが、安定した戦況だ。だが日本が正月だからと言って紛争地帯が平和ではないように、副作用は容赦なく攻め続け2剤後の吐き気・食欲不振はキツい。そして精神腫瘍科プログラムの活動を記録するホームワークもあり、少し食べられるようになったかと思えばもう次の点滴日が来る。

4クールの2、1剤点滴がスムーズに終わったその夜、ちょっとした発見があった。翌日の朝食を準備していないことに気がついた。準備していないことが問題ではなく、食事の心配をすっかり失念して平気でいたことが大事件なのだ。

小食頻回になってからは常に食事の準備を怠ることはなく、行動予定に合わせて何時に何をどれだけ食べるかは最重要課題だった。

毎日が5回の食事とおやつ中心に回る、いわば振り回されている生活。まして副作用で味覚障害もあり、食べられるものも限られた今、それが、明日の朝食が用意してないのに「まぁコンビニでも行けばいいか」と思えている自分に驚いた。これはアームストロング船長の月面の1歩に匹敵する私にとっては大いなる変革。このことをホームワークの行動記録に記す。

4クールの3、スキップ。血液検査の数値がこれ以上下がると危ないらしく、2日後再度血液の状態を見るため東京に留まり来院するよう指示される。アラート点滅だ。

再検査の結果、ほんの僅かではあるが数値が上がっているので、回復基調とみなされ「アラート解除ですね」と、外来診察日ではないのに朝一で診てくださったまゆゆ先生。

翌日は渋谷でおひとりさま落語会。アラート解除だし気をつけて出かければ大丈夫、と決行するが、歩いただけで息が上がって、文字通り渋谷は谷と坂の町と実感した。

「先が見えてきましたね」

翌週の精神科プログラムでカウンセラーD先生に我が内なる意識変革について報告。副作用によって体調が通常とは違う状態での行動活性化プログラムは不利だと訴える。

しかし、同時にボロボロの状態で培われたことは本当に身につくに違いないと思う。

翌日4クールの3再トライ、落語で免疫力大幅アップか? 血液検査クリアで4クール終了。

5クールの1回目、2剤開始は1週スキップの後、落語会の翌日。この週は先生出張の関係で精神科プログラムの日と点滴日が重り、しかも午後に予約時間が集中した。午前中に診察を終え点滴受付で事情を聞いていただき、「カウンセリングと点滴の両方が午後では厳しいですね」と、午前の枠に入れるよう調整していただいた。

2剤後に飲む吐き気止めのジプレキサは服用を止めると便秘が治るので、飲み切らず残すことにした。5クールの2、順調に進む。

「先週は無理して午前の枠に入れていただきました」

「素晴らしい! どうやったんですか?」

「はい、事情をお話して、ニコニコしていました」

「薬も上手に使ってらっしゃいますね。来週も笑顔でお目にかかりましょう」

翌週は月曜日深川で落語会、火曜日午後精神科プログラム。面談を終え1階をうろついていると、コンビニの前でお弁当温め待ちの婦人科S先生とバッタリ。

「先生~!」

「あれ、全然わかりませんね」とかつらへのコメント。

「腫瘍マーカーはどうですか?」

「1月の検査で8になりました」

「いいですねぇ~、やっつけちゃってください」

「はい、頑張りますっ」

翌日5クールの3、貧血が酷くなっていたら再度輸血も検討しましょうと言われていたが、意外にもその心配は無用だった。5クール終了で「先が見えてきましたね」とまゆゆ先生。落語とダジャレビーム搭載のS先生とおしゃべりしたおかげに違いない。

3月1日、5クール終わってのCA125 マーカーは7と良い成績であったが、まゆゆ先生曰く「止(とど)めの一発」の6クールはまたスキップからのスタートとなった。

中島みゆきの『誰のせいでもない雨が』

翌週は精神腫瘍科行動活性化プログラム最終日。このプログラムは12月から化学療法とほぼ同時進行で1週おきに全8回、まず行動記録を付けることから始めた。出来なかったことを気に留めて数え上げることはせずに、何か行動できた時の、嬉しいや楽しい、達成感や充実感に着目して記録していく。

2週間の活動や感じたことを先生と振り返り、考え方の癖などについて考察する。私は物事を反芻して考える癖、0か100か思考、must(~しなければならない)が行動の基本になっている、などなど、自ら自覚していなかった内面に気づかされることが大いにあった。が、これ以上は企業秘密なので省略する。無事大いなる成果を以って終了し、立派な修了証書もいただいた。

翌日、血液の状態はまだ2剤OKまで回復しておらず、2週連続のスキップはTC療法始まって以来のことだ。止(とど)めの最終クールを前にした足踏みに若干の焦燥感。おまけにその夜から右耳下のリンパと思しき部分が腫れて痛く、心配で落ち込む。

翌日まで腫れが引かず、不安で病院に電話して看護師さんに相談。あまり心配したことでもない風でしばらく様子を見るよう指示されるが、その日予定していた落語会は腰が引けてキャンセルした。かなりへなちょこ武闘派。

腫れは2日ほどで収まり、点滴開始以来初めての2週連続休暇で体調も持ち直してくると、次の点滴の副作用を想像しただけで気が重くなる。吐き気や下痢やいろいろ思い起こす。「出たな反芻癖」と、ひとり突っ込み。

3月15日、晴れて最終クールスタート。微量だが2剤とも増量してがん細胞殲滅作戦を敢行。最後の副作用だぞ! と檄を飛ばして最終コーナーの鞭を入れる。

3月22日、6クール2の日は、3月末でG研A病院へ異動するまゆゆ先生最後の診察日のため、連れ合いを同行する。

思えば5カ月間、毎週診ていただき、冗談にも付き合っていただいた。とてもお世話になったお礼とご挨拶をと思いながら待合室で待っていると、診察室から患者さんの怒号のような声が聞こえてきた。

私の脳内に中島みゆきの『誰のせいでもない雨が』という曲が流れる。これまでも同じような場面に何度か遭遇した。カウンセラーの先生に罵声を浴びせる若い女性、薬剤師さんの不手際を大声で責めたてる患者さん、検査室での待ち時間が長いと詰め寄る人。患者の不安がその人の心の防衛パターンによって治療者に向いてしまうことがあると「がんと心理臨床」(放送大学講座)でやっていた。

いつもよりは長い待ち時間の後、いつも通りの笑顔でまゆゆ先生は迎えてくださる。点滴はOK、次週以降の代診の先生や検査について手配してくださった。

常に命と向き合う仕事を平常心でやっておられる先生のこの病院最後の外来で、穏やかではない声を聞いてしまった私は、自分の滅入った気持ちを立て直したくて、「外まで聞こえちゃいました」と言ってしまった。

「ごめんなさいね、建付けが悪くて」まゆゆ先生は笑って、記念のツーショット撮影を許して下さった。

外で待ってる患者のみなさん、今、TV中継中のWBCの試合が佳境です、それを観て、あと少し時間をください。本当は診察室で小さな声を出して少しだけ歌った。

「♪誰のせいでもない雨が降っている、仕方のない雨が降っている……早く月日すべての悲しみを癒せ~」。病気になってつらい状況は誰のせいでもない、自分のせいじゃないし、まして先生のせいでもない。

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