肺がんと向き合った14年8カ月

「凛として生きる」 第3回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2018年1月
更新:2020年2月

  

鈴木 襄さん(社会保険労務士)

すずき のぼる 昭和21年6月茨城県生まれ。早稲田大学大学院経済研究科修士課程修了。昭和48年東京都庁入庁。平成19年3月監察員を最後に都庁退職。平成24年3月人材育成センター教授(非常勤)を退職後、埼玉県川越市で社会保険労務士を開業

<病歴> 平成15年3月:肺腺がんステージⅡの宣告。右肺上葉摘出手術。術後突発性心嚢内出血で手術 平成16年3月:縦隔リンパ節に再発。放射線治療及び化学療法を受ける 平成23年12月:左肺尖部に腺がん(原発)が見つかり手術。術後化学療法を受け現在に至る

是非、抗がん薬を投与して下さい

2004年6月14日(月)

夕方の回診時、若い先生から「白血球の値が低いので、3回目の抗がん薬は中止しましょう」と言われて、思わず言い返した。

「是非、投与して下さい」

「全身状態からみて無理だと思います」

「先生、副作用は我慢しますから予定通り投与して頂きたい」

他の患者がいる病室の中で少し厳しいやり取りになってしまった。

主治医が「後程、カンファレンスルームで話をしましょう」と引き取ってくれた。

8時過ぎにカンファレンスルームに呼ばれた。今、病棟の回診が終わったところらしい。疲れているのに時間を取ってくれたことに感謝した。

先生から「今の状況で抗がん薬を投与すれば、肺炎の可能性が増します。さらに、肺内出血の危険もあります」「また、縦隔(じゅうかく)リンパ節に転移があることは、他の臓器に転移があるかもしれません。全体の状況を考えながら治療方法を選ぶ必要があります」などの説明があった。

「自分が厳しい状況に置かれているのは理解しているつもりです。今後、肝臓や脳に転移が見つかればしっかり受け止めて、次の治療を受けさせて頂くつもりです。しかし、縦隔リンパ節が再度動き出したならば、到底受け止められないと思います。死んでも死にきれないとさえ思っています。今は、ここを叩くために最も効果のある治療を受けたいと思っています。副作用については我慢しますので、是非抗がん薬を入れて下さい」

私の思いを最後まで聞いてくれた後、先生は、「わかりました。2剤は無理だけれども放射線と感応がよいパラプラチンのほうを投与しましょう」と言ってくれた。

「有難うございます」と深々と頭をさげた。

6月15日(火)

パラプラチンの点滴を受ける。これまで抗がん薬には否定的な感情しかなかったが、今日は別である。「効いてくれ!」と祈るような気持ちで、透明な管の中を落ちる抗がん薬一滴一滴の滴(しずく)を見続けた。

6月30日(水)

22日に予定通り放射線の照射が終わった。血液検査の結果、白血球の値が基準値内にあったので、先週水曜日に退院することができた。これからは定期的に経過観察を受けることとなる。

今日は、池袋で学生時代の友人達と会食である。皆、退院を喜んでくれた。

「無事、退院できてよかったな。再発と聞いて、今度はダメかと思ったよ。ワッハッハ」、「髪の毛が無くなると、ますます顔が長くなるな」、「見舞いに行くのに神経使ったぞ。病気の話をどこまでするかとか、とにかく悲観的な話は一切なしにしようなどと事前に打ち合わせをしてから行ったんだぞ。心配ばかり掛けやがって」

会うなりのストレートな物言いが、とても心地よい。再発を告げられてから3カ月の闘病生活から、一気に解放されるような気がした。

パラプラチン=一般名カルボプラチン

2010年、会社の仲間と

効果は期待できないと思いますよ

7月16日(金)

今日は予約してあったBクリニックを受診する日である。

退院した後、沼津の友人から免疫療法の本が送られてきた。K病院の治療が終わったのだから、これから免疫療法を検討してみたらどうかということである。本を読んだ後、インターネットで調べて免疫療法をやっている都内の医療機関を3カ所ピックアップした。

電話でそれぞれの医療機関に話を聞いたが治療内容に大きな差異はないように思われたので、最も交通の便がよいBクリニックを受診してみることにした。

担当医師から免疫療法一般と樹状細胞療法及び自己リンパ球移入療法の説明を受ける。要するに免疫細胞を取り出して刺激し、人工抗原を加えて身体に戻すという治療方法である。事前に色々調べていたので、説明はよく理解できた。

問題は治療の効果である。これについては、「効果があったという明確なエビデンス(科学的根拠)はありません」と明言された。

免疫療法を受けることによって再発を抑制できるのではないかと期待を大きく膨らませていたので突然、風船がはじけるように落胆も激しかった。

帰りに最寄り駅近くの喫茶店に入った。小雨が降り始めた。窓ガラスにかかる雨の滴を見つめながら気持ちが落ち着くのを待った。

8月10日(火)

K病院受診。先週受けたMRI検査の結果を聞く。とくに異常はないということである。

診察が終わったあと、免疫療法について相談をする。「効果は期待できないと思いますよ」とやんわりと否定された。

8月23日(月)

念のため免疫療法が可能かどうかの検査をBクリニックで受けていたが、白血球の型が合い、免疫療法は可能であるとの連絡が入った。

免疫療法を受けたいと思うのだが、ふんぎれないでいる。効果がハッキリしていないこと、コストが高いことがネックになっている。

8月29日(日)

1日家の中でのんびり過ごす。免疫療法を受けるかどうか悩む。効果があるなら迷うことはないのだが、ハッキリしない。先日は肺がんに関する本で、「免疫療法は詐欺療法です」と明確に書いてあるのを読んで驚いた。

しかし、5年生存率10%ということがどうしても重く心にのしかかる。K病院の治療が終了し、このまま経過観察を受けるだけでよいのだろうか。時間の経過を待つだけの状態に耐えられるのだろうか。

結論を出すための手がかりをつかめないまま、不安が頭の中を駆け巡る。

最後は、「溺れる者は、藁をも掴む」で構わないと開き直った。経費のことを家内に話し、免疫療法を受けることを決心した。

9月4日(土)

Bクリニックを受診し、樹状細胞療法及び自己リンパ球移入療法を受けるための採血をしてもらった。1週間培養して、来週11日に第1回目の投与を受けることとなる。

11月12日(金)

4回目の免疫療法の投与を受ける。これで免疫療法は終了する。今後は、維持療法を受けることになる。

12月31日(金)

大晦日。先程家族で年越し蕎麦を食べた。この1年を振り返ると無我夢中で闘病生活を送ってきた。本当に家族に心配をかけてしまったと思う一方で、やるべきことはすべてやったと言う満足感が湧いてくる。

今は、右胸の手術痕の不快感と秋頃から始まった両足の軽いしびれ以外はとくに悪いところはない。両足のしびれは、抗がん薬の副作用らしい。今は大分慣れてとくにつらいというわけでもない。

このような状態で新年を迎えられるとは、思いもしなかった。夢のようである。家族は居間で紅白歌合戦を観ているようである。もうあと数時間で今年も終わる。来たるべき年、平成17年が良い年でありますように。

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