鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

私の赤ちゃんが一緒になって子宮全摘手術を闘ってくれました エッセイスト・しえ × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2008年5月
更新:2018年9月

  

妊娠から子宮全摘へ――“奈落の底”から這い上がった再生物語

マネージャーとして仕事に専念するか、彼との結婚に踏み切るか迷っていた36歳のある日、体調が優れず病院に行った。「おめでたです」と言われ彼女の気持ちは決まった。しかし、1週間後、非情にも女性は子宮頸がんを宣告され、妊娠の継続は無理と告げられ″奈落の底″に突き落とされた。日活映画「エースのジョー」こと宍戸錠さんの長女・しえさんである。前例のない手術を受け、死の淵から見事に立ち上がったしえさんの再生物語を聴いた。

 

しえさん


しえ
1963年、東京生まれ。父は俳優・宍戸錠さん、母はエッセイスト・作家・宍戸游子さん。83年、ベルギー・ブリュッセル20世紀バレエ団附属芸術学校ムードラに留学。帰国後、パフォーマンス・アーチストとして活躍し、女優としてもドラマに出演する。93年から弟・宍戸開さんのマネージメントを担当している。99年に妊娠と同時に子宮頸がんが見つかり、2000年に子宮全摘手術を受けた。母と共著の『がんだってルネッサンス』(中央法規出版)がある
Maua Moanamana

 

鎌田 實さん


かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)

父・宍戸錠は仕事が忙しく 振り向いてくれなかった

鎌田 もともとはモダンバレエをやっていたんですか。

しえ はい。私は生まれてすぐ、肺に気泡ができる肺嚢胞になり、3歳のときに手術をして、左肺の半分を切除しました。それで母が私の身体を気づかって、たまたま近所にあったバレエスクールで、クラシックバレエを習わせたのです。

鎌田 バレエが好きだったの?

しえ 表現することが好きでしたから、結構楽しんでやっていました。しかし、だんだんプロの領域に近づいてくると、練習が厳しく感じられるようになり、プロになるのはちょっと無理かなと思いました。それで途中でクラシックバレエはあきらめ、中学では部活でモダンバレエをやりました。その後、大学進学で悩んでいたとき、モーリス・ベジャールさんの公演を観て、「これだ!」と思ったんです。 そして、付属のバレエ学校に入る自覚ができ、留学しました。

鎌田 最初はバレエをやり、途中から女優に転向されたわけですね。

しえ ベルギーから戻ってきてから、パフォーマンス・アーチストとしてヨネヤマママコさんたちと公演したりしましたが、父に「何をわけのわからないことをやっているんだ。おまえは女優をやればいいんだ」と言われ(笑)、じゃあやってみようかと、安易な気持ちで女優を始めたわけです。

鎌田 お父さんの言うことは、割合聞くんだ。

しえ えーっと、聞かないです(笑)。いや、聞かないというより、あまり会話をしなかったですね。ふだん忙しくて、家にいないものですから。とにかく怖い存在でした。

鎌田 宍戸錠は怖いんだ!

しえ 今は怖くないです。すごく可愛いです(笑)。

鎌田 変わったんだ。それは錠さんが変わったの?

しえ 両方ですね。高校ぐらいまでは、側にいるだけで息苦しくなるような存在でした。父と同じ職業に就いて、だんだんコミュニケーションがとれるようになりました。

鎌田 私も娘が17歳のときに、「お父さんなんか、嫌い!」と言われてね。可愛い、可愛いと思っていただけに、すごくショックだった(笑)。

しえ 一般の家庭では、お父さんは娘さんを可愛がるけれども、娘さんはそれをウザイと思うのが普通ですよね。うちはそうではないんです。私はそうしてほしかったんですが、父は自分の仕事のことばかりで、全然振り向いてくれなかったんです。嫌われているのかと思いました。本当に私が追い詰められたときしか振り向いてくれない。ですから、今になって考えると、私がこれまで何回か失敗してきたのは、父に振り向いてほしかったからだと思います。

鎌田 なるほど。ちょっと複雑な感情ですね。

しえ そういう父だったからこそ、私は病気に打ち克つことができたと思います。父に優しくされていたら、死んでいたかもしれません。小さい頃から、私が病気になっても、「立つんだ! しえ! おまえはきっと勝つ!」みたいな感じでしたから(笑)。

妊娠の喜びも束の間 子宮頸がんが見つかる

写真:しえさんと鎌田さん

鎌田 さて、しえさんのがんの話に移りたいと思います。お母さんとの共著『がんだってルネッサンス』に詳しく書かれていますが、しえさんは結婚を考えている人がいた。そして、体調の変化があり、もしかしたら……と思って病院に行ったんですね。

しえ 36歳という年齢になり、今産んでおかないと、という気持ちがありました。それまで結婚しなかったのは、父や母の周辺で、仕事と家庭を両立させている人たちを見て、自分が自立してから結婚したいと考えていたからです。そう考えているうちに、いつの間にか36歳になっていました。その歳になると、何かきっかけがないと結婚できないんです。それで結婚イコール子供を作ることと考えるようになっていました。

鎌田 未婚でも子供を作っていいと考えていたわけね。

しえ 子供ができたら、この人と縁がある、結婚しようと考えていました(笑)。

鎌田 不正出血し、あやしいなと思って近くの病院へ行った。

しえ はい。それが妊娠したのだと思って(笑)、喜んで病院へ行きました。そうすると、女医さんから「おめでたです」と言われ、「ほら当たった」と喜びました。

鎌田 その先生は「おめでた」だけで、他のことは何も疑っていなかったんですか。

しえ いろいろ検査はしましたが、とにかく妊娠したということで舞い上がり、次はどこで産もうかとか、どういう学校に入れようかなどと考えていましたね(笑)。本屋で「初めての出産」に関する本も買いました。

鎌田 「おめでた」と言われて、その後がんと告げられるまでの1週間は、すごい幸せだったんだ。

しえ 新しい生命が宿っていると思うと、とても幸せでした。

鎌田 しかし、その後、子宮頸がんが見つかる。「まさか!」と思ったでしょ?

しえ 思いました。最初、病院に呼ばれたときは、奇形児とか逆子とか、赤ちゃんの側の問題だろうと思いました。まさか自分のことだとは思ってもいませんでした。

鎌田 検査を進めると、子宮頸がんの2bで、少し進んでいたんですね。少なくとも早期がんではなかった。そのことを理解できましたか。

しえ いえ、わかりませんでした。診察を受けたとき、先生の「ダメだ!」「あぁ、ダメだ!」という声が聞こえるので、私は子供がダメなのかと思っていたんです。診察を終えてから、「子宮頸がんです」と言われ、頭が真っ白になりました。

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